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第九十八章『生きる』

『御使い』椿五十郎の暗殺未遂事件は隠密裏に捜査が進められた。


特殊な薬品が憲兵、特別高等警察にプレゼントされ、それなりの効果を上げた。


何人かの退役を含む軍人、政治家、官僚、実業家、職業右翼などが『粛正』された。

思想的というより利権が動機となっていたためか、割と容易に芋づる式に容疑者を

たどることができたらしい…が。


総連の特別室で首相と陸海軍、内務省のトップだけが出席した秘密会議で

近衛首相は椿に陳謝するとともに、捜査が『これまで』であることを告げた。


臣民としてその先には踏み込めないというのだ。


『やんごとなき存在か…ありそうなことだ』


それでも彼らは、それが誰であるかを教え、今後は厳重な監視のもとにおき行動を封じる

ことを約束した。


椿は、その人物の日々の行動を予定を含め、逐一報告させることを条件に了承した。


椿としても歴史上、天皇制が果たしてきた役割を思い、なるべく触れないようにしてきた。

『御使い』との関係は微妙なものになるだろうからである。

天皇は椿の存在すら知らないはずである…これは明治天皇も同様であった。

今後も皇室自体に関わったり、ましてや攻撃をするつもりはない。


だが、その係累であることをかさにきて魔王に牙を剥いた者には報いは受けさせる。

危うくゲームオーバーになるところだったのだから…


報道は少し形を変えてなされた。


『おそれ多くも陛下ですら、国のために御料地を下しおかれる中、我欲にかられ

土地収用法の関係者の殺害を企んだ者達が逮捕された』


以後、土地の収用はかなりスムーズに進むようになる。


事件以降十日ほど椿は休養をとった。捜査の進展を待つ意味もあったし、戦局が小康状態で

あったから少し早めの夏休みをとることにしたのだ。倒れたとき、少しひざをうったことも

あるが…


事件当日はべそをかいていた二人の女中もだいぶおちつき、彼女らを交えてビールを

飲んだり、マッサージを受ける毎日だった。幸い軽傷だった大山中尉をはじめ、護衛小隊の

連中も交替で呼んで宴会を開いた。


総連のおもだったメンバーも次々に見舞いに訪れたが、元気に酒を飲む椿の顔を見て

安心しては帰っていった。


実際にこの戦争を指導している立場の彼らには、好むと好まざるとに関わらず、椿の存在が

絶対に必要であることを痛感しているからだ。


…で、休み明けの椿に伝えられたのが前記の捜査報告だったわけである。


「…それでけっこうですよ、内憂はこれで減ることでしょう。気持ちを切り替えて

外患にそなえましょう」


思ったより椿の気色が悪くないので、近衛首相以下はホッとしたことだろう。


史実ほどではないにしろ、軍部に大きな影響力を持っていた皇族の一人が衆人の中で

倒れ死亡するのは少し先のことになる…おそらく心臓マヒと診断されるだろう。

ある種の化学物質が呼吸器官の中に突然出現するなんてことはありえないのだから…


こうした三文芝居が演じられてる日本をよそに、世界は激しく動いていた…というか

死者のカウント数を増やしていた。


43年中に一番死者が出そうなのは戦争の直接関係のない中国である。内戦が収まりつつ

あるものの華中、華南の穀倉地帯の天候が悪く百万単位の餓死者が出る見込みだ。

…といっても、この国にとってそれほどのことではない。


史実の戦後、共産中国のやった『大躍進』政策による農政の失敗で、数年間で一千万を

越える餓死者を出してもびくともしなかった国である。人間が適当に間引かれたほうが

残った者の暮らし向きが良くなったりする国なのである…おそるべし中華大帝国!


