006
[Side Aria]
黒光りする弾丸が、『わたし』を貫くまでは見届けた。
穴から、噴き出していく自身の血肉。液体は激しく飛散する。
痛みは、悲鳴になることはなく、二発、三発……、間髪入れず撃ち込まれる。
心臓を僅かにかすめる弾道の雨。刻々と削られる命。
隣を振り向く。肉塊と化した紫髪の少女――『わたし』と永遠を誓った親友。
手を握って離さなかった。光のつぶてになったあの少年の姿が空遠くに映っていた。
天から降り注ぐ一条の光の柱に包まれる。天に召されているのだろう、と『わたし』は思った。
意識が潰える刹那、まみえたのは、悲愴に満ちた少年の微笑と――、
※ ※ ※
――目を、覚ます。目の前の何もかもが血に埋もれる、酷い夢を見ていた気がした。
いや――あの気持ち悪くなるくらいな鮮明さは、紛れもなく真実だろう。
過去の回想。戻ることのない日常に終止符が打たれた場面だけの繰り返し。
ベッドは大理石のような冷たさ。唇が、震える。
恐る恐る、心臓のあたりをまさぐってみる。ぬめりのある鉄錆色が皮膚を濡らすことはなかった。
呼吸の乱れを収めようとした。目がくらむ。天井は、終わりの見えない白。遠くを見通そうとしたら、自分がこの空間に吸い込まれてしまいそうだった。
自分の体を見回す。白のレース柄に薄い紅色が不細工に塗りたくられたドレス。
乾ききり赤茶けた不格好な水玉模様。血痕だろうか。腹部、右脚、そして、胸部が特に赤黒い。
『わたし』は起き上がろうとして、その動きを阻まれた。両腕が締め付けられているような感触。
どく、どく……、何かしらの液体が、腕の中で暴れまわっている。
視線を落としてみると、無数の管が腕を覆っている。いや、腕だけではない――両足も、そしてドレスを破って胴体にも、脳でさえ。
名前も知らない薬物が管を通って体内へ流れていく。老廃した血液が体内から排出されていく。
管越しに見えた自分の肌は、身体に血が通っていないと思わせるくらいに、白。皮膚と骨の間の筋肉を全摘したくらいにグロテスクな体つき。
管は全て別々に分かたれて、無数の点滴が『わたし』を囲む。
いや。点滴の密林からもう一つ、ベッドの存在が垣間見え――、横たわっているほっそりとした女の裸体。
その姿に思わず、目を奪われ。そして、裸体の正体が判明すると、驚愕で視線は固まってしまった。
「あんたも、なの……?」
『わたし』が横たわっていたベッドの横、点滴の壁越しで設置されていた一つのベッド。
そこで横たわっていたのは、『わたし』の最愛の親友で、『わたし』と共に魔王の花嫁の片翼を担った少女。
いつか、三人で笑いあった日々、夕焼け、手をつないで、また遊ぼうね。――ああ、フラッシュバック。
灰色の思い出が砂嵐を帯びて、脳裏を駆け巡る。
紫髪が風にたなびいていたのを思い出す。あの頃のように、三人で笑いあうことは今後ないだろう。
伴侶であり、永遠の親友だった魔王は、惨殺されたのだ。すべては人間による恣意的な魔術技術の奪取行為の結果である。
「ローザ、ねぇ
横で眠る少女の名前を呟く。声が返ってこないのは自明だった。
しん、と静まり返った、純白の空間。
――わずかに期待してしまった、自分が馬鹿みたいじゃないか。
地をけってふてくされたい衝動に駆られた。憂さ晴らしっていうのがふさわしいだろう。
正直、途方に暮れて、暮れて、目の前が真っ白だった。いや、物理的にも真っ白だけれど、言葉の綾で。
