第八十二章『ノーベンバー・クライシス6』
『魔王』の艦隊はニューカレドニアを東から時計回りに迂回して東経百六十度の
線に沿って北上する…ガダルカナルはその線上にあるのだ。
旗艦、空母『みなと』艦橋…
「長官!潜水艦から敵艦隊発見の連絡です」
下西参謀長が明るい声で報告する。一連の作戦で疲労もたまっているだろうが
あいかわらず楽天的な表情で艦橋スタッフを和ませている。
「どれ…ほう、ガダルカナルのそばから離れてないね。米艦隊の司令官はおそらく
ハルゼーだと思うんだが、こっちに突っ込んでは来ないか…」
「現時点で距離は千二百ですが、いかがしますか?」
松島参謀の問いは敵との距離の詰め方をどうするか…ということだ。
「千キロまで近づいてから給油をしよう。それから夜の間に六百まで詰めよう…
決戦は明日だな」
「はっ、ここまでは予定通りですな。あとは一機艦がうまくやってくれれば
オーストラリアの喉元を締め上げることができるでしょう」
「参謀長、まだ皮算用は早いぞ。インド洋での苦労を忘れんようにな」
「いやあ、その通りで…今回はあらかじめ手間ひまかけて敵の基地をつぶしてありますが、
決して油断することなくことにあたりたいと思います」
「それにしても、長官の読みはズバリ当たりましたね。米軍がソロモン…ガダルカナルに
来るとは誰も考えなかったですから」
「…まあね。これは一種の勘としか言いようのないものだが…アメリカが空母部隊を太平洋に
送り込んだことを知ったときにふっと浮かんだのだよ」
「日本海軍ではトラックかニューギニアに投入するのではないか、という意見が主流でしたが」
「その可能性も充分考えられたよ。そのために途中まではどの方面にも動けるような態勢を
とらざるを得なかった…中途半端は危険なのだがね。陸軍に無理を言って送り込んだ『別班』の
連中がうまくやってくれてよかった。今回の作戦が成功したらその第一の功は彼らにある…
充分に報いるよう意見を出すつもりだ」
1942年十一月二十七日…未明
『ソロモン海戦』と呼ばれることになる戦いが始まろうとしていた。
ガダルカナル島の北、ツラギとサボ島というお椀を伏せたような島の間の海域にいた
輸送艦マコーレイの艦橋では水陸両用部隊指揮官、ターナー提督がまんじりともせず
夜明けを迎えようとしていた。
ガダルカナルでは徹夜で陣地造りや、陸揚げされたコルセア戦闘機の組み立てが続けられて
いるはずだ。
『今日をしのげれば状況はずっとよくなるはずだ。ハルゼーもバンデクリフトも頑張って
くれよ…』
ターナーは南を空をにらみながらそう胸の中でつぶやいたが、それは北の空からやって来た。
「ツラギの簡易レーダーより報告!北北東より航空機多数接近中…距離八十!」
「北北東!? 車載の簡易レーダーだろう、何かの間違いじゃないのか? ラバウルからの
エアカバーにしては方角が違うし、まだ早すぎる。うちのレーダーには捉えてないのか?」
「本艦からは北方の島が邪魔になっていますので…」
昨日はラバウルの陸軍航空隊が常時二十機ほどのP38をガダルカナルの上空にはりつかせて
くれた。だが、単座のP38に夜間に一千キロの飛行は先導機をつけたとしても危険過ぎるとして、
発進は夜明け直前になる。ガダルカナルに到着するのはまだ二時間は先のはずだ。
「…間違いありません。目標は四百キロ以上の速度でこちらに向かっています!」
「全艦、対空戦闘用意!バンデクリフトとハルゼー…ラバウルにも至急連絡しろ!」
南方五十キロほどの海域を遊弋しているハルゼー艦隊がすでに上げていた直俺機が
かけつけたときには、二百四十機の日本機が北の空一杯に広がっていた。
F4Fが十倍の敵機に呑み込まれて間もなく、逃げ惑う輸送船団の上に死の翼がおおいかぶさって
きた。衝撃で床に叩き付けられたターナーは乗艦のマコーレイが被弾したことを覚った。
