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Ring me!

作者:


 音楽ってのは読んで字のごとく、『音』を『楽』しむものだ。

 英語でも演奏することを ” play ” って言うし、きっと大型動物を追いかけてたような大昔から、人間はこの世界に溢れてる音で遊びまわったんだろう。

 今、体育館ステージで鳴り響いてるのは俺のギターと、藤井のベースと、元木のドラムだけ。文化祭が始まったばかりの朝一番の時間帯に客なんてほとんど居ないけど、それでいい。そのためにステージ枠の抽選なんて参加せずに、わざと一番人気が無い余りの枠に入ったんだから。

 弾き始めた時の原曲の形なんてもうどこかにいってしまって、それぞれが好きにアレンジしながら自分たちだけの形に変わっていく。

 閑散とした客席とは裏腹に、スポットライトに後押しされるようにステージの熱がどんどん高まっていく。体は熱くなるのに、感覚は一層澄んでいくみたいだ。

 指使いや体の運びから奏でられる音が、自分の思い描く音と一致した時の快感。自分が楽器と一体になったみたいな錯覚。

 2人と視線が交わって無意識に笑みが浮かぶ。きっとあいつらも同じ感覚だ。

 アドレナリン過剰。頭が焼き切れる一歩前。流れる汗も構わない。熱い。あつい。楽しい!!


 ――まるで俺は今、自分自身を鳴らすために存在してるみたいだ!

 

 最高潮のテンションでふと客席を向いた時、真っ直ぐに自分を見つめる強い視線とぶつかった。

 暗くて見えづらいが、文化祭実行委員の腕章を腕に付けた女子だ。

 それが同じクラスの高梨百合子だと、俺は今日中に知ることになるのだった。







 シャンシャンシャンシャンという音と共に軽やかな足音がだんだんと近づいてきたと思ったら、B校舎5階の隅にある軽音楽部の部室の前でシャンッ!と止まり、扉が勢いよく開かれた。

「2年B組、高梨百合子です!軽音楽部に入部希望します!」

 眼鏡に二つ結びの黒髪おさげ、文化祭実行委員の腕章をつけたままの高梨は、とても良い笑顔でそう言った。

「……はあ?」

 俺、棚橋たなはし ようはその訳の分からない光景に思考が止まった。怪訝な顔で聞き返した俺を誰も責めることはできないはずだ。

 高梨はそのいかにもなスタイルに違わず、2年B組のクラス委員長である。

 同じクラスで出席番号が男女で同じというくらいで、勉強重視のお堅い進学校であるこの高校で軽音なんかやってる俺と、優等生の高梨とはあまり交流が無い。常に成績上位で明るくて面倒見のいい姉気質、クラス委員以外にも色々と委員会やってるから確か部活には入ってなかったはずだ。

 それがこんな子供みたいに興奮して、たった3人しか部員のいないこの軽音部に入部したいなんて、普段の高梨のイメージからかけ離れすぎている。

 っていうか。

「あのさ、それ、何?」

 ずっと気になっていた、高梨が胸に抱えたモノを指差す。

「なにって」

 すると、高梨はシャンッと音を鳴らして得意げに俺の目の前に掲げた。

「タンバリンに決まってるでしょ!」

 その満面の笑顔に、俺は頭を抱えた。タンバリンて。タンバリンて!

 そうだよな、ずっとシャンシャン言わせながら廊下走って来てたもんな!俺の見間違いじゃなかったんだな!

「私ね、今日棚橋君たちの演奏見てすごく感動したの!だから軽音楽部に入部します!今日、実行委員の仕事終わるの待ちきれなかったー。あ、ここの部長って誰?」

「俺だけど……」

「よかった、棚橋くんなんだ!同クラのよしみで、どうぞよろしくお願いします!」

 文化祭一日目も終わりに近づき、すでに朝の体育館ステージで燃え尽きていた我々軽音部のゆるいテンションは、ツッコミ所満載の高梨についていけないでいる。数少ない部員である藤井と元木の驚き顔も(マジかよ……)と語っていた。

