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004

 人間味のない冷たさが肌を伝う。

 ――その感覚は、恐らく齢一二の人間にとって、耐え難い現実だったに違いない。

 手元の少女は既に、息をしていなかった。

 ああ、全てを悟った、到底、信じられそうにはなかったが。


「しん、だ……」


 ヴェルが、死んだ。

 言葉が枯れた。紡ぐべき言葉は失われた。死を悼む言葉は意味をなさない。そもそも悼まれるべき死ではない。


 もしも一言で彼女の死を例えるとしたら、『理由無き死』に尽きる。


 きっと、殺された当人も何があったのか、理解を得ぬまま息を引き取ったはずだ。

 俺が地下に着地するまでの三〇秒の間――一瞬ととれる間に起きた出来事とは。


 獣の目をした山賊が周りを囲んでいた。

 彼ら、いや――奴らが片手に握った松明が地下空間に明るさをもたらしていた。


 明るさの獲得と同時に、惨劇の形跡が浮かび上がる。

 ヴェルの血糊は、あたりを紅の湖沼に変えていた。

 地面に散らばった無数のナイフが、妖艶な松明の灯を乱反射している。


 ナイフは錆びきっていた。鈍らの切れ味では死ぬにも死にきれなかっただろう。殺すに殺せなかっただろう。

 だから、散々痛みつけられた。少女の魂をとどめさせながら、狂人どもは、容赦なく彼女をいたぶった。


 ――さっきまで威勢よく俺を煽って、悪賢い笑みを見せていた少女が、自分の腕で横たえている。


 その姿は、陳列棚に並んだ仏蘭西人形と大して変わらない。

 ああ、人形だ。自分の意志が消え、命が潰え、ただあるがままそこにある、人形だった。

 彼女の瞳に、光はなかった。

 錆びた色の瞳孔は視点が定まっていないはずだ。

 それなのにこちらを向いているって思えてしまうのは、ヴェルの生存を僅かながらに期待した俺自身の願望に過ぎないのだろうか。


 こころなしか、彼女の頬が綻んでいるように思えた。

 安らかに眠った顔は今にでも起きだしそうな――ありきたりな心情が漏れそうになる。

 口はつぐむ。死人に口なし、あるいは死人への言葉なし。

 それは全て、自身の勝手な願いに過ぎない。


「だれが、だれが……」


 彼女の生を願うのは、確かに俺自身の一願望に過ぎない。


 だが、ヴェル自身はこの結果をどう思っているのだろう。


 死ぬ直前の接吻は、何の目的だったのか。

 死ぬ直前に彼女が発した言葉は、何だったか。

 俺にはきっとわからない。

 答えがほしかった。


 どうして、こんな奇想天外で唐突な悲劇が生まれたんだ。

 どうして、彼女は死ななければならなかったのか。

 どうして、俺は泣いているのか。

 どうして、今――赤黒く煮えた感情が、思考を支配しているのか。


 頬を濁流のように 涙が流れていく。

 許せなかった。


「誰が、ヴェルを………………、ころし」


