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サヨナラは言わない

「ねえ、私達、別れましょう?」

彼女はなんの躊躇いもなく、そう言った。


彼女との出会いはなんだったか。それすらも、今の俺には思い出せない。思い出すことが出来ない。ただ、気がつくと隣に彼女がいて、それが当たり前になっていて、日常になっていた。

同棲を初めてもう少しで4年。彼女が隣にいるのが日常になってからは、もう9年になる。そんな、長く連れ添ってきた彼女が、いなくなってしまった。どんなに名前を呼んでも、もう側にはいない。

何処で道を誤ってしまったのか、俺には皆目見当も付かない。

今になって溢れてくる涙に、自分の事ながらイライラしてしまう。でも、俺みたいな冴えないサラリーマンに一生を捧げる可能性が減って、彼女の為にはなっているのかもしれない。そうであってほしい。そう思う事しか、俺にはできない。


次の日、有給を消化する為にも、俺は会社を休んだ。昼間まで寝て、やっと起きて洗面台へ行き鏡を見る。

「う、わ。」

ついその言葉が零れてしまうくらいに、冴えない29歳アラサーの男が、そこには写っていた。彼女がいたならば、もう少しまともに見えたのだろうか。

彼女がいれば。そう、彼女が。彼女に、彼女に会いたい。こんなにもそう思ったのは初めてだ。


ピンポーン


玄関のチャイムが鳴り響く。もしかしたら、彼女かもしれない。期待で胸が膨らみ、ドアへと駆けていく足取りも自然と軽やかに。

「どうしたんだよ、戻ってくるなん、て…。」

ドアを開け、そこに立っていたのは彼女ではなく、スチームパンクなウサギがミリタリージャケットを羽織って立っていた。

「いにちはえあもうん、きおぬくみすち。」

ウサギは意味不明な言葉を発すると、手に持っていた箱を俺に渡してきた。

「なんだよ、お前、なんだよ、その箱。でてけよ、帰れよ、気持ち悪い!」

ウサギの事をドンッと押し、俺はドアを勢いよく閉めた。

彼女だと思い、ワクワクしたフワフワした気持ちで駆けていったというのに。でてきたのはとんでもなく異質なウサギ。意味不明な事を言って、怪しげな箱を渡そうとしてきて、これはもう警察に通報をするしかない。


通報をしようと思い、携帯をポケットから取り出し耳にあてた所で、背後から何かの気配を感じとる。もしかして、さっきのウサギが…?殺される。何故かは知らないが、そう思った俺の心の中は、後ろを向くべきか向かないべきかという葛藤と焦りと緊張が入り混じり、変な汗だけでなく、失禁すらしてしまいそうになっていた。

ヒューヒューと荒くなる呼吸。ピンと張り詰めた空気の中、居心地は最悪中の最悪である。終いには、肩で息をしてしまう始末。

後ろを向こう。とりあえず、後ろを。このままアイツに背を向けたままでは、いきなり刺されてしまうかも。いや、首を締められるかも。いやいや、撲殺かもしれない。

「さをぎりにうど。をちすひ、へすあすゅどひいるみそあ。」

ウサギが動いた。一歩また一歩と、俺に近づいてくる。死にたくない。そう、俺はまだ死にたくないんだ。彼女が何故俺と別れたいのか理由も訊いてないし、冴えないサラリーマンだったかもしれないけど、それなりに生きて来られたんだ。まだ、俺は死にたくない。

ふと、リビングに置いてあるテーブルの事を思い出す。そうだ。テーブルの上には、出しっ放しにしてあったハサミがあったはず。ハサミなんかでアイツに勝てるのか?いや、何もないよりはよっぽどマシだ。


それからの俺の行動は早かった。ウサギが俺の肩に手を載せようとするのをすんでの所で躱わし、そしてリビングへと大疾走。マンションだというにこんなにドタバタと暴れて、下階の人は怒っているだろうなあとか呑気な事を考えつつも、上手くハサミを入手する。

「おお、お前、やるってのか?やるってんだな?かかか、かか、かかってこい!」

声を震わせつつも、ハサミをウサギに構え、俺は対抗の意を示してやった。

対抗の意を示された当のウサギは、何も喋らずに、何も行動を起こさずに、唯ジッと俺の事を数十秒見つめた後、手をパンッと1回だけ拍手をした。

俺にはその行動の意味がまるでわからなかった。かかってくるでもなく、逃げるわけでもなく、1拍手をする。見た目の存在感も異質ならば、することなすことも全てが異質。大体、何言ってんのかちっとも理解出来ないし。


そんなウサギの事を考えているならば、あの時逃げておけば良かった。今の俺には良く分かる。

ウサギの行動の真意が読めず、ジッと蛹になった虫の様に動かなかった俺は、ついついウサギに向けていたハサミを少しだけ下げてしまった。その瞬間。ウサギはたったの一歩で俺の間合いの中に入り、ハサミを奪い、腕をひねりあげ、今に至る。

一瞬の事過ぎて理解が追いつかない俺は、腕をひねりあげられてるという痛さよりも、頭の中のクエスチョンマークを消す事に必死になっていた。

「をちすはごあざぎ、るきうどくとにうらえどせは。」

「何言ってんのか理解できねえよ。」

ウサギの言葉は、本当に何を言っているのか分からないのである。

「けせるんすらまえすみせ。」

ウサギはそう言うと、何処から丸い何かを取り出し、俺に食べさせようとしてきたではないか。そんなよくわからない物を食べたくはない。俺は必死に抵抗をするも、ウサギは俺の頭に思いっきり頭突きをかまし、さらにキツく腕をひねりあげた。痛さと、急に頭突きされた驚きで口を開けてしまった俺は、急いで閉めようとするも、時すでに遅し。ウサギが自分の手ごと無理やり俺の口の中に丸い何かを押し込み、俺はそれを飲み込んでしまったのである。

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