第六十五章『ここもお約束』
特設機動艦隊…以降は魔王艦隊に統一する…がミッドウエーに続きウエーク島を
穴だらけにして、補給のめども立たない同島の守備隊をロビンソン・クルーソー状態に
してから日本に凱帰したのは1942年六月二十日のことである。
半月におよぶ活動の結果、同艦隊のあげた戦果は、椿(五十郎)の意向により至極慎ましやかに
報道された。
『敵大型爆撃機の大規模な空襲により我が方の要衝トラック基地は少なからぬ損害を受けた。
だが我が海軍も一部の部隊をもって、米海軍の牙城ハワイに攻撃を敢行した。
戦果について詳細を述べることはできないが、我が国が攻撃を受けたまま引き下がることなど
決してないことは米国にはっきりと知らしめたのである』
順番が入れ替わっているようだが、虚偽にならない程度に控えめにするようという椿の注文に
うまく応えてくれている。国民に対しては、アメリカとの戦争は巨大な戦力で進攻してくる敵を、
なんとか支えて反撃しているのだ…という形をとり続ける必要がある。いずれそれが本当のことに
なる可能性も高いことだし…
というわけで、艦隊はひっそりと『母港』となる千島列島の択捉島ヒトカップ湾に帰還した。
国民の歓呼に迎えられることは無いが、椿が各艦を回りねぎらいの言葉をかけるだけで、
乗員は充分に報われる設定になっているからこれで問題は無いのだ。
荒涼たる眺めだった北辺の地も昨年の秋から始まった工事によって、大分基地らしい様相を
呈してきている。大型艦用の繋留岸壁こそ無いものの、重油タンクや基地司令部の建物、兵舎、
周辺の対空陣地などはでき上がっている。また、巡洋艦以下を補修する一万トン級ドックも
急ピッチで工事が進められていた。史実で真珠湾に向かう南雲艦隊が集結した場所だけに、
泊地として広さは充分である…冬の暮らしは厳しいだろうけど、温泉施設もあるし別の
『娯楽施設』もできる予定だ…
機密保持の意味から基地要員はおもに近隣の樺太出身者から集められている。
同じ『椿の子供達』である艦隊の乗員にとっては居心地は悪くないはずだ。
椿五十二郎が碇を下ろした『みなと』の長官公室で基地の司令官以下と挨拶を交わしてる頃、
五十郎の方は途中で分派され横須賀に入港した吉浜少将率いる空母『なかの』『ねりま』、
戦艦『いせ』以下の艦隊を出迎えていた。
同行している山本長官を初めとする海軍首脳部も『御使い』の言葉を信じていなかった
わけではないが、こうして『自分達のものでない艦隊』を目の当たりにすることで、
ハワイ攻撃が現実だったことを初めて実感できたのだ。同時に『御使い』の力の恐ろしさも
あらためて認識したに違いない。
分遣隊が派遣されたのはデモンストレーションのためだけではない。
今回の作戦中に艦載機は未帰還四十九と損傷がひどく海上投棄したものを合わせて八十六機が
失われた…ちょうど空母一隻が空船となる計算だ。そこで『ねりま』を乗組員ごと連合艦隊に
貸与することにしたのだ。新造の大型正規空母が建造中の『葛城』『蔵王』の二隻しかない
日本海軍にとって断る理由は無い。『ねりま』は近日中に『乗鞍』と名を変えて連合艦隊に
編入される予定になっている。
開戦以来、半年余り…東南アジアの資源地帯を押さえ、数次に渡る戦いで連合国、特に米軍に
与えた打撃によって日本はしばしの安寧を手にすることができた。
「米軍の本格的攻勢は海軍戦力が再建される1943年夏以降でしょうが、それまでに我が国が
とるべき方策について検討をしたいと思います」
総力戦研究所分科会連絡会議…略して『総連』の議長、東郷外相が第二段階の戦略について
意見をうながした。
まず東条陸相が律儀に挙手をしてから発言する。
「陸軍としてはソ連の脅威が減少してる状況を生かし、対米英の戦備の充実に力を注ぎたい
と考えております。具体的には航空戦力の増強が最重要で、次に火器…特に第一線の部隊
だけでも九九式小銃への装備更新を早期に完了したい。したがって、いま以上の戦域の拡大は
避けるというのが基本方針です…が」
「が…?」
「一部にビルマへの進攻、インド解放などと言い出している者がおりまして…同調する意見も
少なくないのです」
ビルマか…と椿は思った。
『イギリスから解放して半世紀以上たっても、ろくでもない政権が支配してるんじゃ
意味ないよなあ…』
「何かおっしゃいましたか椿さん?」
「あ、…ビルマには独立闘争をしている組織があるはずですね。彼らに対する武器や食料、
医薬品等の物資援助は大いにするべきでしょう。特務機関による工作まではしてもけっこう
ですね。だが、軍の進攻は絶対避けましょう…ましてインドにかかわるなんてことは
日本の手に余る…はっきり言えば自殺行為です。必要なら『一部の者』を力で押さえて
ください」
この時点で日本軍がビルマに進攻すれば、弱体な英軍を駆逐することは確実だ。
しかし、それは日本の負担にはなってもイギリスに大きなダメージにはならない。
穀倉であるビルマの米が入らないことでインドの食料事情を悪化させ、政情を不安定に
することぐらいはできるかもしれないが…
ビルマが産出する石油は本来なら魅力だが、開発までの時間と費用を考えると割に合わないし、
現在すでに確保している地域だけでも充分である。
望ましいのは日本の援助を受けた独立組織との戦闘で、イギリスがいつまでも
血を流し続けるという状況だ。もちろんビルマ人の血もたくさん流れるだろうが、
それは当然のことで、あえて日本人が流す必要は無い。
「ただ、間接的に攻めることはやりましょう。海軍の役割ということになりますが…」
海軍を代表して豊田副武中将が方針を述べる。
「得られた時間的余裕を戦備充実にあてるというのは陸軍と同じですが、現在直面している
脅威にどう対応するかです。オーストラリアを策源地として我が軍の南方の要トラック島に
加えられている圧力をどうするか…一つの方策として米英からの輸送路遮断があります。
すでに第二機動艦隊の一部をもってインド洋で通商破壊戦を実施しました。今後これを
拡大することでビルマ方面の英軍の弱体化にもつなげたいと考えます」
「重要度から言うと、ニューカレドニア経由で行われていると思われる米軍の輸送路
遮断の方が高いのではないか?」
「確かに…その点は椿さんの艦隊の補修完了を待って、できるだけ早く詰めるつもりです」
レイテ沖海戦や南太平洋海戦での損傷艦は戦艦大和、信濃以下ほとんどが修理を完了、武蔵も
七月末には戦列に復帰する予定になっている。空いたドックにはすぐさま活動を続けて疲労した
艦が入り、突貫工事で補修がおこなわれている。海軍というものは戦闘時以外はしょっちゅう
補給と補修に追われてるのだ。
魔王艦隊をふくめたこの時点での世界最大、最強の海軍をどう動かすか…夏の大イベントが
始まろうとしている。
『夏…イベント……コミケに…コスプレ広場に行きたいなあ』
椿の埒もないつぶやきは幸い周囲の誰の耳にも届かなかったようである。
つづく