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第八章『お約束の地』

東京、早稲田…かつて椿が日露戦争をいじくるために住んでいた家は、まだあった。

三十数年を経ているが昔の木造建築はしっかりしていて…手入れも入念にされて

いるようだ…荒れた感じはしない。懐かしい〜と思う所だろうが、椿の感覚では

樺太にいた数週間分しか経っていないので、記憶にある何本かの庭木がでかくなって

いることに時の経過を感じさせられただけである。


広い敷地内の別棟に、椿が出現させた中で最後まで…六年ほど前まで陸軍にいた

本間敏夫、元中将が住んでいる。日露戦争の奉天会戦の前、ロシア軍前線のはるか

後方に挺身して破壊撹乱を行い、敵の精鋭ミシチェンコ騎兵団をつり上げることに成功した

特設機動師団の指揮官だった男だ。


「椿閣下、お久しゅうございます。それにしてもお変わりなく…」


くどいようだが、椿にとっては一か月も立っていないので…


「機械化部隊の創設に尽力してくれたと聞いている。頑張ったね」


騎兵を中心に歩兵、砲兵、工兵まで含んだ諸兵科混合の機動師団は日露戦で

その機動力と火力によって大きな活躍をした。同様のコンセプトを持つ日本軍の

『秋山支隊』とともに戦後も高い評価を受け、その思想が受け継がれ発展していった。


今後も想定される陸軍の主戦場は広大な満州であり、比較的少ない兵力でそこを

守るには機動力が必須だったからだ。技術の進歩と、大量の将校を観戦武官として

派遣した第一次世界大戦の経験が後押しをした。まだ騎馬が消えたわけではないが、

主流は『自動車化部隊』や『戦車部隊』といった…機械化部隊に移って来ている。


中国との戦争なんかしていないので、議会の軍縮派を押さえるのに若干の苦労は

あったが(それほど)無理をせずとも、それなりの予算も獲得できていた。

『史実よりましな戦車』の最近の戦いぶりは後でゆっくり述べるとしよう。


「あ、有り難うございます。小官の微力をそのように評価して頂き、もう思い残すことは

ありません。それよりまず、お詫びしなくてはならないことがあります」


「ん……?」


「長く軍におりました関係で…ずっと固辞はしていたのですが…将官を拝命することに

なってしまいました。申し訳ありません」


…忘れてた。椿の軍では当時の最高位が椿(五十一郎)少将だったので、ほかの者は

たとえ師団長…日本陸軍では中将がなる…でも皆、大佐だったのだ。

明治を去るとき、その縛りは外しておくべきだったな。


「いや、私の配慮が足りなかった…気を使わせて済まなかったね」


「は…ははーあ」


七十過ぎのじいさんに頭を床にすりつけられると、いかに『魔王』たるべき椿といえど

気が引ける。そんなことで真の魔王になれるのか…とも思うが、あの『能力』がなければ

実態はただの五十男である。アニメとかロリ系フィギュアなどに深い興味を持つところは

『ただの』というにはちょっと語弊があるかもしれないが。

それはともかく…


「閣下が『御使い』として来られたということは、やはりまた日本が…?」


「そう、存亡の危機を迎えるかもしれないということだ」


「それでは思い残すことがないなどと、言ってはおられませんな」


「うむ、機甲部隊の働く場所ももちろんあろうが、こんどの主戦場はおそらく海だ。

陸軍はもとより政府や海軍指導部にも会う手づるをつかみたい」


「お任せ下さい。この老骨の一身に代えましても至急手配いたします」


年のせいかセリフ回しがやや時代がかって固いようだが、とにかく任せよう。


この屋敷には椿や本間の住む建物の他にもいくつかの小さな別棟があり、同行して来た

高倉青年はその一つに入ってもらった。


椿は同じ家の中に二十四時間、他の人間がいるのを好まない。狭い一部屋に家族が

暮らした幼い頃の苦い記憶…父親が酒乱じゃなかったら違うものになったかもしれない…

がそうさせるのだろう。二十歳で家を出てから三十数年、ずっとそうしてきた。

もちろん仕事や『その他』の理由で人と一緒のことはずいぶんあったにせよ、

基本的には一人がいいのである。


椿は時々、自分以外の人間がすべて死に絶え、執事とメイドロボットにかしづかれて

優雅に暮らす日々を想像する…『悪くない』


話がそれすぎた。言い遅れたがこの屋敷は明治政府の首脳部が買い上げ、もしも…

再度の『御使い』の来臨があったならば使おうと確保していたものだ。

本間はそのための管理役の意味もあって、ここに住んでいたという。


「身の回りのお世話をする者が必要ですな。私は子に恵まれませんで、娘をという

わけには参りませんが、至急手配しましょう」


うなずきながら椿は思う。しばらくマッサージを受けていない…新しい女中にも

技を伝授せねばなるまい。椿はマッサージがとても好きである…何百回も受けて

いる内にプログラムはすっかり覚えてしまった。受けるのもいいが、人(女性限定)に

施し身体がほぐれていくのを指先に感じるのも、なかなかよいものである。

そのさい『爺やのテクニックはいかがでごぜえやす?』などと魔王にあるまじき

セリフを(頭の中で)吐くのも興が増す。


1941年七月、東京の夜空には天の川が雪崩れ落ちんばかりに懸かっていた…




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