 とにかくなんとかしろ、みたいな無言の圧力を2人から感じ、どうしろってんだよ……と思いつつ、とりあえず高梨から話を聞くことにした。

「あのさ、高梨って何か楽器できんの?……タンバリン以外で!」

 シャン!と高梨がタンバリンを抱え直したのを見てすかさずツッコんだ。高梨は何故か残念そうな顔をしながらタンバリンを下げる。

「んーんなんにも。強いて言うなら幼少のころに鍵盤ハーモニカとリコーダーを少々って感じ」

 つまり幼稚園と小学校の音楽の授業程度の経験ってことか。

「でもそんなに上手じゃないし、他に何か私にもできる楽器ないかなってさっき音楽室漁ってたらコレ見つけてさ!これならなんとかなるんじゃないかって思って!」

「パーカッションでいいなら別に軽音じゃなくて吹奏楽部とかでもいいじゃん」

「それじゃちがうの!」

 突然、真剣な顔で詰め寄られた。驚いた俺に構わず、高梨は自分の記憶を思い出すように言葉を選びながら語りだした。

「あのとき、棚橋君たちがいたステージはなんて言うか、一つの世界みたいだった。私はわけがわからないまま、どんどん楽しそうに盛り上がっていく3人の演奏から目が離せなくなって……上手く言えないけど、自分たちの世界を自在に遊びまわっているような棚橋君たちを見て、棚橋君たちと一緒に演奏できたら絶対に楽しいだろうなって思ったの!」

 選んだ言葉をつづりながら次第に興奮が高まっていく高梨の、その真剣な言葉と真っ直ぐな瞳に、思わず心が揺れた。

 この軽音楽部は音楽好き同士の仲間で作った部活だった。設立時も学校からはあまり良い顔をされず、隔離するかのように部室も人通りの少ない校舎の端だ(音に気を使わずに楽器もできるし、結果オーライだったが)。

 好きなように曲聞いて、好きなように楽器やって、そんな感じで気楽にやってるこの部に満足してるから特別部員募集もしてないし、新入生歓迎会の部活紹介だって不参加だった。文化祭のステージに出たのも、部活動としての実績が必要だと言われたから出ただけで、誰かに聞いてもらうつもりでやったわけじゃない。

 だけど、そんな俺達が好き勝手楽しんで熱くなってるのを見て、このロクに音楽の経験なんてない高梨が一緒に音楽をやりたいと言ってくれた。

 正直言って、すごい感動した。

「……わかった。じゃ、セッションでもしてみる?」

「せ、セ……?」

「皆で一緒に演奏すること」

 思いつきの提案に高梨が戸惑い、ちょっと意地悪に笑いながら立ちあがる。

 きっと未経験だろう高梨に突然セッションを吹っ掛ける無茶ぶりは、これまで振り回してくれたお返しと、『自分たちと一緒に遊びたい』と言ってくれた高梨への感謝。

「お、おい陽、マジで言ってんの?」

「マジだよ。あれだけ言ってくれて、応えねーのは嘘だろ」

 ドラムの元木がおろおろしながら声を上げたが、ヤンキーみたいなガラの悪そうな見た目でうろたえるとギャップがすごい。確かにそうだけど……と言いながら元木が不安そうに立ち上がるのを、藤井が力の抜けた口調でなだめる。

