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002

 [1]


 ――日常茶飯事だが、慣れないものは、慣れない。

 胸をまさぐる激しい痛み。動悸が激しい。しとどと、汗が頬を流れていく。夢の中で何度も、何度も、死なない程度であらゆる傷を負わされる。拷問のような、尽きることない激痛に苛まれ、息絶えていく。

 慣れないし、あんな臨死体験、生身の人間が慣れちゃ、いけない。

 朝は憂鬱だ。

 目が覚めても、この痛みが続くのではないかという恐怖感が、正気を食い散らしていく。

 ベッドから起き上がる。身体が鉛の重たさを帯びていた。胸の痛みは既に消え去っていたが、怠さだけは簡単に逃げてくれない。ビタミン剤を呑んで誤魔化そうとしたが、昨日までで錠剤の瓶が空になったことを思い出す。

 実家からの仕送りが配達されるのは一週間後、日雇い稼ぎは数を抑えたい。研究の時間が削られるのは御免だ。

 窓から差し込む日差し。憎いぐらいに晴れ渡っている。壁にかかった丸型時計は、手動だから多少の誤差は生じるが、だいたい午前七時を指す。

 つまり、ヤツが来る。――爆音と共に、


「おうおう、ロキ君。朝だよ起きろ、ご飯奢って!」


 木製の扉が部屋の宙を舞って、床へ着陸すると同時に、へし折られた。当然、ノックはない。べぎぃ、といかにも修復不可能そうな玄関(享年一日)の断末魔だった。

 玄関に砂埃が舞う。この惨状を片付けるのは、無論、俺の仕事だ。嗚呼、やはり、朝は憂鬱だ。

 開けっ放しになった玄関跡地からずかずかと部屋に入ってくるのは、若緑色のショートヘアが揺れる少女。ヒスイ色の瞳は獲物を見つけた猛獣の如く。口から垂れるヨダレも相まって、……完全に肉食動物。即刻、捕食態勢だ。

 これもまた日常茶飯事だが、ヤツこと、幼馴染のシグルーン・ファレンハイトは、俺の借りているアパートメントの一室、その玄関を、文字通り、蹴破って侵入してくる。

 背の低い童顔で見た目は幼い少女そのものだが……、その外見に付け込んだ何人ものナンパ男は、物理的に撃退されている。木っ端微塵に粉砕された、というのが正しいだろうか――たった一つの繊細そうな拳で蹴散らされたのだ。


「ううん、今回のドアは殴り心地が足りないな」

「玄関に殴り心地を求める女の子なんて初めて見たよ俺」

「木製のドアって水分吸い取るから、どうしても打突音が締まらないんだよね」

「お前の玄関殴りへのこだわりとかどうでもいいから」


 今度こそ金属製――、チタン合金の玄関を据えつけてしまおう。

 どうせ買うのは俺じゃないんだ。いくらかかっても気にしない。


「できれば、今度はチタンのドアにしたいな」

「……あの、シグ? まさか俺の心を読んだ?」

「なんだ、ロキ君もそのつもりだったんだね! 気が合うな!」

「ドアの素材合わせで気が合うのとか別に嬉しくないからな! そして、俺の部屋を勝手に壊すな、シグ!」

「弁償代はちゃんと払っているけど、ロキ君?」


 事実だが、まず玄関を壊す行為そのものをやめていただきたい。いくら、貴族であれ、金の使い方が雑すぎる。玄関買う金でもっと、別のものを買ったらどうだ。


「チタン製ドアをぶち壊したらね?」


 女の子っていうより霊長類っていうジャンルで捉えた方がいいと思うのだ、シグについては。ちょっとは自分の身体のことを気にしろよ。あと、チタン製ドアは買って壊すことが決定しているらしい。五指が骨折しても、当方は責任をとらないので悪しからず。


「……毎日毎日、玄関壊される大家さんの気持ちになったことはあるか?」

「むしろ全部屋、滅茶苦茶にぶち壊して、建物ごと改装したいって言ってたよ、大家さん。勿論、代金はわたしが払わなきゃいけないからすぐ断ったけど」

「大家さん豪快過ぎる。あと、お前、代金払わなくてよかったら壊していたのかよ」

「気分次第だね。ぶっちゃけると面倒臭いし、煙たいのはあまり好きじゃない」


 身勝手過ぎるのは、家柄が上級貴族であることに起因しているのだろうか。気分とカネの事情を加味して、一年前だったらシグはきっと、このアパートメントを全壊させていただろうと思う。


