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第九十七章『この日のために…』

かりそめであり、つかの間ではあっても平穏な1943年の日本の初夏…


椿五十郎は連日総連での『日本列島改造論』の会議や作業部会で汗を流していた。


民主主義とは時間のかかるものだ…という言葉があるが、物事の変革には

たとえ独裁国家でもそれなりに時間がかかる。


多くの利権がからむ案件ではなおさらで、国土が狭い日本では土地問題がそれにあたる。


史実の戦後日本が都市のインフラ整備や飛行場の設置などに、どれだけの時間と金を

『効率悪く』消費してきたことか…


椿が幼児のころ住んでいた東京の世田谷区に走る一本の道路は、幅が狭く拡張の計画が

たてられていた。それから半世紀、あちこちに買い上げられ、柵で囲われた土地が

増えているものの道路は広がっていない。


別の場所の話だが、椿が若い頃、新しくできた道路の真ん中にポツンと家が残っているのを

見たことがある。ひとり住む老人が『ここで死にたい』と言って譲らなかったのだそうだ…

結局、排気ガスの中で暮らした老人は意外と早く望みがかなったらしいが。


理由はさまざまであろう…『御上の威光』をかさにきて、ろくな説明も無しで事業を

進めようとする無能な官僚や政治家と、『自分の土地』に執着する個人のエゴ、東西冷戦が

華やかなりし時代の『左』の人たちの反権力商売がからみ合って生まれたエピソードだろう。


時間のかかる政治は、ときとして弊害も多い。もはや目的意義を失ったダムを無理やり造ろうと

したり、さっきの道路のように工事が始まる頃には交通量が予想の十倍になっていて、意味が

なくなってるなんてこともある。


まあ、これは『独裁』という害毒を防ぎ、『ある程度の自由』を手にするために民主主義が

払わなければならないコストなんだろうけど。


大日本帝国は民主主義国ではない…憲法上、国権の最高権力者は国民ではなく天皇である。

行政を担当する内閣政府は、その責任を天皇にのみ負っているのだ。


かといって、天皇個人がヒトラーやスターリンのように政治、軍事を専断したりはしない。

内閣が決定した事項に対する『拒否権』もないのだから、合衆国大統領とくらべても

その権能ははるかに小さい…その意味では独裁国家ではない。


国会も『一応』機能している…『大政翼賛会』は造られなかったが、開戦直前にかなりの

権能を内閣に委託する決議が通っていた。


それでも…形ばかりではあるが、政府は国会に法案を提出して了承を得る形をとっていた。


その国会が、この春に提出された『本土防衛のための土地収用法』について紛糾した。

議員の中のかなりの部分は『地主階級』…地域ボスである。彼らにとっての権力の原泉である

土地を国家の要請(命令)により…それなりの代価が支払われるとはいえ…さし出さねば

ならないというのは堪え難いものがあったのだろう。


史実の敗戦後、GHQの絶対権力下でおこなわれた『農地解放』のようにはいかない。

だが、椿と総連のメンバーはこの機会…どさくさともいう…に、ある程度の土地の

国有化を進めようとしていた。


ずっと国有のままにしようということではない。都市部の道路や公園、近郊の飛行場用地

などは別として、農地などは『穏やかな再配分』で私有に戻す予定だ。


収入の五割も小作料にとられる貧農を減らさないことには、生産体制や税収といった面でも

展望が持てないからだ。


ただし、現在の優先事項は幹線道路と飛行場ということになる。


「幅員百メートル…ですか椿さん?」


「百年とは言いません。国家五十年の計として、それは最低限必要ですよ」


椿は子供の頃を思い出す。家の側の『第二京浜国道』は中央寄り二車線…並木の植えられた

『グリーンベルト』があって、その内側に停車用?のスペースがあって歩道…という

構成だった。椿はずいぶんあちこちに住んでいるようだが、その通りで、夜逃げ同然に

しょっちゅう引っ越しをしていたのだ。


広いな〜と思ったのもわずか数年…グリーンベルトがとっぱらわれても車が一杯で身動きが

とれなくなってしまった。


戦後の混乱期とはいえ、当時の政治家にも官僚にも五十年どころか十五年の計もなかった

わけである。主要幹線道路の幅は百メートルを基準にするつもりだ。


反発は天皇が率先して皇室領を提供したことで一応のおさまりを見せた。


『国難にあたり、我が身を削るのは当然のことである』


…というような意味の勅語を出されて、表立って反抗できる者はいない。

何人かの皇族の領地も提供してもらった。


将来、国際線の飛行場となることが予想される羽田近辺は、一般の民家を極力減らすよう

線引きがなされた。うまくすれば、成田になんか造らなくても済むかも…


そんなある日の夕方…


汗を拭きながら退出しようとした椿は、いつもそばに従っている秘書の高倉青年の姿が

見えないので少し驚いた。すぐに見つかったが、副官の遠藤中尉やSPの大山中尉となにやら

話し込んでいたようすだ。


『暑いからなあ…帰りにビヤホールにでも誘ってやるか』


車の中でそう声をかけられた高倉青年の答えは意外なものだった。


「今日はまっすぐ帰りましょう…ビールはサチさんたちが冷やしてあると思いますし」


忙しいこともあって、めったに誘ったりはしない。そういう場合は必ず喜んだものだが…

体調が悪いようにも見えないが、どことなく焦ってるような感じもする。


『…ん〜、誰かとデートの約束でもしてるのかな?』


ま、それはかまわない。元々椿は一人で呑むほうが好きなのだから…


早稲田の自宅の門の前でとまった車から降りた椿は大きく伸びをする。

強い力で腕をつかまれた…と思った次の瞬間、土の地面が目の前にあった。


銃声は聞こえたのだろうか?


数メートル先に大山中尉とおなじくSPの中山少尉が立っており、その前に一人の男が

崩れ落ちていた。


大山がまだ硝煙の出ている拳銃を拾い上げた。


視界のすみで走り去る車が見えた…


門衛と中から飛び出してきた護衛小隊が椿を囲むSPの周りにさらに人垣を造る。


「閣下、じつは…総連の内務省担当の者から閣下の身辺警護に注意するよう内々に助言を受けた

ばかりでした。もうしわけありません」


『テロ…か。なるほどね、そういうわけだったのか』


頭を下げる大山の左腕には血がにじみ出している。どうやら彼が椿を引き倒し、代わりに銃弾を

受けたものらしい…


「いや。よくやってくれた! 貴官は私の命の恩人だよ。それより腕は大丈夫か?」」


「はっ、かすり傷であります。…この者はいかが致しましょう。気絶させてありますが」


「運び込んでくれ。総連を通じて警察に引き渡すが、その前にこちらで少し調べよう。

大事な部下を傷つけられたんだ、知ってることは洗いざらいはかせる」


男を拷問しても楽しくはない…女だと楽しいということではない…が、

日本国内にいる敵対勢力の存在がはっきりした以上、徹底的にやってやる。

ある種の薬品も出現させよう…廃人になろうと知ったことではない。


遠藤中尉が報告した。


「警備の者がここ数日、たびたび付近に停まっていた車の番号と乗っている者の

顔を覚えております…斉藤上等兵!」


「はっ! この者はその車の後部座席に乗っていた者と非常によく似ております」


「ようし、えらいぞ! これからも頑張ってくれ」


目を輝かせる斉藤上等兵…椿も目を光らせるが、こちらは底光りである。


つづく



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