第九十二章『さらばラバウル』
勝負はあっさりとついた。
一月二十三日…早朝にラバウルに襲来した日本軍艦載機の第一波は六百五十機に及んだ。
百十機のP39エアコブラとP40ウォアホークが三百機近い日本軍戦闘機…その内の
四十機が烈風…に押しつぶされているうちに攻撃隊が基地上空に侵入した。
対空砲火によって少なからぬ日本機が撃墜されたが、基地機能はこの一撃でほとんど
壊滅した。
日本機が去ったあと、四十機ほどに減った米戦闘機は爆撃で荒れた滑走路に無理やり着陸
しようとして事故が続出、ラバウルは戦闘機の傘を失うこととなる。
一方米軍も夜間に電探装備のB24で捕捉していた日本艦隊に向け攻撃隊を出していた。
B17三十、B24四十に中型爆撃機三十機…A24が四十機の計百四十機だ。
戦闘機はP38とP40を合わせて三十機しか付けられなかった。
日本艦隊の手前百五十キロの地点から始まった迎撃によって、艦船攻撃に適している
A24…急降下爆撃機ドーントレス。ただし、陸軍パイロットでは緩降下爆撃しか
やらないが…と中型爆撃機、そして戦闘機はほとんどが撃墜されるか損傷を受け
脱落した。
五十機ほどの重爆撃機だけが日本艦隊…少し前に出ていた魔王艦隊の上空に迫ったが、
K信管装備の高角砲弾の前に半数が落とされ、残りもろくな照準を付けることができず
爆弾をばらまくだけに終わった。それでも駆逐艦一隻が艦尾を吹き飛ばされて行動不能にされ、
数隻が至近弾で損傷を受けたが…
ラバウル基地では懸命に滑走路の修復がおこなわれたが、攻撃隊の帰還までには戦闘機用を
使用可能にするのが精一杯で、爆撃隊はニューギニア島のラエかポートモレスビーに
向かうように指示が出された。
その戦闘機はP38が三機戻っただけだった。単発のA24はラバウルに降りたがその数は六機…
ニューギニアに降りた爆撃隊は全部で二十八機…である。
「オーストラリア空軍を呼び寄せるしかない…百機以上の戦闘機だ。防空戦闘には力になる
はずだ」
「間に合うか? ポートモレスビーからここまで来るのが精一杯で、燃料を補給しないと
戦闘にはだせないぞ」
間に合わなかった…
午後に入ってすぐ、レーダーは朝とほぼ同規模の大編隊の接近を報告した。
戦闘機の妨害がいっさいない中で日本機は悠々と攻撃を開始する。
零戦が舞い降りて対空陣地を丹念につぶし、修復された滑走路や前回の攻撃で残った施設に
爆弾が降り注ぐ。今回は港湾施設や陸軍の歩兵や機甲部隊も目標にされた。出しっぱなしに
なっていた土木機械の多くも破壊されてしまった。
この第二波の空襲を最後に日本軍の攻撃はいったんやんだ。
翌日も日本機は姿を現さない…
「基地を破壊したことで満足して引き返した…?」
…そんなわけはなかった。日本艦隊が後退したのは燃料補給のためと…
わずかに生き残っていたカタリナ飛行艇が、ラバウル北西四百キロに大輸送船団を伴う
日本艦隊を発見したのは二十五日の午後だった。
翌二十六日、日本機が上空を圧する中で上陸部隊がラバウル湾に姿を現した。
掃海艇が航路の安全を確認した後、巡洋艦と駆逐艦の群れが湾内に侵入して
残存していた海岸砲台に砲撃を加える。偵察によって巨砲を持つ要塞がないことは
確認済みであった。もしあったら、空襲と戦艦の砲撃でつぶすつもりだったが…
二万の日本軍の上陸が開始される。
ニューブリテン島にいる米軍は陸海合わせて約五万であり、各地の哨戒のための小拠点にいる
者を除いて、ほとんどがラバウルとその周辺にいた。
航空部隊の人員と海軍関係者が合わせて一万五千人ほどなので、陸上戦闘のための兵員は
三万五千…内二千人ほどがこれまでの空襲等で死傷していた。航空部隊もパイロットを中心に
四千人以上の死傷者を出している。
ここに今次戦争始まって以来初の日米陸上戦力の激突が起こった。
フィリピンでもギルバートでも本格的な陸上戦闘はなかった。米軍の陸軍や海兵隊は乗ってる
船ごと海に沈められるか砲爆撃の中を逃げ惑うばかりであった。
『ようやくチビの日本兵を叩き殺す機会がやって来た』
だが、全員が九九式自動小銃を所持する上陸部隊の火力は強力で、米軍は飛行場方面に
押し込まれていった。
「隊長、まだですか!?」
「もっとジャップを引きつけてからだ。それから一気に海に追い落としてやる」
航空機と艦砲の支援を受けてる日本兵を崩すには、誤射や誤爆の恐れがあるところまで
引きつけなければ…そして、そのチャンスがやって来た。日本軍の先鋒は彼らが潜む
飛行場外廓陣地のそばまで迫って来ている。
「ようし! 攻撃開始だ。キャタピラでジャップをミンチにしてやれ!」
壕に入り艤装網でカムフラージュされていた戦車部隊がいっせいに行動を開始した。
これまで生き残り戦闘可能だったのはM4中戦車…英軍によってシャーマンの愛称が
付けられた…が四十一輛、M3軽戦車が五十五輛である。
日本軍の戦車はまだ上陸が開始されたばかりでまだ後方にいた。
日本軍先鋒は混乱したように見えた…が、そこかしこから白煙が延びると戦車に向かってくる。
上陸部隊には多数の携行式対戦車噴進砲が配備されていた。先鋒の一個連隊…ほぼ三千名…
だけでも六十門を装備していたのである。
さすがに装甲の厚いM4は当たりどころによっては、一発で行動不能にすることができないが、
四、五発が集中すると擱座炎上を始める…M3は言わずもがなだ。
それでも、戦車砲を射ちまくり突進する戦車の群れを防ぎきれず日本軍が後退を始めた。
「距離をおくと空襲を受けるぞ。前進を続けるのだ…歩兵部隊も追随しろ!」
五輛のM4と十輛のM3を失いながら戦車部隊指揮官はとりうる唯一の戦法に賭けるしか
なかった。
確かに日本軍は大きな損害を出した。だが、戦車が前進を続けるほど迎え撃つ日本軍兵力は
分厚くなり、ロケットだけでなく対戦車砲弾まで飛んでくるようになった。五十七ミリの
それはM4には跳ね返されたがM3は次々に火を噴かされていく。
結局、ようやく姿を現した日本軍の一式中戦車を二輛撃破したところで力つきM4は全滅、
生き残りのM3と歩兵が日本戦車に追われることになって米軍の反撃は頓挫した。
日本陸軍に『対M4』という重い宿題を残して…
機甲部隊を失った米軍が、それでも激しい抵抗を繰り広げた後に白旗を掲げたのは
月が変わった二月一日のことである。
南太平洋における連合国の一大拠点陥落は当然大きな波紋を呼ぶことになった。
その最大のものが『オーストラリアと日本の期限限定の停戦の合意』…である。
つづく