「まーいいじゃん。3人以外でやるのめったに無いし、楽しそう」

 あんまり抑揚がない話し方だが、藤井は態度に出る。そそくさと立ちあがり、すでにウキウキとベースの準備を始めている。

「陽君、コードは」

「んー、じゃあE7で適当に」

「リズムはどうする?」

「16っぽくやろっか」

「おっけー」「了解」

 ウキウキの藤井(態度だけ)はチューニング中。そして元木も何だかんだ気分が乗ってきたらしく、ドラムの前でスティックをくるくる回している。

 自分も2人と同じくギターの準備を進めながら、置いてけぼりで戸惑っている高梨に声をかけた。

「高梨、やるだろ?」

「わわわ私、なんか全然訳分かってないけど大丈夫かな!」

「さっきの勢いどこ行ったんだよ」

 胸に抱えたタンバリンをシャンシャン鳴らしながら、わたわたと慌てる高梨がおかしくて、思わず笑ってしまった。

「基本は教えてやるから。やってみたかったんだろ、ほら」

 そう言ってポンと背中を叩くと、驚いたみたいに高梨の目がぱちぱちと瞬いて、それからすぐ嬉しそうな顔になった。

「うん!」

 その笑顔に思わず心臓が跳ねる。

 ……なんか、今の笑顔、かわいかったかもしれない。



 楽器の準備を終えた俺とベースの藤井は楽器を抱えたまま立っていて、元木が叩くツクツクタン・ツカというドラムのリズムだけが繰り返し鳴っている。

「高梨、このツクツクタンツカって感じで鳴ってるリズムに合わせて、シャカシャカってタンバリン振ってみな」

「こう?」

 高梨に声をかけると、タンバリンを持った右手を掲げ、すぐにコツを掴んでリズムをつけて振り始める。

「うん。じゃ次に、ドラムの『タン』のとこで、左手のひらの親指付け根あたりでタンバリンの枠を叩いてみようか」

「むむ……」

「振るとシャカシャカ、叩いたらシャンってなるのわかるだろ。ドラムの音よく聞いて。シャカシャカ、シャン、シャカって感じになるから。大丈夫、一回コツ掴めば出来る」

 シャカシャカ……シャン……と呟きながら何度も挑戦する高梨だったが、あ!と大きく声を上げるとすぐにコツを掴んでパターンを覚えてしまった。

「こうでしょ、やった、できた!」

「そう、出来てる出来てる。さすが要領良いな、高梨。リズム感も悪くないし、多分タンバリン以外も出来るようになるよ」

「ほんと!?」

「嘘。モノによる」

「えええ!?でも、棚橋君が教えてくれるんでしょ?」

「……おう」

 これまでただの真面目優等生だと思っていた高梨の、子供みたいにはしゃぐ一面に妙にどぎまぎしてしまう。

 そんな自分を振り払うようにドラムとタンバリンだけの空間にギターを入れると、追うようにベースも入って来た。

「いー感じ」

 音が増えて盛り上がってくると楽しくなってくる。でもまずは高梨のタンバリンが安定するまでしばらく一定のリズムを刻むだけにして、とにかく高梨をキープさせる。

 シンプルなリズムとシンプルな伴奏に高梨が掴んでくると、俺らは次第にリズムや音にバリエーションを出してみたりして遊び始める。複雑になるリズムにも高梨は惑わされず、4人の気分はどんどんノってきた。

「高梨、慣れてきたか?」

「うん!一緒に合わせて演奏するって楽しいね。みんなの楽しい音に、私が鳴らすタンバリンが一緒になって、もっと楽しい音になっていく感じ!気持ちいい!」

「分かってきたな。じゃ、もっと気持ちいいのやってみようか」

「え」

 タンバリンのリズムが一瞬乱れる。これ以上何かをやるのか、と言いたげな不安と非難が混じった表情で高梨がこちらを見たので、にやりと笑ってやる。そう、これ以上やるんだよ。

「難しいことじゃない。これから俺がソロに入るから、その時にブレイクを入れるだけ」

「ぶ、ブレイク?」

「そう。俺が合図するから、一瞬だけ鳴らすのをやめる。それでドラムが再開したら合わせて鳴らし始めればいい」

「い、いい一瞬なんでしょ!?ちょっと高度じゃないかな!」

「大丈夫大丈夫。ツクツク言ってるシンバルの音を聞いて合わせてればいいから。それじゃいくぞ……1,2,3,はい!」

「~~っ!!」

 瞬間、フッと音が切れて、俺が弾くギターのアドリブだけが鳴る。そしてすぐにドラムとベースが同時に入った。長さにすれば1小節。高梨も音を綺麗に切ったしブレイク自体は成功したが、戻るタイミングがやはりずれてしまったようだった。慣れないと難しいよな、と思いつつ高梨を見ると、キラキラした目でこちらを見ていた。

「すごい、すごいすごいカッコいい!今の凄いね!周りが消えて、棚橋君のギターだけがこう、クローズアップされて……ブレイクってこういうことなんだね、気持ちいい!」

「だろ?」

 あんまりストレートに褒めてくれるもんだから、こちらも悪い気はしない。

「今は俺が合図出したけど、慣れてきたら目で伝わる。何も言わなくてもブレイクが入るんだ。これが決まったらもっと気持ちいいよ」

「そうなんだ、かっこいい……!」

「……おー」

 悪い気はしない……とは言うのものの、高梨の俺をみる視線が尊敬一直線というか、あんまりキラキラしていて若干居心地が悪い。高梨の視線から逃げるように目を横に逸らすと、今度はいやーな感じで含み笑いしてる藤井・元木と目が合った。ふーんとかへえーとか、何か言いたげなにやけ顔だ。楽しいオモチャでも見つけたようなこいつらに、碌でもない未来しか浮かばない。