意識がある、ということに率直な面倒臭さを感じたことは、これまでの生涯で一度たりともなかった。
意識があるときはいつも三人で一緒だったから。楽しさが舞い込んできたから。
『あら、泣きそうな顔をしているじゃない、――アリア』
ふと、掠れ声が脳に響いた。首が引きちぎれそうな勢いで、紫髪の親友――ローザへと視線を動かし、じっと見つめる。
縋るものがなかったから。ローザはもう死んでいるはずだが、死んだはずの『わたし』は生きていた。
魔王をかばって、そして――銃弾で貫かれた両者、『わたし』だけが生き残るなんてそんな運命は許せない。
「生きているの、ローザ……?」
『さあ? 思い出して考えてみなさいな』
何かを悪だくみを企んでいる少女のような語気から、曖昧な答えが発せられる。
ローザは決まって、重要な事案について、あえて結論を曖昧にして、伝える。
普段通りなら、問いを投げかけられた後、『わたし』が当て推量な答えで返すのが常だった。
だが、残念かな――今回に限っては、ローザの語気に、虚しさが感じられてしまった。
統べる者の消失、それによる一つの種族の壊滅は、一世紀はおろか、四半世紀の間で一気に進行し、そして完遂された。
『わたしたち』は死んだ。大陸中の仲間たちも駆逐されて、弄ばれた。
戻るべき故郷は跡形もなく、消し炭にされたことだろう。今頃、人間共によって開拓が進められているかもしれない。
魔族が繫栄していた時代が懐かしい。あの頃はまだ人間との国交が盛んだったのに。
酒と金が人間を狂わせるように、資源は国を狂わせ、狂犬病のように人伝いに広がっていったのだろう。
「死んでからどれくらいかかったのかな」
『――そうね、長い時間だったかな。とても、とてーもそれはもう気が遠くなるくらいまで飽き飽きした毎日だったわ』
だって、動けないんだもの。さもつまらなそうに吐き捨てる。
声の主、紫髪の親友、ローザは依然、目を覚ます兆候を見せない。
目を覚ましているのかもしれないが、身体は動きを封じられているらしい。
代わりに魔術で、テレパシーと同じような効果を発生させている。
『私達がこの世界から去って何年が経ったと思う?』
「想像できないし、普通はしないよ」
唐突な問いは、予想外な内容。死後の世界なんて考えてみる余地もないと断定していた。
万物に死は訪れる。一般の魔術師、魔法師に怪我の治療ができたとしても、死人の蘇生はできない。
例外は存在するが、世界の中で五指に入るような術者でもなかなか蘇生は成功しないようだ。
だけど、『わたし』は生きている。アリアという個は息をしている。
運命のようで――だけど、なぜだろう、不穏な事象の前触れのような偶然だった。
『ちょうど二〇〇年。それが私たちの眠っていた時間』
桁外れだ、乾いた笑いがこぼれた。
※ ※ ※
[Side Gustouh]
あと、十数体。それだけで、目的は達成される。――思わず、口元が三日月の形に歪んだ。
愉快痛快。世界の命運を手中に収める感覚がああ、堪らない。
グスタフは天蓋を見上げた――、この国で一番空に近い場所だった。
聖樹、その頂点に建てられた巨大神殿。
大理石造りの床が、間近な日差しを反射させる。神殿には二五の柱が屹立し、それぞれが別々の神を司っている。
彼は柱の一つ――愛を司る神『リーヴェル』の柱を撫でまわしていた。
「聖女は、乾電池の役割を果たし、『主』の願望が神のレプリカを起動させる――か」
