005
森閑とした講義室は私語の一切もなく、板書を綴るチョークの音と、学生のペンがノートを滑っていく音のみが重なっていた。
連合国立第一魔法学院――術儀学部魔法史学科。
七つ存在する連合国にそれぞれ一校設置されている魔法学院。
その中で、唯一第一学院のみにあり、『魔法が使えない人材でも合格できる』学科。
無論、魔法が使えたほうが入学には有利だが、筆記試験が圧倒的に優遇されているため――俺のような魔法とは無縁の人物でも合格することができる。
しかし、――一時限目そうそう、気だるげな講義が続く。魔法の実践授業がないので、魔法が使える学生は通常他学部を目指す。
ここにいるのは、史学科志望の物好きか、後期試験でとりあえず魔法学院の名が欲しかった者の二択、あとは単純に魔法が使えないけど魔法に興味がある学生か。
講義室に空席が目立つ。この学年にもなると一限から講義を受ける学生は、限りなく少ない。
俺は、当然のごとく一番後ろの席で講義を受けている。この姿勢は、一年生の時から揺るがない。
黒板に羅列された魔法史年表を、講師の頭上に浮遊する魔法稼働式のモニターが拡大、映写する。
だが、ぶっちゃけこの授業の講師――『一般魔法理論』はサンズヴェルナ助教だったか――の文字は果てしなく汚い。
よって、モニターを見る意味が皆無。たまに読み取れる謎言語をノートの端にでも書き留めておく。
板書よりも助教が口頭で伝える要点に耳を傾けたほうがテストで楽に点数が取れるのは前の年に実証済み。
よって、高度の集中力を必要とする時間である。それも初っ端の授業から。
一限から過度の疲れを感じるのは仕方なかろう。
「ぐくぅ……」
右隣で寝息を立てるシグルーンを一瞥。
お気楽者め、俺は眉をひそめた。
この少女、授業は半分以上睡眠学習に励んでいるが、一つも落第はしていない。
まあ、俺がノートを貸しているだけだが。
無論、対価として魔法研究に必要な専門書の代金を彼女に一括で支払わせている。
金持ちめが、これでは対等な商売ではないだろうが。
…………ああ、こいつ用に間違った授業内容を羅列したノートでも作って落第させてやろうかしら。
横で熟睡しているヤツを横目に、授業に焦点を当てる。下種なことはしたくないし、何より面倒くさいので却下。
代わりにいつもの三倍くらいの書籍を対価にしてやろうか。
「魔法には大きく、二つの種類がある。――聖樹を起源とする魔力が動力となるもの、そして霊峰を起源とする魔力が動力となるものだ」
清閑を破って聞こえる講師の声。一斉にペンの滑る音が鳴りやむ。
助教が数秒、間をあけたあとで話す言葉は、八割五分テストに出るらしい。
『聖樹起源の魔力媒介の魔法、霊峰起源の魔力媒介の魔法』について、と。当然メモをしておく。
――これはまだ、一年次の復習だし、常識の範疇だが。
魔力というのは、空気中に散らばっている粒子の一種で、大気圏内の空気の四〇%を占める。
宇宙の構成要素としては一%にも満たないらしいが。
そもそも、地球に二つの隕石が同時落下した年より以前には、魔力の存在が発見されることはなかったくらいである。
それらの粒子の特性は宇宙上では発現しない、という研究結果もあり、隕石の一軒以前では暗黒物質として扱われていた、という説も上がっているのだが。
魔力の発生源は、聖樹――先代の黒海跡地、あるいは霊峰――先代の南極大陸の二つである。
前者は、人間本来の所有物として扱われ、後者は先史にて絶滅した種族――魔族の所有物とされ、魔族が絶滅した現在は人間によって研究開発がなされている。
「では、最後尾――ロキ・ディケイオ君。今言った二つの魔法の正式名称を答えよ」
「前者が『魔法』、後者が『魔術』と言われています」
即答。その通り、と感情の起伏が少ない低い声で返答しながら、助教は黒板に用語を書き加えていく。
……聖樹起源の魔力と霊峰起源の魔力とでは多少、構成物質が違うだけでどちらの粒子を用いても術式を編むことはできる。
ただし、術式の使い手――広義の『魔法師』によって得手不得手はある。これに限っては、住んでいる土地によって左右するのだ。
例えば、聖樹の近辺に住んでいれば極端に『魔法』が使えて、『魔術』を扱うのに一苦労する。逆もまたしかり。
俺の場合、故郷が霊峰寄りの地域だったため、『魔術』は使えていたし、多少の『魔法』も扱えた。