 とりあえず今は見なかったことにして、自分のソロに意識を移した。



 しばらく自分の好きなように弾いていたら、ふと妙案が頭に浮かんだ。

「ギターソロが終わったら、ベースソロからのドラムソロが順番としては基本だけど……すっ飛ばしてタンバリンソロいくか」

「えっっ」

「マジかよ、タンバリンソロ!ウケる!」

「俺はいいよ、楽しそうだから」

 狼狽する高梨と、ドラム叩かせたら生き生きしだす元木と、楽しそうならなんでもやる藤井。良いカオス具合だ。これまで3人だけだった軽音部に、高梨というスパイスがよく効いてる。

「ち、ちょっと嘘でしょ!?もう限界だって、私ついさっきタンバリン持ったばかりの超初心者なんだけど!」

「いいだろ、ここまできたんだからとことん付き合えよ」

 そんなあ、と高梨は不安そうな声を上げたが、完全に期待の目でタンバリンソロを待っている俺らを見て、観念して覚悟を決めた。

「ええい、わかったよ!ここまできたら腹括ろうじゃないの!毒を食らわば皿まで!死して屍拾うものなしだ!!」

 高梨の真面目さゆえなのか、その意味のわからない決意の言葉に部室に笑いが起こった。

「大丈夫、骨くらいは拾ってあげるよ。陽君が」

「何で俺が」

「だから高梨さんは陽君の胸にどーんと体を預ければいいんだよ」

「藤井お前、何言ってっ」

 楽しそうな藤井(態度だけ)がわざわざ『陽君の胸に』『体を預ければ』とわざとらしく強調し、俺のリズムが一瞬崩れた。

 17歳というセンシティブな年頃には十分すぎる爆弾発言だ。男3人で際どい会話をするのとはわけが違う。しかも相手は優等生の高梨だ!

「よしわかった!じゃあ棚橋君、私の命は預けたよ!」

 だが、高梨の意識は手元のタンバリンで一杯いっぱいらしく、藤井のからかいにまで頭が回ってないようだった。一人だけ動揺していた自分が居た堪れない。

「なに焦ってんだよ陽、ただの慣用句だろ?」

 にやにやとこちらを見る元木にもからかわれ、苦い顔で睨み返すが全く効いてないだろう。

 こいつらの相手をしていたらきりがないと思い、早々に”指導モード”に切り替えて高梨に声をかけた。

「高梨、お前のソロではギターとベースは消えて、ドラムは軽く補助程度になる。いけそうか?」

 すると高梨は俺の顔を見て、それから笑った。

「うん、やってみる」

「おっけ。わかりやすいように合図するから」

「合図、把握です!」

 テンパってる高梨のおかしな言い回しがいちいち可笑しい。

 俺と同じくこっそり楽しんでる2人に目配せすると、目で了解の合図が帰ってきた。タイミング的に次の4小節後だ。高梨の入りを際立たせるために、3人でどんどん音を盛り上げていく。そして。

「……いくぞ!」

 フッと弦楽器隊が消える。

 そして今鳴っているのは、音量を押さえ音数を減らしたドラムと――最初に教えた時から変わらない、シャカシャカ、シャン、シャカのリズムで鳴るタンバリンだけ。

「……棚橋くんみたいにかっこよくソロに入れない!」

「初心者なのに~ってさっきまで泣いてたくせに欲張りだな」

 初めてならそんなもんだ。むしろいきなりハンパねえソロ決めてくる方が恐いわ。

「てか、ソロってなにやっていいかわかんない」

「大丈夫。難しい事考えなくていいから、好きなように叩いてみな」

 そう言うと、高梨は、好きなように……好きなように……と独り言をいいながら、これまでとは違う叩きかたを模索し始めた。シャカシャ……シャン……シャ、シャン……と、本人の手探り感が如実に伝わってくるようなリズムの崩れぶりが初々しい。だが、しばらく探って行くうちにこれまでと違うリズムが次第に顔を出し始めた。そして、シャカシャン、シャカシャン、シャカシャカシャン、と、ついにリズムに乗ったフレーズが出た瞬間、高梨の顔がぶわっと紅潮した。