乾電池という言葉は、魔法が普及した現在では死語。
現に、電池の生産を取り持っている企業は現在、世界中を探しても小規模な一社しかない。
「魔法は、愚かだ……、なんて、『魔法の神』を創る身で語っていい言葉ではないだろうが」
魔法による技術革新が起きた地球でも少なからず、科学者は存在する。
金にならない仕事ゆえ、よほどの物好きか魔法排斥主義者から構成されるが。
ちなみに、神を創ろうとする野心的な男――始祖神教『革新派』五賢司祭、グスタフ・ロムニエルは後者に当たる。
キリスト教カトリック派は魔法の台頭とともにかつてイエス・キリストが生み出したとされる「奇跡」の実現を想像した。
そこに初期の魔法信仰が融合して発生した「始祖神教」は司祭と魔法研究者の双方の養育を目指した。
過去のキリスト教が魔力信仰と混合され、形成されたのが始祖神教、世界中に信者が点在する一大宗教。
だが、宗派発生から一世紀を過ぎた辺りで内部対立が表面化してきた。
一方は、魔法研究に重点を置くことに貫くガウス司教の一派――通称『保守派』。
もう一方は、今でこそ教会から排斥されつつある、魔法を頭ごなしに否定し、イエスと魔法信仰を切り離す考えを貫いた一派――『革新派』。
現在の始祖神教を取り仕切るガウス司教一派の影で、誰からも認識されず非人道的な実験を繰り返している。
革新派の構成員の数は、保守派に比べれば格段に少ない。
だが、その状況下で保守派と革新派の勢力は互角になっている。
その理由の一つに、革新派の幹部たる、五賢司祭の存在がある。
始祖神教の中でも、最大クラスの魔法師であり、
魔法師であるのに関わらず、科学という荒廃したタブーに触れ、それを大成した者達。
いわば、”バケモノ”達の巣窟。
「魔法の神は、実は科学の賜物だったなんて皮肉な話だ。――そうだろう、一般個体三九〇八四二」
「エ、エエ……MあこTにOSYAるTおりDS」
「……ノイズが酷くなってきたな。もうそろそろ替え時か」
グスタフの背中についてきていた一体の魔力稼働式機械人形の体は小刻みに震えていて、体内を冷やしているファンの騒音が轟轟と唸っていた。
埃まみれ、ところどころ肌が虫に食われ、その奥に眠っていた金属の骨が露わになっている人形を安く値踏みする。
コイツは、もう不良品だ、用はねえ、と。
「一般個体三九〇八四二の処分を執り行え、司祭番号九八五」
御意――、という声が聞こえるより早かっただろうか、一般個体三九〇八四二の心臓部に孔が開いていた。
直径九ミリの、紫電を帯びた光線で射抜かれた機械人形は、動作を完全に停止する。
瞳孔の僅かな光すらも、しまいには闇に堕ちた。
人形が膝から崩れ落ちていく寸前、司祭番号九八五と呼ばれた骸骨のような男が白ローブの内側から両腕を伸ばし、人形の体を引き上げる。
筋肉がまるでついていないような細長い――その細長さはナナフシの成虫を想像させる――腕で人形を抱き上げると、その抵抗がない身体を肩に乗せた。
「――まだ、若干の電力が残っているかもしれねえ。緊急モードが機能する前に脳を壊しておけ。メモリさえ壊れていれば――この事実はまだ隠蔽できるからな」
「御意」
司祭番号九八五の身体が虚空に消える。ガラクタ部屋に移動したのだろう。
万が一、裏切りを起こしたとしてもその時は、彼の心臓に埋めつけられた超小型爆弾が爆発四散するだけだ。
「さて、仕事の続きを始めよう」