今となっては、双方扱えないのだが。
「二つの魔力の違いは、体内に蓄積していく物質の違いにある」
物質の詳細まで覚える気はない。たしか、聖樹性魔力の主成分がマギウム、霊峰性魔力の主成分がアビリウムだったか。
というか、ここ完全に化学的分野だから管轄外。元素記号はとうの昔に忘れた。
ともかくマギウムが蓄積していけば自然に『魔法』は上達するし、アビリウムの場合では『魔術』の技量が上がる。
ちなみに、『魔術』という名称は人間がつけた蔑称である。
魔法は不可能的事象を可能にするものを指す。
魔術は宇宙の現象に人間が手を加えて事象を改変するという意味を持っているが、その裏には『少なくとも見かけ上は超常的なもの』というものも含まれる。
言葉の綾に過ぎないが、魔法の学会では、『見かけ上での超常』を含むか否かで、魔法の地位が魔術よりも上にあると断定している。
どうせ、他種族より人間が優れていることを示したかっただけの非科学的――いいや、非魔法的根拠に過ぎないだろうが。
助教が、専門としている魔法科学の余談を始めようとしたところで授業終了のチャイムが鳴る。
二、三限は空きコマだから、市場へ買い出しに行くとしよう。
――どうでもいいが、隣の睡眠学習女はチャイムと同時に起き上がっていた。そして、起床二秒後にノート後で見せて、とねだってきたので本当に都合よくできているな、と思う。
※ ※ ※
『――学籍番号三〇四九七七二五、至急生徒会室に集合してください』
学食で昼飯を食い終えたら、ちょうどアナウンスで俺の学籍番号が呼ばれたところだった。
週五日――平日、きまって昼休みに俺は呼び出しを食らう。
呼び出す当人は生徒会長兼四学年首席の天才。
会長権限をもって、むやみやたらに俺を召喚してくる。
何故? ――さあ? ただの気まぐれだろう。
理不尽極まりないが、呼び出している当人については、敵に回したくないタイプ(敵に回してはいけない)タイプだから、なすすべなく連行されることになる。
というわけで、生徒会室の前まで来る。なぜか横には、シグルーンもいる。
「お前はお呼びじゃないぞ」
「暇だったから付き合ってあげる」
勝手にしろ、の意味を込めて、深くため息をついた。
扉は、俺が手をかけようとしたところで、ひとりでに開いていく。
生徒会室には、一面のパノラマビューが広がっている。
加えて、学院の最上階に位置するので、帝国を一望できる隠れスポットとしても知られている。
壮観な景色をバックに、眼前には、大人びた女性が待ち構えていた。
明るい金髪を顔の横で軽くカールさせ、濃いめの口紅を塗っているものの、全体的に薄化粧。
だが、醸し出される大人びた色香で堕ちていった男子生徒は数知れず。
加えて、制服を着崩していない真面目、清純派な印象もポイント高い。
――彼女の本性を熟知している身からしてみれば、猫をかぶっているな、という印象のほうが強い。
この女性こそが、生徒会長兼四学年首席――アンセル・セロージュその人である。
「おう、生徒会長今日も参上つかまつった早く帰らせろ学術書読みたい」
「ぶっきらぼうな挨拶どうも、ロキさん! 今日も空が真っ青ですね!!」
「ああ、本日は曇天極まりないな会話そらすなアンセル!!」
ちなみに、生徒会室から望める空の景色は、真っ青の快晴だった。
胸中では、曇天どころか、積乱雲が巻き起こっているが。――起爆剤があと一つあれば、雷鳴が鳴っているだろう。
「あら、先輩に厳しい愚弟後輩の後ろに純粋な後輩ちゃん、ってところかしら。おはようございます、シグルーンさん!」
「お、おはようございます会長! 今日もおおお、お元気で!!」
「会長の前だからって緊張しすぎだ、シグ。もっと、肩の力抜け。そして、こう言うんだ……『腹黒生徒会長さま、今日もひたすらに悪だくみの計画、ご苦労様です!』」
「言えるわけないよね!」
腰を落とした姿勢から、痛烈な右フック、わき腹にミート。内臓えぐり抜こうとするのやめて。
「あらあら――――夫婦漫才お疲れ様です二人とも」
「さすがに夫婦は早すぎますよ会長。適齢期まであと五年はありますし」
「なんなのシグ、夫婦漫才する前提で話しているのかよ」
「恋人でもないのに何勘違いしてるのロキ君脳みそ洗って出直して童貞」
「辛辣。こんな幼馴染は嫌だ」
「会話のテンポが絶妙だしこれもう夫婦になるしかないのでは?」