 許せなかった。

 この結末と、彼女の死と、眼前に立ちはだかった理不尽と。

 どうしようもなかった現実と、安直に選択を間違ってしまった自分が許せなくて。

 きっと、ここから先は、復讐とともに一種の八つ当たりに過ぎない行為だ。


「だれが、殺したんだ――」


 その答えはきっと俺自身だ。

 選択を誤った俺自身だ。

 それがしが何と言おうと、自分が背負う罪。

 だから、まず目の前にいる狂い猛った獣を葬り去らないと、いけない。

 腕に、ヴェルを抱えた。

 意思なき人形の彼女は、酷く重く、固まっていた。

 機械的な冷たさ、あらゆる事象を吸い込みそうな黒の瞳は虚空を見上げたまま。

 彼女は、俺を責めることをしなかった。最後に見せた微笑の理由を教えてくれぬまま、責めることができない身体になってしまった。


「誰が、殺した」


 一歩、涙のしずくが地面へと吸い込まれていく。


「殺した、殺した」


 二歩、三歩。涙を一拭い。一番に泣くべきは俺ではない。


「殺した殺した殺した殺したぁぁぁぁ!!」


 手元に五つ、炎を体現する赤、水の青、大地の緑、天空の白、冥界の黒――魔法の基幹たる全属性の魔方陣を顕現させる。

 指先に魔力を込めろ。体外に充満する魔力の空気を精一杯取り込んでいけ。



『万物よ、燃え盛れ。鬼火よ、瘴気を連れろ』



 体がきしむ音がする。無理矢理魔法を運用しているのだから、仕方のないことだが。

 ヴェルよりも才覚はないのは自覚済み。――今から放つのは、人体を破壊しかねない、滅びの歌。

 内臓への負担。体の内部、各器官が鎖で締め付けられたかのような痛み。

 冷ややかな脂汗がにじむ。魔法の詠唱に失敗すれば、自爆。そのあとに残るものは、詠唱者の死体だけ。



『百鬼を連れて、我道を征け』



 五色の魔法陣は、前に伸ばした腕によって一つの陣へと収束させられる。

 そして、魔法陣は二メートル超の巨大な円形へと変化した。 

 術式の完成形を想像。脳内の設計図と照らし合わせる。

 武人的な王が戦場をしもべとともに、闊歩する姿を想像。輪郭を整え、理想へと近づける。

 空気中から現在進行形で魔力を吸収。並行して、体内に蓄積した魔力を自分が作った理想の型に流し込む。

 ――術式を、紡ぎ、終えろ。



【König-Truppe geht ins Fegefeuer(王の一座は煉獄を征く)】



 全属性を束ねた、第一位階術式――最強の一角をなす術式。

 騎馬に乗った武人が、魑魅魍魎と言わんばかりの、奇怪な怪物の隊列を連れて魔法陣から召喚される。

 焔が、水流が、地割れが、雷撃が、瘴気が。一斉に地下空間を蹂躙していく。

 術式の効果が適用するのは熟達した魔術師であれど最長で一八〇秒。

 魔法の技能が未発達な俺自身が到底使えるような代物ではない。


(ああああああ!!!!焼ける焼ける焦げる燃える!!)