柱を撫でまわす動きを止め、踵を返す。神殿と地上を結ぶ階段の近くでは、鎖で繋がれた囚人が下級司祭らによって誘導されている。
彼らが向かうのは、調理室だろう。だが、囚人の彼らを調理師として動員するわけではない。
調理室へと歩いていく。一歩、二歩――踏み出すごとに部屋の奥から響いてくる、断末魔。鎖で束縛されていた囚人達の顔色が青ざめていく。
だが、囚人にさして興味もなかったグスタフは、悠々と――そう、悠々と、調理室の扉を開いた。
血生臭さ。人体の内容物を全て吐き散らし、擂鉢で細かく引きちぎり擦切られた液体が地面を覆っている。
酸性の匂いは胃液だろう、あたりで肉と焼く音とともにぼこ、ぼこ、と得体のしれない気体が浮き上がっている。
だが、それらの液体は、次の瞬間、ある一点に向かって収束するように、吸収されていった。
その一点とは、今にもはち切れそうなほどに強く鼓動を刻む、ツギハギの異形だった。
革新派の野望たる始祖神のプロトタイプである。
神は、繊細な人間の肌を心から欲していた。
神は、生き血をすすり、眠りから覚める未来を夢見ている。
あらゆる願望を叶えるための「奇跡」、あるいは魔法の最上互換。
魔法神話で語り継がれる創造の神「始祖神」の名を持ったこのシステムは、魔法の理論を頭ごなしに否定する。
回帰、と例えるのが正しいその理論は、五世紀前には反映していた「科学」を根拠としたものだ。
「魔法」という最先端を否定する勢力が、魔法の台頭で衰退した技術であることは魔法師界隈にとってみたら最大級の皮肉であり、屈辱であろう。
そもそも、そのような技術が世間に広く知られた場合、異端審問にかけられ、最終的には磔にされるオチだ。
あくまで、隠密な計画。
魔術の神を冒涜する技術。グスタフに罪の意識はない。
なぜなら、これは革命だからだ。
魔法への警鐘と、魔法への復讐。――グスタフの胸に宿った強い反逆の感情。
『失われたもの』を取り戻すために、彼は神をも冒涜せねばならない。
始祖神という名の奇跡は、ゼロをイチに変換する技術。魔法はあくまでイチを『ゼロから作り出した』ように錯覚させる機能でしかない。
靴裏にこびりついた赤黒い液体を地面に擦り付けながら、グスタフは異形へと近づいていく。
人の肌を綿密に継ぎ合わせたその異形は、人間の脳をかたどっていた。肌の奥では数百の脳を無理矢理繋ぎ止め、一つの巨大な脳が形成されている。
人間の脳を、一〇〇パーセント機能させ、それを継続させることで『魔法』とは道を違えたもう一つの異能が完成する。
異形の肌を撫でるグスタフ。にやけ笑いは止まらない。
「革命前夜という表現が相応しいだろうなァ。これで、ようやく、アイツも……!」
狂喜に震え、グスタフが我を忘れ笑いを爆裂させようとしたところだった。
夢見心地の男を現実に返す、狂った悲鳴。グスタフは、振り返る。――扉の向こうから、調理室の凄惨たる光景に唇を震わせた囚人が一人。
扉が僅かに開いていたのが、運の尽きだったか。まずい、扉へと踵を返す。
だが。
「お、おれはこんな、こんな地獄はごめんだ、いやだ、ああ、あああああああああああああああああああああ!!!!!!」
火事場の馬鹿力だろうか、腕を束縛していた鎖を引きちぎった囚人が一人、下級司祭を押しのけて、地上への階段を駆け下りていく。
「追え、そして記憶を抹消しろォ! 抵抗したら、煮るなり焼くなり構わねェ、殺してでもアイツを逃すなァ!!」
※ ※ ※
[Side ???]
「嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ――嫌だ!」
目にした地獄から逃れんがために男は一目散に駆け出した。
目の前に連なる階段、そして蔦で覆われた側壁。蔦と蔦の僅かな隙間から外の光が差し込むのみの薄暗い退路。
我を忘れたように。脱兎のごとく。
囚人の男、グユルは後ろから近づいてくる足音から逃走を続けていた。
――思い出したくもない光景が脳裏にかすむ。
扉の向こうに見えた赤黒い惨状。むごい形で散らばっている肉塊。
ああ、まさに調理場だ。だが、あそこで調理していたのは――、
込み上げてくる胃液を何とかとどめさせ、逃げ隠れして追っ手を撒くことを念頭にする。
だが、地上へ続く階段は一本道。
まっすぐ逃げていれば、いずれ追いつかれる。なんなら、挟み撃ちだってあり得る。
(もとはといえば、塩の密売が憲兵にばれたのがきっかけだ)
男は一斉検挙される同業者を盾に憲兵を撒いている途中で、白装束の『始神教司祭』を名乗る男二人に匿われた。
下級貴族の家系は先代で没落しており、貴族時代に培った僅かなコネを駆使し、希少価値の高い塩やヤクの密売で金稼ぎをしていた。
このまま地上に戻れば、憲兵に捕まる。
塩の密売だけだったら禁固一〇年で済む。それでも一〇年監獄に入るのは耐えられないが。
しかし、ヤクの密売が発覚すれば、即刻死刑判決が下される。薬物に対しては、世界各国が厳しい規制を敷いているのだ。
だが、このまま階段を下らねば調理室とやらで、文字通り、『調理』される。
逃げているのが馬鹿らしくなる。このままだとハッピーエンドは巡ってこない。
なんにせよ、殺される運命じゃねえか。
(死に方ぐらいは選ばせてくれよクソが!! 神は慈悲すら与えねえ、ってか!?)
歩みを止める。側壁に向かって拳が唸る。
「クソっ……、クソ、クソが!」
行き場のない焦燥感。壁はびくともしない。蔦に僅かばかりの傷がつくだけだ。
拳に血が滲む。構わず――もう一つ拳を振りぬこうとした。
振りぬいた。――なにも、手ごたえがなかった。
怒りで視野狭窄になっていたから気づいていなかったのだろう。
絡まりあっていた蔦が、突如――、グユルの正面から引き下がったのだ。
グユルの正面にあるのは、蔦が避けることで形成されたトンネル。拳に力を籠めすぎてバランスを崩したグユルの身体は飲まれていく。
グユルの背後で、みちみち、と再び何かが絡まりあう音があった。倒れざまに、蔦が急速にトンネルを埋めていく光景がグユルの目に焼き付く。
蔦の向こうで、白装束の人間がぞろぞろと階段を下っていく光景を最後に蔦の向こうの風景は閉ざされた。
(逃げられた……? いやでも、閉じ込められた……?)
死ぬまでの時間が少し増えた、と解釈すればいいのか?
いや、危険の度合いは今も変わらない。グユルは恐る恐る暗闇の中を見回した。
空気は湿り気を含み、何かしらの果実の匂いがする。林檎の匂い……?
闇の中は、『星』のような点々が僅かながら視界を照らしている。
青白い光のつぶて。すい星のように尾を引くものがあれば、流星が連なったような動きを見せる光もある。
幻想。魂を浄化するその光景は、まさに幻想。光の導くまま、グユルは足を前に。
水がしたたり落ちる、音。蔦に囲まれた、洞窟のような地形に響き渡る。
夜の空気。それも、誰からも追われることのない、静寂とした、安らかな夜の空気。
気が付けば、グユルは急激に込み上げてくる眠気を感じていた。
我ながらなにをそんな奇特なことを。両親から捨てられてから、一度も安らぎを感じていなかったというのに。
今までの人生の反動、だろうか。
グユルは、歩みを止めた。自分の双眸からあふれ出る涙を感じたからだ。
彼の目の前に、青の光は収束していた。
収束した光の上には、十字架につるされた――、
「少女……? いや、人形か。腕が、機械化されている……」
少女の右腕は、肌が焼けただている。その奥から金属製の腕が露わになっている。