生産が好調の満州やオーストラリアから…日本の援助を受ける形で…穀物の

輸入をすることになりそうだが…


ロシア戦線では独ソのどちらからも『夏期攻勢』はなかった。


ドイツはモスクワ防御線の維持、強化で手一杯であった。ウクライナの穀倉地帯の占領政策が割と

うまくいって、食料事情が良好なのが救いである。


ルーマニアなどバルカン地帯のあぶれ者を徴集して、なんとか使えるまで訓練した

『枢軸軍』が六十万ほど投入され、兵站や重要度の低い拠点の警備にあたっている。


アフリカ戦線の動向をにらんで、なかば『人質』のような形でイタリア軍四十万が

ドイツ軍に囲まれて配置されている。後述するイタリアのふらつきがドイツ指導部を

神経質にしているのだ。


さて、ソ連側は昨年の痛手から立ち直れないでいた。穀倉地帯と最大の油田地帯を

失ったこともあって、いっこうに戦力が回復しないのだ。


米英からの援助頼み…なのだが、大西洋からバレンツ海を経ての補給はUボートの

妨害に被害を出しながらも続けられている。ただし、それだけでは維持が精一杯で

戦力向上には結びつかない。


日本海軍の攻勢によって、一時途絶えたインド洋からイラン経由の補給は再開されたが

シリアの英連邦軍に回される分が多く、石油以外は不十分である。

アメリカが大船団を送り込む計画もあったが、時おりインド洋に進出してくる日本艦隊に

捕捉される危険性があり…その場合の大惨事を考えると…護衛艦艇が不足している

現時点では無理と判断された。


残るは北太平洋からシベリヤに送り込まれるアメリカからの物資であるが…


陸路五千キロの輸送は大変である。途中で行方不明になるものが続出している。

脱走兵からなる武装強盗団が各地に出没しており、彼らが奪った物と

『彼らが奪ったことにされた』物は膨大な量におよぶ。とくに食料や医薬品において

顕著であり、砂に吸い込まれる水のように消えていった。

ソ連はこうした内部の敵にも戦力を向けなければならないのだ。


だが、惨憺たる状況にも関わらず、スターリンが失脚するような動きはまだ見られない。

『北の将軍様』の例でもわかるように、いったん強固に…思想も含めて…構築された

権力構造はなかなかしぶといのだ。


二百万近いドイツ軍をロシアの大地に縛り付けている…ソ連はそれだけでも連合軍に

貢献してるのかもしれない。


さてアフリカ戦線であるが…米軍は昨年十月に予定を少し繰り上げてアフリカ北西岸の

モロッコに上陸した。


だが、この部隊は十一月にビシー・フランス軍と応援のドイツ軍の逆襲を受け、歩兵師団と

機甲師団を一個ずつ壊滅させられるという大敗北を喫した。実戦経験のない『アメリカン・

ボーイズ』は高い授業料を払ったのだ。太平洋ソロモン海域での敗北とあわせて

『ノーベンバー・クライシス』と呼ばれた時期である。


それでも開戦後一年がたち、ようやく軍民とも戦時体制が整った合衆国は続々と大兵力を

送り込んできた。43年二月、勇猛をうたわれるパットン中将が登場して再度の攻勢が

かけられた。


このときにはジブラルタルを通過した船団から、アルジェリアへの上陸もおこなわれた。

ロンメルが指揮するドイツ軍は各所で米軍を撃破するが、無尽蔵な米軍の物量の前に

全体的には後退を余儀なくされた。


五月にはビシー・フランス軍は降伏…六月からはチュニジアに防衛線を築いた枢軸軍と、

さすがに一休みしている米軍がにらみ合っている状況である。


東の戦線についても話しておこう。シリアにさがったモントゴメリーの英軍は

42年秋には物資の欠乏で動きがとれなくなっていた。そこで英海軍は枢軸軍の勢力下にある

東地中海を突破して大輸送作戦を実施することにした。


キングジョージ五世級の新鋭戦艦『デューク・オブ・ヨーク』『ハウ』とこれも新鋭の空母

『インプラカプラル』を中心にした護衛艦艇で二十五隻の船団をシリアに送り込もうと

いうのだ。


作戦は十月に行われ、イタリア艦隊との『地中海最後の海戦』が繰り広げられた。

結果は…双方とも主力艦の沈没はなかった。


イタリア戦艦、ヴィットリオ・ベネトとリットリオはともに中破して退却したが、

デューク・オブ・ヨークも戦列復帰には半年はかかるだろうという損傷を受けた。

ほかにはイタリア巡洋艦一隻、イギリス駆逐艦一隻が沈没…というのがおもな

損害であった。


潜水艦とクレタ島からの航空攻撃によって、輸送船三隻が沈没、二隻が損傷を受けたが

許容範囲の損害でありモントゴメリーは息を吹き返した。


帰路、空荷の輸送船二隻が撃沈されたのはいいとして、ハウが大型爆弾の命中で大破したのは

英軍にとって誤算だった。なんとかジブラルタルまで帰れたものの、修理に一年近くかかる

見込みである。


43年四月、モントゴメリーはアルジェリアの戦いに呼応するようにスエズに攻勢をかけた。

敵に倍する戦力が揃わないと攻勢に出ないと評される慎重な彼にしてはめずらしく、

同規模のドイツ軍にいどんだ戦いであった。


自分が『蚊帳の外におかれる』のを嫌ったのだろうといわれた攻勢は、文字通り『拙速』で

あった。


スエズ運河にイタリア巡洋艦二隻、駆逐艦五隻を浮かべて砲火力を強化していた枢軸軍防衛線で

英中東派遣軍はすりつぶされた。


枢軸軍にも退却する英軍を追う余力はなかったが、モントゴメリーは敗北の責任を取り本国に

召還された。以降中東の英軍は、ただ存在するというだけで脅威を与える戦力ではなくなった。

何のための補給作戦だったのか…だけど、世の中そんなものである。


史実のアフリカ戦線は43年五月に消滅し、六月にはシチリア島、八月にはイタリア本土に

上陸作戦がおこなわれる。


この世界では、三か月程度の遅れが出ているが、やはりイタリアは動揺をはじめる。

海軍戦力はほとんどなくなり、地中海は連合国のものになりつつあるのだ。


だが、ドイツは陸、空軍を大幅に増強してイタリアをつなぎ止めようとしていた。

この方面でも、まだまだ人死には増えそうである。


つづく














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