 ――”キた”な。

 自分の口がニヤリと動いたのがわかった。


 挑戦した音やリズムが”ハマった”時の快感は強烈だ。特に一番最初の快感はまた格別だと思う。それはまだ何も知らない初心者だけの特権だ。

 『自由に弾いていい』と言われると、その広すぎる『自由』にほとんどの人間は戸惑ってしまう。初心者は手元にある楽器がどんなことができるのか、自分がどれだけその楽器を扱えるのかを把握できていないから、『自由』の中で迷子になってしまうのだ。

 一方、多少音楽の経験があると、今度は自分のさじ加減で全てが決まってしまう『楽譜に無い音』が重い枷になる。そして「上手くやらないと」とか「音はこう、リズムはこう」みたいな先入観がさらに邪魔をする。

 その点、高梨は好きにやれと言われてコツを掴むのが早い。多分、高梨はこれまで学校の授業で音楽に触れただけだと言っていたし、変な先入観がない分、挑戦することに恐れがないんだろう。加えて、タンバリンの程良いシンプルさが『自由さ』に制限をかけて、迷子になりにくいのも幸いしている。

 一度掴んだ高梨は、実際に頭の中に浮かんだらしい曲を口ずさみながら、それに合わせてタンバリンをたたいていた。今流行りのアイドルの歌とか、笑点のテーマとか……今度はダースベイダーのテーマだろうか。高梨の瞳から光が消えたし暗黒面に堕ちてるのかもしれない。

 コロコロと表情を変えて、見ていて飽きない。そして、楽しいっていう気持ちが溢れるほど伝わって来る。こんなに楽しんでる人間を見て、自分も楽しくならない人間がいるわけがない!

 自分の心も高ぶって来ているのを感じ、その興奮のまま休んでいたギターに手を伸ばして軽く刻み始めると、ギターに気がついた高梨と目が合って笑いあった。ベースとドラムにも目配せし、ベースが自然に入って来るのに合わせてドラムも元通りの音量と音数に回復していく。

 満足気な顔の高梨に声をかける。

「じゃあこれからラストだ。これからとにかく盛り上げて盛り上げて、キレ良くびしっと締める」

「キレ良く」

「俺が目とか態度で合図すると、すぐに俺らが合わせて終わるから、高梨はラスト一人でシャカシャカ、シャンシャカ、ってだけ鳴らして締めて。声はもうかけない。いけるか?」

「わかった!」

 返事にもう迷いは無い。高梨なら大丈夫だ、と不思議な信頼感を覚えつつあった。

 クライマックスに向けて、4人のテンションも演奏に合わせて盛り上がる。決まったフレーズを規則的に弾くことで、ベースとドラムの二人にも『ラストのフレーズにしたい』という事を言外に伝える。二人の顔を見ると、分かってる、と視線が帰って来た。決まりだ。

 ベースもユニゾンし、ギターと同じフレーズを繰り返す。ドラムもフレーズに合わせたリズムに変わってくる。あとは終わるタイミングだけ。

 まだだ。もっといける。この部屋に居る全員の混ざり合ったテンションが臨界点を迎えるその瞬間が、最高のクライマックスになる。

 もっと、もっと、もっと!!