「最近じゃ師匠――お前の母さんだって、北国の領民まかなうので赤字スレスレって言っていたはずだろ? 確か、北の方は何年か不作が続いていたんだっけな。一応次期領主なんだから、節制しとけよ」

「だから、玄関だけにしておくの。母さんも了解済。これも経費削減ってやつだよね?」

「玄関壊す経費なんていらねえよ、普通は。というか、玄関を壊さないという選択肢はないのか? もっと、女の子って服とか、化粧とかお洒落に金を使うのでは?」

「そんなことは、ない! あと決して、今まで全くお洒落に気を使ったことが無いから服選びとか化粧のオススメとか何も分からないとかそういう訳では」

「俺が服選び手伝ってやるから! 玄関ぶち壊しは止めてくれ」

「ロキ君が一緒なら心配ないね! チタン製ドアは壊すけど」


 チタンにこだわらなくてもいいのでは? という疑問を投げかけても無駄だろう。我が幼馴染は変なところに妙なこだわりを持つ。


「さあさあ、今日も今日とて奢ってもらうよ、ロキ君!」


 金欠の学生に奢らせる貴族の屑とはまさに。これが無意識だから、また、手に負えないのだ。

 背伸びをしながら、キッパリとした口調で宣言したシグは既に、床を強く踏み、ベッドに向けて飛び上がっていた。――なんというか、この少女は、成長の二文字を知らないらしい。


「隙あ「何が『隙あり』だよ、阿呆!」


 空中から襲い掛かるシグルーンの動きは慣れ過ぎたからか、静止しているかのようだった。昨日も一昨日も、その前も、同じ決め台詞、同じ軌道を描いて、ベッドへ落下してくるものだから、俺も通常通りに仕留めることにした。

 ベッドまで三〇センチまでシグが落下してきたところで、彼女を布団の中に巻き込む。暗闇に飲み込んだ途端に、『うっ』というシグの呻き声が聞こえたような気がしたが無視し、彼女の両脇腹に五指を忍ばせる。同年代としては小柄な少女は身体を小刻みに振動させている。構わず、両脇腹を蹂躙した。

 玄関の断末魔の後は、大抵決まって、シグルーンの断末魔が建物全体に響く。おかげで隣人どころか他の部屋の住人も全員転居したらしい。シグルーンが多めに家賃を払ってなかったら多分、俺はこの部屋から永久追放されていただろう。

 断末魔が、鳴き声交じりの喘ぎ声になったところで官能的な雰囲気になってきたので、毛布を取っ払う。二人して、寝床で息を荒くする。汗が滴って、ベッドを濡らしていく。卑猥な絵面だった。


「そ、そもそもわたしがカネの力で大家さんを篭絡しているおかげで、ロキ君の家賃がタダなんだよ? ちゃんとわきまえてよ、ね?」


 布団から顔を出したシグの顔は、熟れたみずみずしい林檎だった。

 彼女の弁明は確かだ。シグが金持ちのおかげで、俺は一切家賃を払わずに済んでいるし、とある研究を続けることができているのだ。


「毎度のことだが、感謝している」

「シグ様は天使より天使なシグ様です?」

「ごもっともです」

「だったら、朝ご飯奢って?」


 上目遣いじゃなくても、奢るのだが。むしろ、奢らざるを得ないのだが。奢らなければ今度は、窓を壊すかもしれないし。どうせ、シグのやつ朝食買う金なんか持ってきてないだろうし。いわゆる、予定調和、というやつである。

 それと、どうでもいいのだが、


「シグ様は天使より天使なシグ様ですとか自分で言ってて恥ずかしくないのか?」

「も、黙秘権を行使しましゅ」


 ……ツッコむと、財布の中身が朝食だけで空になる気がするので自重しておこう。

 

[2]

