終わりの終わり
佐島は政治家になった。
能力は元々高いのですぐに上にいった。
しかしそれをよく思わない者がいたのもまた
事実であった。
その後十数年が経ち、佐島は大物と言われる
政治家になっていた。
現在は官房長官をしている。
その前には党幹事長、外務大臣、財務大臣を
歴任した。
今最も総理に近いと目されていた。
年齢は56歳、当選回数は7回驚異的な出世の
スピードだった。
安田総理の長期政権が終わりの頃に佐島は、
自由進歩党の最大派閥、三日月会を継承した
。
そしてこの年に安田総理は退任することにな
っていた。
そこで佐島は今だ!
と思い総裁選に出馬することにした。
国民の認知度は佐島は高かった。
程なくして反対論を押さえ込むような形で佐
島は総裁に就任した。
その2日後に正式に内閣総理大臣に就任した。
総理に就任してからは、大きな政策を打ち出
し実行した。
勿論反対意見もあったが強引に成立させたり
もした。
外交においても、各国首脳と蜜月と言われる
くらいに親密な関係を築き上げた。
そうしたこともあって、国民の人気は高かった。
そうして安定した政権を10年続けていた。
まだまだ支持率は高く10年目にも関わらず
60パーセントを超える支持率を持っていた。
ここまで長くできたのも支持率があったからだ。
しかし佐島ももう66歳いつ総理の椅子を退く
かも考えないといけない時期に入ってきてい
た。
しかし現状としてまだまだ続けることにした。
そうしてさらに四年が経った。
支持率は少し落ちているが50前後はあった。
そして政権は14年目に突入していた。
この時点で世界でもかなり影響力のある政治
家になっていた。
この年に党の総裁選がある。
佐島は悩んでいた。
出馬すればほぼ確実に再選する。
しかしもうそろそろ引き際なのではないか…
と。
そして佐島は側近に悩んだ結果を伝えた。
そのあと閣僚や党幹部にも。
絶対に漏れないようにして欲しいともいって。
一月後に迫った主要7カ国の会議があった。
これは日本で開かれることになっていた。
佐島はその議長を務める。
運のいいことに4回目だ。
その会議が終わり条約を締結してから、退こ
うと佐島はした。
そして会議も成功した。
そして条約も国会で認証された翌日、佐島は
緊急記者会見を開いた。
そして一言目に「本日はお忙しい中、緊急記
者会見をすることをお許しください」と言っ
た。
そして国民に直接話したい。
できることなら、生放送にして欲しいと言った。
そしてついに、「私は、この14年間一心不乱
に日本という国をより素晴らしい国にするた
めに総理大臣として努めてまいりましした。
国民の皆様の支えもありこのような長期にわ
たる政権を作り上げることができました。
ひとえに感謝しかありません。
しかしあまりにも長すぎる政権も後継者不足
となります。
その上で私も70歳を超えました。
もう昔ほど体も機敏に動きませんし体力も落
ちています。
これ以上総理であり続けるのは、老害にもな
りかねません。
たとえ自分ではそうおもたていなくても、そ
うなってしまうことがあります。
今現在政局は非常に安定しております。
外交につきましても、大きなことはひと段落
したところであります。
私が行おうとしたきたことは、全て成し遂げ
られました。
今ここで退かないと、また大きなことに手を
つけてしまい、退きにくくなります。
その上に今年は自由進歩党の総裁選があります。
出馬してしまうと欲が出ます。
おそらくあと10年はやろうとするでしょう。
そのようなことはしたくはありません。
私はもう公認の指導をするべき存在となって
いるのです。」この時点で佐島は涙を流していた。
「……以上の理由より私佐島圭二郎は総理大
臣の職を辞することといたしました。」
佐島は大泣きして声を震わせながら言った。
そして最後に「国民の皆様、今まで私たち佐
島政権を支えてくださり誠にありがとうござ
いました」。
この後に質疑応答があった。
「私は、日読新聞の中山です。」
そう言われた瞬間に佐島は驚いた。
なぜなら中山は今日読新聞の社長だったから
である。
かつての部下がしつもんしているのだの。
「総理お疲れ様でした。
そしておせわになりました。
さて早速ですが、先程総理は辞するとおっし
ゃっていましたが、議員は引退しないのでし
ょうか?」
佐島は「まだしばらくは致しません」
中山はもう一つ質問をした。
「総理は次の総理は誰がいいと思っておられ
るのですか?」
佐島は「私が言ってしまうとそのひとになる
かのうせいもあるのでの、総裁選が終わって
からいうことにいたします。
その後も様々な質問があった。
そして記者会見が終わった。
記者達は一斉に帰ったが一人残っていた。
中山だ。
佐島は中山のところまで行くと、「社長なん
だろ?こんなところにいていいのか?」と聞
くと「佐島さんがこの時期に緊急記者会見を
開くのは佐島さんの性格からして、辞めると
いうこと以外考えられませんでした。
部下には久しぶりに取材してくる。社長が取
材できなくてどうする!?たいって来ました
よ。」
「ただ先輩の男気を見たくてそれだけでここにいます。」
佐島は「そうかありがとう。また空いている
時にでも飲もう。今日はありがとう」
そう言って別れた。
佐島はその後75歳で議員も引退した。
引退してからは講演会などをしているが基本
的に金はあったので現役時代に仲の良かった
、アメリカの大統領やそなたいろんな人によ
く遊びに行った。
もちろんいくばかりじゃなくて日本に来ても
らったりした。
その時はこぞってメディアは取り上げたが、
相手はみんなこう行った。
佐島の家に遊びに来たと。
警察からして見たら迷惑だ。
主要国の元首脳が一つの建物で宴会をしてい
るのだから。
でも余生の楽しみ方としたは良かったはずだ
と思っていた。
佐島のところには引退して10年経っても議
員が相談しに来ていた。
その度佐島は言っていた。
考えろ、考えるだ!と言ってすぐにお前なら
どうするんだ?国民がどう思うんだ?
そう言ってすぐに意見を言わせた。
そしてそれが国民のことを思うと言うんだ!
と言ってた。
佐島はそんなことをしながら過ごした。
そして政治家引退から32年後佐島は107歳
で永眠した。