 ――ふ、と4人の視線が交じり合った瞬間。

「……っ!」

 ギター、ベース、ドラムが同じリズムを決め、高梨のタンバリンがセッションのクライマックスを最高のキレで締めた。



 不思議な達成感で、軽音部の部室に居る4人は、余韻を味わうように互いの顔を見合わせていた。

「私、できてた、よね?」

 口を開いたのは、高梨だった。俺を見る顔は不安げなのに言葉には妙に自信がにじんでいるのは、初めてで分からないなりにも、自分でも何か手ごたえを感じたからだろう。

「ああ。良いラストだったよ」

 そう言うと、高梨はよかったあ、と言ってしゃがみこんだ。初めてであれだけできれば、何の文句も無い。

「高梨、セッションしてみてどうだった。楽しかったか?」

「それは言うまでもないよ!」

 分かってはいたがあくまで確認として聞くと、高梨はバッと顔を上げてそう即答した。言うまでもなく楽しかった、ということでいいんだろう。

「藤井は」

「言うまでもないだろ?」

「元木は」

「俺も同意見」

 こちらもあくまで確認だ。良い時間を過ごせたと、達成感に浸る顔が物語っている。

「それなら、お前らも異論はないよな」

「もちろん」「構わねえよ」

 二人とも頷いて、高梨を見る。高梨はまだしゃがんだまま、不思議そうな顔で軽音部の面々を見上げる。

 俺は部長として、高梨に手を差し出た。

「ようこそ軽音楽部へ」

 その言葉を聞いて、高梨は今日一番の笑顔を見せた。

「はい!」






「高梨さん、うちの部入るなら連絡先交換しようよー」

「あっずりい俺も俺も!」

「おい、お前らみっともねえぞ」

 この学校の腫れ物、目の上のたんこぶ、その他諸々と囁かれているこの軽音楽部は、これまで女子とまるで縁が無かったため、俺達軽音部員の携帯にこの学校の女子のアドレスなんてほぼ入ってない。だからこそ、今がチャンスと藤井と元木が我先にと高梨に連絡先を聞いているのだった。

「あ、私荷物は文化祭実行委員会の本部に預けたままだ。腕章もつけたまま来ちゃったし……荷物とか取ってくるからちょっと待ってて!」

 だが高梨は節操のない軽音部員どもに気を害した様子は無く、そのまま部室を小走りで駆けて行った。手ぶらで出て行ったけど、結局タンバリンはこの部室に置いておくつもりなんだろうか。

 とりあえずギターの片付けをするためアンプに向かったら、藤井と元木の変な会話が耳に入ってきた。

「それにしても、よかったなあ高梨……」

「高梨さん、陽君と一緒にやれて嬉しそうだったもんね」

「……おい待て、何の話してんだ」

 ヤンキーみたいな見た目のくせに情に厚い元木が頓珍漢な感動をして、声も顔も感情見えないくせに態度だけ嬉しそうな藤井もその頓珍漢な話に乗っている。

「いいか陽、部活内恋愛禁止とは言わねえけど、弁えろよ」

「はあ?」

 セッション中からやたらと高梨のことで俺をからかってくるとは思ってたが、まだそんなのを引っ張ってんのかこいつらは。

 というか、俺はまだしもほぼファーストコンタクトから一時間かそこらしか経ってない高梨に対して、こいつらのこの態度は一体何なんだ。元木に至っては初め高梨とセッションするのも困惑していたくせに、ずいぶんな変わりようだな。

「何言ってんだよ。高梨のあの楽しそうな顔見たろ。音楽やりたかったって言う奴をそういう目で見るのは失礼だろ」

「はあ?」「はあ?」

 全く同じ反応が返ってきた。何言ってんのって言ったの俺なのに、二人から何言ってんの?みたいな目で見られた。

「いやいや高梨さんどう見ても陽君目当てでしょ」

「そういう根拠ないことを言うのは……」

「いやいや高梨って今日ほぼ陽としか喋ってないだろ」

「それは俺があいつに教えてたからで……」

「頑固かよ」

 何で俺がそういう、鈍感だなあ、みたいな目で見られないといけないんだよ。どう考えても違うだろ。

 絶対に認めない俺に、元木が内緒話をするように小声で言った。

「でもさあ、もし高梨が迫ってきたらどうする?」

「せまっ……!?」

「『棚橋君、私を鳴らして(はあと)』とか言って」

 元木が突然しなを作って、祈るように手を組み上目遣いというコンボで俺に迫ってきたのは気持ち悪かった。

 ……でも、こんな奴じゃなくて、もしこれが高梨だったら。


 日の傾いた二人きりの部室。高梨の制服は少し乱れていて扇情的だ。その赤い顔は夕日なのか、それとも……

『棚橋くん……』

 俺は潤んだ目に誘われるように彼女に手を伸ばす。トレードマークのような眼鏡を外し、おさげを解き……クラスの奴らも知らない、彼女の素顔に引き寄せられて――

『ねえ……私を、鳴らして……?』


「おまたせー!遅くなってごめんね!」

「!!」

 ガラッ!と部室の扉が開いて、ムードも何もない高梨の元気な声が俺の邪な妄想を切り裂いて登場した。

「あれ棚橋君?顔が赤いけど、どうかしたの?」

「なんでもない」

 にやにやと笑う元木と、にやにやと態度で示す藤井の視線がとにかく痛かった。お前らのせいなのに……!