 聖樹帝国の街並みは、朝昼晩問わず賑わいを見せている。人口は、一億と数千万。他国に比べたら人口は限りなく少ない方だ。が、行き交う人々の流れは他国に増して激しい。

 地方都市から流れ込む物資や人々の終着点にして、この世界の中枢を担う国家こそがこの国であった。


「シグ、食いたいものはあるか?」

「いつもの」


 言葉短く、シグが答える。反射的に購入すべきべき品物を定める。どの店がいいのか、っていうのは二の次。


「ハムチーズの挟まったサンドイッチか。毎日食っててよく飽きないよな。少しは別の具にも挑戦すれば?」

「面倒臭いし、それに、……この味がいいの!」


 朝食選びは、いつも俺の方が時間をとる。シグは『とりあえずハムチーズサンドイッチ二切れ』で事足りてしまうからだ。


 たまに機嫌が悪いと、二切れが六切れになるくらい。庶民的な学生だと財布に響くから、シグの機嫌は飯(あるいは間食)の前に直しておくのが身のためだ。

 シグに目当ての品物を買った後、俺はポルロクの唐揚げを買うか、トルティーヤを買うかの二択で迷ったあげく、後者を選んだ。既にサンドイッチ二切れを食い切りまだ腹を鳴らしていたシグに半分分け与えると、


「ロキ君って、いつも風変わりな食べ物しか食わないよね。昨日は、マクノウチ弁当とやら。一昨日はオムライスだっけ?」

「たまに、魔法歴史学から逸れて、普通の歴史学に手を出すのだが、――古代の人間は今よりも美味しい料理を作ってたんだな、と思って」

「サンドイッチ、美味しいよ?」

「さすがに毎日サンドイッチは飽きる。最近の人間は、魔物が調理できることを分かった瞬間から、魔物メインの食事に変わった。最近じゃ、古風な技術で、器用に調理するやつは喫茶ディリスの犬野郎くらいだろうし……」

「美味けりゃ、大団円じゃないかな?」

「美味かったら文句は言わないだろ。魔物料理は、調理が雑なことも合わさって油がギトギトだ。味も濃すぎて途中で飽きる」

「食通じゃん」

「……確かにな」


 古い時代では、さも当たり前のように味のさじ加減とか、余分な脂の拭き取りとか行っていたはず。絶滅寸前の、『和食』とか呼ばれる極東地域の伝統料理がいい例だ。


「魔物狩りだったりするには、とりあえず筋肉が必要だし。それに腹ごしらえはすぐにできた方がいいでしょ? だから、無駄な調理は省かれた、多分」

「魔物狩りか……。全ては二つの隕石がもたらした結果、ということか」


 ――四〇〇年位前だっただろうか。地殻変動が進み、ぺルム・三畳紀よろしく、パンゲアのような超大陸が出来上がった地球に、二つの隕石が地球に衝突した。隕石といっても、恐竜を死滅させる程度の巨大なものではない。

 それらの隕石は、以後、科学の衰退を導き、人類を新たな次元に誘った二つのタネだった。一方は南極地方に、もう一方は、かつて油田として名が知られ、現在は陸地となった場所、古代ブリテンを中心として西洋諸国の連合体で結成された聖樹帝国の中心部――北海の跡地に。


「……魔法の開発、科学の衰退とともに、人間の退化が著しいな。もっと、こう美味しいものなんて身近にあるっていうのに」

「ごめん、わたし、机に向かう勉強の方はからっきしだから、ロキ君が何言っているか分からない」

「そういえば、そうだったな。こういう難しい話ができるのも、犬野郎と生徒会長くらいか」


 生徒会長は腹のどす黒さから、犬野郎の方は口の悪さからどっちも長話はしたくないタイプだったが。

 北海跡地に墜落した隕石、もといタネが一〇年の間に大気圏に達する程度に成長して、今こうして春の木漏れ日を街に与えている。これが、帝国の名の由来である聖樹の発生したゆえんである。


「南極に落下した隕石は、南極大陸を飲み込んで地殻まで根を生やした――さすがにこの後の展開くらいはシグでも分かるだろ?」

「南極の隕石には霊峰のタネと一緒に異星人の集団が入っていた。それを知ったのは、隕石衝突から一〇年後の南極航海で、その時には既に、南極に非合法の国家が創られた後だった、だっけ」