転がったままの姿勢で窓越しに見上げる空を、日本機の群れがガダルカナルに向かっていく。
強力な土木機械と穴あき鉄板によって驚くべき短時間で完成した滑走路のわきには、十数機の
コルセアが組み立てを終え並んでいた。だが、それは迎撃に飛び立つことはなかった。
完成状態で空母によって運ばれたのならともかく、分解状態だった機体は組み上げてからも
各部の調整、滑走試験による操縦系統の試験、機銃の試射などを行ってからでないと
使い物にはならないのだ。
闘志あふれる海兵のパイロット達は、それでも飛ぼうとしたが燃料も機銃弾も積んでない飛行機は
どれほど必死になっても飛ばすことはできないし戦うこともできない。
滑走路もコルセアも、パイロット達を含めた米軍兵士の体もぐちゃぐちゃにされていく。
「ど…どういうことでしょう、長官」
「わかりきってるだろう。日本艦隊は三つあったってことだ。パラオ沖にいた奴、南にいる奴…
そしていま北にいる奴だ。なぜだかはわからんが、日本軍は完全にこっちの動きを知っていて
全力を挙げておれ達をつぶしに来ているんだ。おれ達があのくそいまいましい島に取り付いて
身動きが取れなくなるのを待っていたようにな」
パラオの西を南下していたのは第二機動艦隊である。彼らはその後、西に方向を転じて
スマトラ方面に向かっていた。一機艦と特設機動艦隊…魔王艦隊に搭乗員を引き抜かれたあとを
練度の落ちる新人多数で埋めたため、燃料がたっぷりあるスマトラ島リンガ泊地で訓練に励む
ことになっている。
「戦闘機の発進準備完了してます。さらにガダルカナルへ送り込みますか?」
「レーダーが南から接近してくる高速機を捉えました! 単機です…おそらく索敵機かと…」
「ガッデム! ガッデム!! ガーッデム!!!」
このときのハルゼーの叫びからガダルカナルは『ガッ島』と呼ばれることになる…かはさておき、
魔王艦隊とハルゼー艦隊はほぼ同時にお互いを発見する。
「…敵艦隊は空母を含む…我、敵戦闘機の追撃を受けつつあり」
位置の報告のあとに彗星とドーントレスが送った電文は同じようなものであった。その直後
通信が途絶えたことも…
ハルゼーはただちに攻撃機の全機出撃を命じた。味方を見捨てて逃げるのでないなら敗北は
免れ難い…ならば、せめて一矢を報いたい…非常にわかりやすい構図で坂道を転げ落ち始めた
わけである。
六隻の空母からF4F四十五、ドーントレス六十、アベンジャー四十…計百四十五機が発進、
南の日本艦隊に向かう…北の艦隊はまだ位置も判明してないし…
ハルゼー艦隊の乗組員の中にはこれが初陣という者も多く、彼らにとっては初めて見た
この『大編隊』をさえぎれるものなどないように思えた。かならずやジャップの艦隊を
打ちのめすであろうと…
それより少し前、ガダルカナル島攻撃が効果充分、再攻撃の要無しと判断した北の日本艦隊…
第一機動艦隊から零戦六十、艦爆六十、艦攻三十六…百五十六機の第二次攻撃隊が発艦していた。
そして魔王艦隊からは零戦百、艦爆百二十、艦攻六十の二百八十機が…
「一番槍は一機艦に譲ることになるだろうがそれでいい、南雲さんの顔もたてないとな…
それはともかく、二機艦から転属して来た搭乗員も大分なじんだようだね」
「はい、B…マイナスの者もいましたが、この二か月Aの者達に混じって鍛えられました。
搭乗員は技量が上の者には割と素直に従いますし、とけ込むのも早かったようです」
椿はインド洋作戦で消耗した、約五十機分の機体と搭乗員の補充を日本海軍に要請した…
予算…能力ポイントが心細くなってるので、新しく出現させるのをいやがったのだ。
搭載機種が増えるのは整備や運用上で望ましくないから『流星改』の替わりは艦攻ではなく
『彗星』で埋めた。
「米艦隊の空母の搭載数からいって、おそらく百五十機ほどが向かってくる…
なめていい数じゃない、気を引き締めてたのむぞ!」
ともかく『また死んじゃう』のだけは避けたいし…
つづく