第八十四章『ノーベンバー・クライシス8』
連合艦隊参謀は言った。
「軽空母と護送空母がいたとしたらどちらを攻撃するか? 位置関係などから攻撃を
しやすい方でかまわない。この両者の価値はほぼ同等と判断されるからだ」
実施部隊の中から当然の質問がでる。
「聞けば、護送空母とは輸送船やタンカーの船体に飛行甲板とエレベーターを付けただけの
ものという。軽空母の方は改造とはいえもとは巡洋艦…速度も速く搭載数も多い…価値が
同等とは思えないのだが」
「確かに建造にかかるコストも時間も軽空母の方が多いだろう…同じ一万トン級とはいっても
倍以上の費用がかかっていることは間違いない。だが…たとえ話になるが、百円しか持っていない
者にとっては十円か二十円かは大きな問題だろう。しかし、一万円持っている者ならば?
つまり、アメリカというのはそういう相手なのだ」
「どうせなら沈めやすい方を攻撃しろということですか」
「そう、護送空母は速度も遅く装甲も無いに等しい…はるかに攻撃しやすいはずだ。
誤解のないように言っておくが、無理して護送空母攻撃を優先しろということではないぞ。
手近で攻撃しやすければ『どちらでもいい』という意味だからな」
まだ完全には納得できないような実施部隊の顔つきを見ながら、参謀は『御使い』椿の言った
言葉を思い出していた。さすがにそれを口には出さなかったが…
『要は、軽空母も護送空母も動かすには同じ九百人ほどの乗組員が必要だということです。
もちろん練度という面では軽空母の方が上でしょうがね…一人でも多くの合衆国の青年に
戦争の舞台から降りてもらう…現時点で目標とするべきなのはそれです』
国力において、ひいき目に見ても十倍の差がある日米であるが、人口の比率は(白人市民に
限れば)…ほぼ一対二である。極論すれば空船の戦艦を一隻失うより千人の市民を失う方が
合衆国にとってダメージが大きいのだ…つまり『キル・ヤンキー』である。
ガダルカナル島の南方海上で戦艦インディアナに移乗したハルゼー提督は、洋上に投げ出された
空母の乗組員を見ながらそのことに思い至った。
『後方任務に就かせるべき護送空母を最前線に出すべきじゃなかった…もっとも、作戦前は
おれも含めて誰もここが最前線と思わなかったのだがな』
対空砲火の発射音が響き艦隊に歓声が上がった。接近して来た敵機を撃墜したらしい…
が、数分後にはハルゼーの怒声を呼ぶことになる。
「B26…馬鹿が! 味方機を落としやがったのか!?」
空襲直後のパニック状態が引き起こしたこの誤射事件は後に大きな影を落とすことになる。
「陸軍の偵察機より…サンタ・イサベル島北方百キロに敵艦隊発見! 戦艦七隻…三隻は
大型…巡洋艦、駆逐艦多数…です」
「七隻……その位置からガダルカナル島までに距離は?」
「およそ二百キロです」
「ターナーに連絡はついたか?」
「はい、マコーレイは沈没、駆逐艦に移乗して沈没艦の乗組員救助にあたっていると連絡が
入っています」
「長官!ヌーメアのゴームリー司令長官と連絡がとれました。現状を報告したところ作戦継続の
判断はハルゼー長官に一任するとのことです」
『責任逃れか…やってろ!』
「ターナーに連絡しろ…至急海域を離れろと。念のため接近中の敵戦力も教えておけ!」
「ラバウルの陸軍航空隊司令部より…『P38四十機が貴艦隊の援護に向かっている。
……味方機を撃ち落とす…馬鹿は地獄でイヌに食わせろ』です」
それを聞いたハルゼーの顔は不思議な笑みに彩られたという。
沈んだ艦の乗組員があらかた生き残った艦の甲板に引き上げられた頃、到着したP38の編隊が
艦隊からかなり距離をとって旋回を始めた。
「いやみったらしいが、仕方あるまい…」
「レーダーに感! 南南東百キロにおよそ二百機の編隊!」
「来たか…日没まで三時間…最後の空襲だ。生き延びるぞ!」
魔王艦隊の攻撃隊に含まれている六十機の零戦は、P38の存在に少なからず驚いたようであったが
すぐに機敏な機動で攻撃隊を守るために散開した。
八十機の彗星と四十機の流星改は各々目標に向かって突進する。
「敵機は駆逐艦に攻撃を集中しています」
「…ギルバート沖か」
日本軍の攻撃パターンだ。護衛艦艇を削り取り、次は…
このままいけば駆逐艦は全滅したかもしれなかった。だが、攻撃のさなかに『交替のための』
P38三十機が到着したことで日本軍機の攻撃は大きく妨げられた。
結局、重巡一隻、軽巡一隻と駆逐艦五隻が撃沈、駆逐艦四隻が損傷を受けることになった。
救助された者のかなりの数が再び海に投げ出されることになったが…
魔王艦隊の艦載機はここで五十機…第一次攻撃と合わせて百機に迫る未帰還機を出す
ことになった。同時に、P38も燃料切れ覚悟の空戦により五十機を越す未帰還機を出し、
ラバウル基地の防空に大きな不安を招くことになる。
「動ける艦は?」
「本艦とアラバマ、巡洋艦三隻と駆逐艦七隻です」
「沈没艦および動けない艦の乗組員を救助したのちにサモアに向け撤退する」
「オーストラリア方面でなく、サモア…ですか? 駆逐艦は燃料が持ちませんが」
「かまわん! 燃料は巡洋艦から分ければいい…足りなければ乗組員だけでも移す。
ギルバート沖の戦訓を考えれば、こことオーストラリアの間にはジャップの潜水艦がうようよ
してるはずだ。いまの状態では鴨にされる」
これは当たっていた。オーストラリアへ向かったターナーの部隊…旧式軽巡一、駆逐艦五、
輸送艦一…は潜水艦の攻撃により軽巡、駆逐艦そして輸送艦それぞれ一隻を失うことになる。
『ガダルカナルの陸兵を見捨てて逃げるのだから、へたすりゃ軍法会議だが、ともかく
生き延びることだ…たとえ水兵の身分に落とされても、またジャップと戦ってやる』
この意表をついた行動により日本軍はハルゼー艦隊の生き残りを取り逃がすことになる。
ハルゼーの逃走は『ブルズ・ランナウェー』として戦史にその名を残す。
夜半、ガダルカナル島およびツラギ島は七隻の日本戦艦部隊の砲撃を受ける…二千四百発の
四十センチ、三十六センチ砲弾によって、両島には合わせて二万名近いアメリカ人が
着の身着のまま、『何の物資』も持たずにさまようことになったのである。
ガダルカナル沖に残っていた米軍の損傷艦がすべて海の底に逝ったことは言うまでもない。
つづく