第8話 新たなる決意
俺は今、自宅の玄関に座り込んでいる。
夏帆から逃げた俺は、一心不乱に走り、ほどなくして自分の住まうマンションに辿り着いたのだ。
夏帆が襲われた場所から後少し・・・。 そう、後少しの距離だったのだ。
俺は、それに安堵し、油断してしまった・・・。
「俺の所為だ・・・。 俺があの時、気を抜かなければ! そしたら、夏帆を死なせる事にならなかったのに・・・!」
俺は叫び、背負っていたボディバッグを壁に投げつけた。中から、小さな箱が零れ落ちた。
それは、夏帆にあげるはずだった指輪だった。
「これも、無駄になってしまったな・・・」
俺は立ち上がり、箱を手に取り握り潰した・・・。
ドンッ・・・!
俺は箱を握り潰した手で壁を殴り、その場に泣き崩れた。
自分の無力さと、不甲斐なさに憤りを覚えながら泣いた・・・。
ヴーーーッ ヴーーーッ ヴーーーッ
ボディバッグの中で携帯が鳴っている。俺はそれを無視した。
こんな状況だ、俺の安否を確認するために親か友人が掛けて来たのだろう。
だが、今は電話に出る気がしなかった。
俺は、暫く廊下に蹲って泣いていたが、やがて力なく立ち上がり、覚束ない足取りで部屋に向かって歩く。
途中、洗面所の鏡が目に入った。
「ひでぇ顔だな・・・。」
そこに写っていたのは、夏帆の血と、己の涙で汚れ、みすぼらしく酷くやつれた顔だった。
俺はそのままフラフラと歩き、自分のベッドに倒れこんだ。
俺はベッドの上で、またも溢れてくる涙を拭う事なく泣き、いつのまにか眠りに落ちていた・・・。
ヴーーーッ ヴーーーッ ヴーーーッ
廊下で携帯が鳴っている。硬いフローリングのに落ちているため、振動音が鳴り響く。
俺はその音で目が覚めた。
「夢だったら良かったのに・・・」
俺は自分の手を見て、血まみれである事を確認し、呟いた。
ベッドから立ち上がり、廊下に歩き携帯を手に取り確認する。
着信が15件、実家の家族と友人からだった。
昨夜に比べ、若干落ち着いていた俺は、実家に電話をかけ直した。
親はすぐに電話に出た。
「誠治!あんた無事なの!?昨夜、ニュースで関東方面で大規模な暴動があったって・・・! 何度電話しても出ないから心配で・・・」
母だった。焦った様な声音で少し震えていた。俺からの電話に安堵し、泣いているようだ。
「あぁ・・・ごめん、なんとかね・・・。こっちは酷い状況だよ・・・。そっちは大丈夫?」
俺は力なく答え、向こうの状況を聞いた。
母の話しによると、今回の事件は関東方面を中心にして爆発的に広がっているらしい。
政府は非常事態宣言を発令し、関東周辺の住民に避難勧告を出したそうだ。
自衛隊も各地で暴動鎮圧と救助を行っているらしいが、状況は宜しくないらしい。
北海道、四国、そして俺の実家のある九州は受け入れ体制を整えているとの事だが、日が進むにつれ難しくなるだろう。 人が多過ぎるのだ。
「あんたも無事なら、夏帆ちゃんを連れて早くこっちに避難しなさい!」
俺は母のその言葉を聞いて言葉に詰まった。
そして、喉から絞り出す様に母に言った。
「夏帆は・・・死んだ・・・」
俺がそう伝えると、母は電話の向こうで絶句した。
母は夏帆と仲が良かった。彼女を実家に連れて行ったのは3回ほどだったが、母は実の娘のように夏帆を可愛がっていた・・・。
「そんな・・・何であんなに優しい子が・・・」
母は泣いている。
俺は、昨日あった事をゆっくりと母に語った。 俺は、自分の所為だと涙を流していた。
「あんたも辛かったね・・・。 今は辛いだろうけど、あんたはしっかり生きなさい・・・帰って来なさい・・・!」
母が励ましてくる。
「夏帆ちゃんは笑顔で亡くなったんでしょう? 私は、あの子はあんたを恨んでないと思う・・・。 あの子は優しい良い子だから、あんたに生きていて欲しいと思ってたはずだよ!? だから、あんたは亡くなったあの子の為に生きなさい!」
俺は、母の言葉を聞いて声を出して泣いた。母は俺が落ち着くのを、ただ黙って待っていてくれた。
「ごめん・・・ありがとう・・・」
俺は鼻をすすりながら母に感謝した。
「しっかりしなさいよ! あんたまで死んだら、夏帆ちゃんが哀しむよ! 私達は待ってるから、ちゃんと戻って来なさいね!」
母は俺にそう言って、名残惜しそうに電話を切った。
壁に掛かった電波時計を見ると、9時半を回った所だった。
俺は立ち上がり、洗面所に向かった。
服を脱ぎ、シャワーを浴びる。顔や手にこびりついた夏帆の血と、自身の涙を一緒に洗い流した。
俺は決意した。 後悔の念や、自身に対する憤りも、血と涙と一緒に洗い流した。
生きる為に、家族の元に帰るために闘おう・・・! そして、死後の世界があるのなら、彼女に会えるのな、あの時の事を謝って、話をしよう。
俺がこれから、どの様に生き、どの様に死んだか・・・、最期の時まで微笑みかけてくれた彼女に、恥ずかしくない人生を歩んだと報告出来るように・・・。
俺は、部屋に戻り旅の準備を始めた。
バイク用に買ってあった立ち襟タイプのダブルライダースジャケット、チャップス、エンジニアブーツで身を固め、フルフェイスのヘルメットを被った。
太腿にはレッグポーチを着け、鞘の付いた柳刃包丁を差し込む。
最期に、数日分の食料と水、彼女と付き合う切っ掛けとなった本を入れたバックパックを背負い、部屋の端に置いてあったトートバックを肩に掛けた。
準備を終え、家を出ようと廊下に行くと、足元で何かが光った。
彼女に渡そうと準備していた婚約指輪だった。俺はそれを手に取り、ジャケットの胸ポケットにしまった。
俺はマンションの外に出た。
最初の目的地は既に決まっている。
夏帆の所だ。
俺は昨日、転化した彼女から逃げ出してしまった・・・。
彼女をこのまま放っておけば、誰かを襲うかもしれない・・・。
例え死んでしまったとしても、心優しい彼女に、そんな事をさせる訳にはいかない!
俺の手でケジメをつけよう・・・他の誰でも無い、彼女を愛した俺の手で!