だが、腕に無数に取り付けられている歯車は錆びきっていた。
――何年も眠っていたのだろう。
色白で可憐な小顔、唇の色は鮮やかに照っている紅――可憐な華が、眠っている。
艶がある赤髪から、冷凍保存された薔薇を想起させるような美しさ。
少女は、色白い肌を外気にさらし、裸体のまま、磔にされていた。彼女を十字架に縛り付ける鎖は、彼女の腕とは打って変わって錆びつきが見られない。
グユルの両手は、少女の腕――、正確には腕をつなぎとめる鎖を捕えていた。
その鎖は、無為な鎖だ。直感が、グユルに訴えかけていたから。自然に体は動いていた。
ばきり、ばきり。いとも簡単に鎖を引きちぎり、グユルは、少女の身体を引き留めた。
上質な絹のような白。闇の中で、光の収束点であった彼女は、まるで、銀河。
細身の肉付き、バランスよい体躯。裏社会で取引されていた売女でもこのような上玉はお目にかからなかった。
人生の最期くらい、こんな上玉を犯しても。
それも眠姦で。
あらゆる穴を犯しきって。
途中で目覚めても構わず乱雑に打突を繰り返して。
獣のような低知能の性交を日を跨いでやり遂げて。
精液塗れのあられもない姿にしてしまおうが。
――誰にも咎められないだろう。いいや、誰も咎めるな。
だが、何故か。そそらなかった。そんな肉欲すら馬鹿馬鹿しいほどに、少女は頬を緩めて、グユルの腕に身を任している。
心は既に折れていた。グユルは少女を仰向けに寝かせる。
眠るのに地面を枕にするのは硬かろう――なんて思い、グユルは上半身に羽織っていたボロ布を枕代わりに、少女の頭に敷いた。
「ああ、駄目だ」眠気が精神を蝕みすぎた。身体がよろめく。もはや、これまでだ。逃げる気はもう、失せた。
「最期に、お前のように安らかに、寝かせてくれ」
瞳を閉じる。
――――そういえば。
――深い眠りに堕ちる前、グユルは、ひと時の夢を見た。
毎日が死地だった彼に寄り添ってくれた一匹の野犬の姿を思い出す。
商売がうまくいかなかったときも、アイツはいっつもオレのそばに寄ってきて、顔を舐めてくれた。
なんで今さらそんなことを? ――彼にも、わからない。
だが。なんというか。
「オレも、完全には、捨てられていなかったのかなあ――――」
戯言かもしれないけれど、その男は、少しだけ安らかに眠れそうだ、なんて思いながら。
闇の中、静かな光に看取られて――――。
※ ※ ※
[Side Aria]
目を、見開く。
闇のなか、頭上に浮かんでいるのは星々を想起させる青白い、光。
呼吸が荒かった。――さっきのは、全部夢?
思考が追い付かない。さっきまでわたしは、ローザと……?
何を話していたんだろう? なにか、大事なことだった気がする。
確か、わたしは自力で目覚められて、ローザは自力で目覚められない――、ええと、それはなんでだっけ。
「まあ、なんとかなるよね……?」
根拠のない自身だというのは承知済みだった。
体を起こしてみる。がちり、歯車がかみ合うような音が、右腕から。
見れば、腕の肌が焼けただれ、機械の腕が――、
「え、あ、え、ええ??」
おかしい、おかしい、おかしい。なんでだ? わたしの身体って、魔改造とかしてないんだけどした覚えがないんだけど!?
脳内キャパを超える情報量で、わたしの頭は、パニック状態。
たしか、たしかたしかたしか……! なんか、ローザが言ってたような、注意していたような…………!?
記憶を探ろうとする。
だが。
背後に。人の気配を察し、いったん混乱する思考を放棄する。
「――っ、だれ!?」
「そうだな――、いまは、お前を創った者、あるいは、お前を壊す者と名乗っておこうか――特別検体〇〇二、アリア」
白の神父服を身にまとった男が、わたしの背後を陣取っていた。
反射的に、わたしは飛び上がり、構えをとる。――この身体が、機械化しているとみられるこの身体がどのように機能するかなんてさっぱりわからないが。
「おまえ――、誰!?」
「俺は、グスタフ・ロムニエル。神父であり、魔法師であり――科学者だ」