「正解。というか昨日の講義内容だから当たり前か。で、それが俗にいう魔界で、異星人は魔族という括りに入れられた。――話が逸れたな。そもそも何の話だっけか」

「ロキ君って食通なんじゃ……? という流れからどうして歴史学の説明に繋がるかな」


 それもそうだ。俺は、半分になったトルティーヤを食い切る。


「ともかく、朝から脂っこいものは好まない。古代から守られてきた伝統料理のちょうどいい味加減を見習った方がいいって話だ」

「完全に食通だね、ロキ君」


 ちなみにディリスの犬野郎も同じようなことを言っていた。達者な言い分も彼の発言を引用したに過ぎない。


「さて、腹ごしらえも済んだところで」

「最初の講義までまだ一時間も時間があるよ? 何する?」

「お前はどうして、もっと遅い時間に起こしに来ないかな?」

「わたしの体内時計が七時ちょうどにロキ君を起こせってうるさいんだから仕方がない」


 何だその習慣。道理で、休校日でも七時に起こされるわけだ。


「ともかくだ。俺らは暇で仕方がない。さて、ここで問おう――暇潰せる場所ないかシグ」

「暇は潰せないけど、ロキ君の金で新聞買ってきた」

「お前いつの間に俺の財布を抜き取った」

「なんか号外ってお得感ない?」「号外って普通、タダなんじゃないの? まさか君、金取られたの?」「二ドルほど」「トルティーヤ一個分じゃねえかボッタクリだ!」


 財布の底が見える。昼飯どうしようか、途方に暮れる。(口が悪い割には)財布に優しい犬野郎の料理でさえ食えるか分からないくらいには金欠だ。


「大丈夫だよ、昼はわたしが出してあげるからー。気にすんなよー」

「そもそもお前がボッタくられていなかったら、気にしてねえよ!」


 上級貴族の金の価値観なんか庶民の俺からしたら未開の地でしかない。


「金がないけど、時間が有り余ってる、か。……もう、図書館に篭ってしまおうか……」

「わたしの家に寄って、少し身体でも動かさない? って言いたいところだけど微妙な時間だし、朝からフルで体動かせないでしょ?」

「まず俺は、昼飯食ってから、冬季集中稽古ぶりに師匠との稽古が入ってるからな。無駄な体力は使いたくない」

「まあ、稽古の場所はわたしの家の庭だけどね」


 俺が師匠と呼ぶ人物は、同時にシグの母親でもある。豪快な人物像はそのまんまシグに継承されているようだった。――剣の腕も、である。

 元々は、俺の母親が世界的な知名度が高い鍛冶師で、その常連だったのが師匠。母親繋がりで、シグとも知り合った。多分、その頃はまだ、俺も魔法が使えていたはず。


「まだ、魔法使えないんだ」

「恥ずかしながら、な」

「ロキ君の魔法、結構繊細で、わたしは好きだったんだけどなあ」

「こればかりは解決策が一向に見当たらないんだ。すまない」

「謝ることじゃないでしょ。今は、解決策を探すしかないんだから」

「その解決策とやらを探って二年。得られたものはほとんどないんだけどな。生徒会長に手伝ってもらって、ようやく一個見つかりそうなくらいだ」

 俺は、六年前、一二歳の時、ある事件を境に魔法が完全に使えなくなった。

「手がかりは、事件の記憶と、あの事件の翌日に発見した背中に刻まれた、文字列の傷の正体解明。生徒会長が古代文字研究の講義を取ってたことが幸いしたな」


 おかげで、八割以上、傷の謎は解けている。

 あとは記憶を頼るしかない。


「記憶、か・・・・・・。わたしが思うに、ロキ君の一番古い幼馴染みちゃんが関わってる気がする」

「そりゃ・・・・・・、あの事件の最大の犠牲者はアイツだからな」

 アイツ。俺の故郷での幼馴染であり、同時にあの事件で最悪の結末を迎えた少女のこと。

「俺の記憶もイマイチはっきりしているわけじゃないが、きっとアイツが引き金となって、俺の今の状態があるんだろうって思ってる」


 そういえば、アイツは。

 死に際に、俺に向かって何を語った?

 暑い抱擁。冷たくなる身体。刃。多量出血。あと、何だろう。とにかく、全ての鍵を握る出来事が一ピースだけ欠けて、辻褄合わせができない。

 結局、アイツは何を言おうとしていたんだろう?

 声にならない声が、灯火を失っていった少女から、放たれることなく空気に散ったのだ。俺は、その一言を逃してしまったことを今になっても後悔している。


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