 その後は4人でスマホを手にQRコード大会となったが、連絡先大交換会はつつがなく終了し、軽音部員らはほくほくとした顔で(一人は態度で)スマホを仕舞っていた。

 するとなぜか落ちつかない様子の元木が、

「おい、藤井」

 と藤井の肘を小突くと、藤井もハッと何かを気付いた様子で、わざとらしく声を上げた。

「あっそれじゃー、僕と元木君は先に帰るね」

「俺らは友情深めて帰るから、お前らも仲を深めて……あーいやその、高梨は陽に送ってもらいな!」

 変な事を言うんじゃねえ、と言う前に、さすがに元木もひやかしの限度をわきまえてくれたらしく、言いなおしてくれた。下手な芝居打ちやがって。明日覚えてろよ、と念を込めて既に廊下に出ていたあいつらを睨むと、ばいばーい!とそそくさと帰っていった。

「二人とも明日からよろしくね!ばいばーい」

 廊下に出て見送る高梨に付いて、一応俺も手を振っておいた。

「私も片付け手伝おうか?」

「大丈夫。もう終わるから」

 本当に夕暮れの部室には俺と高梨だけになってしまった。あの妄想を追い払うために、藤井たちのせいで進んでなかった片付けを再開する。

 妙に気まずい俺とは裏腹に、高梨は部室の機材なんかを物珍しく眺めていたが、ふと思いついたことを聞いてみる。

「高梨って別にタンバリンをやりたいっていうわけじゃなくて、楽器を弾きたいんだろ」

「うん!棚橋君みたいにこう、グワー!ウワー!って出来るようになりたい」

 意味が分からない。でも、とりあえずタンバリンにこだわりがあるってわけじゃないらしい。

「昔使ったっていう鍵盤ハーモニカまだ家に置いてる?」

「うん、多分あると思うけど」

「じゃ、明日それ持ってきて。教えるから」

「えっ、棚橋くんって魔法使いなの!?」

 アンプを眺めていた高梨が、驚いてこちらを向いた。ぱちぱちと目をしばたたかせて、本気で聞いてるみたいな顔だったから、思わず吹き出してしまった。

「んなわけないだろ、大げさな」

「いやだって、ギターも上手で、鍵盤ハーモニカもできるんでしょ?」

「鍵盤ハーモニカっていうかピアノがな。うちの家、いわゆる音楽一家ってやつでさ。昔から色々やってたから」

「なるほどねー、だからなんか貫禄があるんだ」

「え」

 貫禄って言葉はどう受け取ればいいんだろうかと迷ったのが伝わったのか、高梨が慌てて言いなおした。

「あ、違うの、老けてるとかいう意味じゃないよ!なんていうか、さっきのセッションで私を引っ張ってくれてた時も、余裕があるっていうか堂に入ってる感じだったから、すごいなあって思ってたの」

 そう話しながらさっきの楽しい時間を思い出したのか、高梨の頬にほのかに紅が差す。

 その様子を目の当たりにしたのが気恥ずかしくて、床に投げ出されたコードを巻きとりながらしゃがんだ。

「高梨はさっきからすごい俺の事褒めてくれるけどさ、俺だって高梨がめちゃくちゃ楽しそうにタンバリン叩いてんの見て、こっちも楽しくなってどんどん気分が上がっていったんだ。俺が高梨を引っ張ってただけじゃなくて、俺達も高梨に引っ張られてたんだよ」

 さっきのセッションを思い出してそう告げると、高梨はそっかあ、と嬉しそうに声を上げた。

「実はね、私ももしかしたらそうなんじゃないかなって思ってたんだ。皆が盛り上げて、皆が触発されてさらに盛り上がっていくっていう、楽しさのインフレーションみたいなループに自分も今入ってるんじゃないかって。その楽しい渦を作ってるのか巻き込まれてるのかわかんないうちにね、なんだか自分がタンバリンと一体になったみたな気分になってさ、私こんな気持ちいい体験これまでしたかなっていうくらい気持ちよかったの」

「わかるよ。俺も、今朝あのステージで同じこと考えてた」

「……そっか、私、あの時の棚橋君と同じだったんだ」

 そう言った高梨の笑顔は綺麗だった。その快感はよくわかるし、なによりそんな快感を味あわせてやれたというのが、なんだかすごく嬉しかった。

 ……と同時に変な妄想も思い出しそうになった。ああくそ、こんなんじゃあいつらに笑われても仕方ねーじゃねえか!