 右腕に急激な魔力の奔流があった。血液がほとばしる。毛細血管をぶち破りながら、魔力をひたすら陣へと供給する。


 ぶちぶちぶちぶち。不気味な効果音。背筋が凍る。構わず、魔力の激流が体中を蝕んでいく。


 自分の身の丈に合わない術式を運用するならば、当然、無理をすることになる。

 右腕の皮膚にところどころひびが入る。動脈に亀裂が入ったのか、赤の噴水が腕を汚していく。


 耐えろ耐えろ、耐えろ。焼き尽くせ、焼き尽くせ。


 知能のない人畜を食らい尽くせ。

 もはや、思考を巡らせるまでもなかった。

 刹那、腹部に鈍痛が奔る。鈍痛は連鎖し、体を駆け巡っていく。喉元をぬめりのある液体が熱くほとばしっていく。

 口元から勢いよく吐き出された鮮血を一瞥、内臓が破裂したことを悟る。


 鮮血がヴェルの白髪を汚した。縋るような思いで俺はヴェルを抱きしめる。もう、息なんてしていないってわかっているのに。


 持続する痛み。俺は、その場に崩れ去りながら、それでも魔法を操る右手は、差し出したまま。

 右腕は、魔力の奔流が生み出した焔に飲み込まれている。焼きただれた皮膚は穴ぼこで、穴の奥からグロテスクな筋繊維と薄い黄色の脂肪が浮き出ている。

 吐き気を寸前でとどめ、ただただ、焼き尽くすことだけを考える。

 術式が解けるのが先か、それとも自分の体が燃え尽きるのが先か。

 辺りに火花が舞っている。そういえば、この場所は倉庫だった。

 今まで、倉庫の備品についてさして調べていなかったが、冷静に考えてみると。


「しくじっ……た…………!」


 後悔と時同じくして、魑魅魍魎から吐き出された猛火が、倉庫の一角に積まれていた山積みの木箱へと引火した。


 そう、この倉庫の備品――燃えやすいものしかない。

 業、と激しく燃ゆる木箱。


 松明を捨てた山賊が一斉に俺へ襲い掛かってくる。だが、直前で召喚した怪物が山賊どもを飲み込む。養分を獲得した獣が、弱き狂人に向かって襲い掛かっていく。


 弱肉強食の逆転――今、この空間において、俺が負けることはない。

 ただし、魔法がかかっている間だけ、だが。


 炎のおかげで視界は一気に晴れ上がる。


 ――だが、同時に絶望的な光景が浮かんだ。


 そういえば、鉄錆の臭いが妙に濃かった気がした。


 木箱の一つが、完全に猛火に飲まれて骨子を破壊される。

 木箱の中には折りたたまれた死体が詰め込まれていた。

 周囲を見回す。ほぼすべての木箱から血痕が染み出ている。

 木箱一つ一つに死体がしまわれている光景を脳内から消し飛ばそうと、強く頭を振った。

 異様な光景。だが、構っている暇はない。きっと、山賊の仕業だと一蹴する。

 塔の中腹が崩れたことにより、木箱の塔全体が瓦解していく。瓦礫とともに灰と化した死体が山積みになっていく。


 まさに、地獄だった。


 塔一本の倒壊が、左右の塔を巻き込むと、ドミノ倒しの要領で崩れていく。崩壊する地下室の空間。燃ゆる炎は、刻一刻と俺の体力を奪っている。呼吸をすると喉の奥が張り裂けてしまいそうだった。胸にヴェルを抱え左手で口を覆いながら右腕で術式の運用を続けようとした。


 だが、既に運の尽きだったらしい。

 右腕は燃え尽きていた。可燃されるべき有機体の消滅――すなわち、俺の右腕はすでに灰になっていた。


 術式は軸となっていた腕を失った瞬間、地面に打ち付けられた陶器のように甲高い破砕音をもって崩れ去っていった。


 舞い上がった火の粉が崩れゆく木箱を飲み込んで、火炎が舞い上がっていく。


 召喚されていた魑魅魍魎を使えば消火もできただろうに。俺は敗戦処理もできず、ついに地面へと吸い込まれていく。


 酷く、酸素が薄かった。

 自分の体が揺らめくのを感じる。気が付けば、周りに山賊の姿が――、背中に何か鋭いものが突き立てられている。


 灰になった右腕でヴェルの髪をなでようとして、右腕がぼろぼろ、こぼれて、消えた。

 鈍い痛みが心臓を貫く。耳元で感じられていた鼓動が、今――ゼロに還元される。


「ご、めん、な――ヴぇ、ル」


 酸素の低下、思考の欠如、注意散漫。それでも、ヴェルは離せなかった。最後に残った僅かな思考時間をもって、ヴェルを抱きしめ、そして離さなかった。


 離せなかった。離したら、それこそ彼女は報われない。ひとりぼっちにしたら、駄目だ。言い訳考えるために鮮血を使うのがもったいない。


 ああ、やっぱり俺は、ヴェルのような才能なんてなかったよ。彼岸の世界で、それはもう毎日のようにけなしてくれよ。

 何もなせずに、眠りについてしまうような愚かな、ロキ・ディケイオを。 

 ――最後、頭の中に残っていたのは自嘲だったと覚えている。


※ ※ ※


 実をいうと、この後にも続く話があるらしいが、俺自身も記憶があいまいでほとんど思い出せていない。

 ただ、一つ言えるとしたら、ロキ・ディケイオは生きて、ヴェル・ディケイオは死んだということだ。

 たったそれだけの話だけど、そんな単純な出来事が、大人になった今でも俺を苦しめているのには変わりない。

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