「生徒会長様は黙れ」
閑話休題。
「で、今日の要件はなんだよ。また、課題やら生徒会職務の丸投げか?」
「人聞きの悪い後輩ですね。――実のところ、結構深刻な話題なのですが」
「ほう、生徒会予算が間に合わないと」
「それもまあ、ありますが。ぶっちゃけそれどころでは、ありません」
生徒会長――アンセルの口調が深刻そうなものに一変する。彼女が真剣にものをいうときは、空気どころか魔力の流れも変える。
鳥肌が立つ。先ほどまでの喜劇とは打って変わって、真剣そうな面持ち。息をのむ。
「学院指折りの魔法師はたたられる、っていう噂はご存知ですか?」
「あ、それなら聞いたことがあります」シグの即答。「原因はわかりませんが、最近、魔法師から相次いで死傷者が出てます。――そして、狙われた魔法師は、全員帝国内外で名が知れた者ばかりだった」
「ご名答です、シグルーンさん」
アンセルが、手元にあったホワイトボードに事件についての詳細を書き込んでいく。
わざわざ、魔力稼働式のモニターを使わないのは、目が疲れるから、らしい。
「これまでで、学院内ではその一件で三人が死に、けが人含めると二〇人の被害者が存在しています」
ボード中央にでかでかと書かれた『魔法師殺害事件』。確か、学外でも同じようなことが起きていたと思う。
「魔法師殺害事件って今、憲兵団が犯人捜査中のあれか? もうすでに、何人かの魔法師が不審死しているらしいが」
「世間では、関連ありって噂されているけど、真相は不明。一応、殺害現場には特徴的な遺留物がいくつか残っていたらしいですよ」
特徴的な、遺留物ね。
完全犯罪を目指そうものなら、遺留物なんて残さない。指紋の一つでさえ、残さない。
そんなものわざわざ残しておくあたり、犯人は狂人か、はたまた愉快犯か。
「で、本題はなんだよ、会長。先送りにすればするほど、不自然に見えるぞ」
「まあ、それもそうですよね……。じゃあ、単刀直入に言っておくことにしましょう」
『魔法師殺害事件』の真下に小さく文字を書いていく。アンセルの背中越しに、ボードから見え隠れする『ロキ』『監視』『警護』『交戦』――物騒な語群。
本題を書き終えたのだろう、アンセルはペンを置いて、こちらに向き直る。
「ええと、ロキさんに今回やってもらうのはこちらの業務です」
ホワイトボードに目を向ける。
『ロキ・ディケイオに、学院内の監視と、三学年次席のシグルーン・ファレンハイトの警護を依頼する。また、犯人なる人物との交戦も許可する』
静寂。
「あの、生徒会長? ――――なんか、前世から俺に恨みでも持っているのか? 確実に殺しにかかってるだろお前」
「殺すつもりは毛頭ないですよ? ロキさんなら対応できますかね、っていう確かな信頼ですよ」
「信頼っていう言葉をお前ほど軽々しく使うやつは初めて見たよ」
無茶ぶりが過ぎるのはいつものことだが、限度というものがあるだろう。
――いや、アンセルから言ってみれば、限度なんてモノはただの数値的な結果でしかない。
天才的な魔法師は、誰も彼もが頭おかしい。シグにせよ、アンセルにせよ、それ以外にせよ。
「確かに魔法が使えない身じゃ、無理が過ぎるかもしれないですね。だけど、ロキ君には魔法と代替できる技能がある」
「どうせ剣の技のことだろ? 物理攻撃じゃ、魔法とは太刀打ちできない」
「そうでもないですよ? 要は使い方です。――それに」
悪女は、静かにほほ笑む。
すがすがしいくらいに、明るい笑顔。
だからこそ、普段より格段に腹黒いと思ってしまう、思わせてしまう。
アンセルはいい加減この性格を直したほうがいい。周りから人が消えるだろうから。
「これは実験ですから。――そうでしょう?」
「ああ、そうだな。これは、実験だ。そう割り切ってやる。それで、おしまい」
この実験が終わるまでは、彼女のもとから消えることは許されなさそうだ。
あくまで、俺は被検体。『魔法不保持者への魔法技術の植え付け』という学会注目の研究の実験体。
リスクは限りなくゼロに近いし、俺もこの実験の成功で魔法が使えるなら構わない――ウィンウィンの関係とやらだ。
舌打ち。話についていけてないシグが首をかしげて、難しい顔をしている。
お前は知らなくていい。こう見えて物分かりがいい奴だから、一を聞いたら一〇はおろか、一〇〇は知ってしまう。
だから、今は黙っておくことにする。