 別のことを考えようと頭を振る。こう言う時は素数を……いやめんどくさい。それじゃギターのこと……そうだ新しい弦が欲しかったんだ。明後日は文化祭の振り替え休日だから、久しぶりに御茶ノ水とか行って、ついでに気になってたエフェクターを――

 とまで考えて、ほんのり頬を染めた高梨が余裕のない俺に爆弾を落とした。

「……恥ずかしかったから、藤井君と元木君には言わなかったけどさ。ホントは私、今日あのステージを見て、棚橋君と一緒に音楽やってみたいって思ったの」

「へ」

 ゴンっと側のギタースタンドに頭をぶつけて、ギターのことなんかポンと頭から抜けていった。

「ほら、私たちって同じクラスで出席番号だって同じでしょ。何度も接する機会があったのにさ、今朝あの棚橋君見るまで、私って全然棚橋君のこと知らなかったんだなって思ったんだ」

 確かに俺と高梨は、棚橋タナハシ高梨タカナシで男子と女子それぞれ同じ出席番号で、なにかと同じグループになることも多かった。

 でも俺も高梨と同じように、こうして高梨と過ごすまで高梨のこと全然知らなかったんだ。

 なんとなく不思議な気持ちになって、立ち上がって高梨の顔を見た。

「棚橋君ってどっちかっていうと省エネ系でしょ。だから、今朝すごく楽しそうにギター弾いてる棚橋君を見て、あの棚橋君があれだけ夢中になってる音楽ってそんなに楽しいのかなって……私もやってみたいなって思ったの」

 そこまで言うと、顔を赤くして、何かを振り払うみたいにわたわたと手を振った。

「や、なんかこれじゃ私棚橋君目当てで軽音部入ったみたいだね!ちょっと不純でごめんね、でも音楽が楽しそうでやってみたかったのは本当なの!それも想像以上だったし、これからすっごく楽しみ!」

「……光栄です」

 そんなんで不純なら、その言葉を聞いてあれ以上に妄想を進化させてしまいそうな俺なんて途上国の工業廃水レベルだ。高校生男子のハートなんて、そんな言葉を聞いて舞い上がってしまうくらいには単純である。

「恥ずかしいから、藤井君と元木君には秘密にしてね。それに、棚橋君としか音楽やりたくないみたいで二人にも失礼でしょ」

 もちろんそんなこと思ってないんだよ!と高梨は必死に言い募るが、残念ながら割とバレてたみたいだぞ、とは言えなかった。そして俺はこの秘密 ( ・・)を厳守することを誓った。




「じゃあ帰るか」

 片付けも完了し、ギターバッグを背負って高梨に声をかけると、高梨は名残惜しげ呟いた。

「……また明日もここに来ていいんだよね?」

「当たり前だろ。部員なんだから」

 部室を眺める高梨の背をポンと叩いてそう言うと、高梨は俺を見て、そうだよね、と笑った。

「音楽ができて、さらに棚橋君がいるなんて、明日からすっごい楽しいに決まってるよね」

 明日が待ちきれない、と早くもそわそわし始める。気が早い高梨がおかしくて俺も思わず笑ってしまった。

「そうかもな」

 これからも音楽ができて、さらに高梨もいれば、今日よりもっと楽しい日々になるのかもしれない。





実際に楽器を演奏する時は、音楽室などの防音効果のある部屋を使いましょう!


難しい事一切無しの楽しいラブコメにしたくて、勢いつけて書きました。

自分は鍵盤方面の人間なので、完全に畑違いの楽器たちにうんうん悩みながらも、自分が実際に演奏している気分になって楽しく書きました。

楽器が身近な方には「わかる!」と思って頂けたらと願いつつ。

楽器があまり身近でない方には、演奏する楽しさを伝えられたらいいなと祈りつつ。

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