第六十四章『6・11』
椿が特設機動艦隊をオアフ島の東に出現させたのは単純に意外性を狙ったからだ。
日米の位置関係からして、攻撃隊が東から接近すれば少しでも混乱を呼べるだろうと
期待したわけで、米軍の対応の遅れからその効果は十分にあったと判断される。
だが、このことは思わぬ形で大きな波紋を呼ぶ…
日本の強力な艦隊がハワイの東にいる…ハワイと米本土の間にいる…奴らをさえぎるはずの
太平洋艦隊は壊滅したらしい…奴らは米本土、西海岸にやって来る…に違いない。
個々の事柄に事実な分が多いだけに、噂は真実味を帯びて一人歩きし始める。
政府は沈静化に務めるが、日本艦隊の動向がつかめない中で万一に備えて警備の州兵を
配置せざるを得ず、それがまた住民の恐怖を煽った。
ハワイとの距離から、日本艦隊が現れるとされた現地時間六月十日の夜、西海岸各地で
『目撃情報』が飛び交うと頂点に達した住民の恐怖心は一気にパニックを引き起こす。
気の早い連中は前日あたりから車に家財道具を載せて内陸部に向かったりしていたが、
随所で渋滞を引き起こし混乱に拍車をかけていた。夜の西海岸一帯に警笛と怒号が
渦巻く中で当然のように『それ』は起こった。
一発の銃声…最初のそれは誰が何のためになにを撃ったのかは不明だが、たちまち
『日本軍上陸』と形をとって周囲に広がっていった。
街を自分たちで守ろうという『気概に満ちた』連中は、銃で武装した自警団を組織して
敵の来襲を待ち受けていた。錯綜した情報が彼らの元に届いたとき『上陸したジャップに
呼応してイエロー共が暴動を起こそうとしている』『元々奴らはジャップのスパイで
手引きをしている』『この機に乗じて黒人も反乱を起こす計画だ』等々…完全な、いや
『おそらくは』デマとなっていた。
二十一世紀の情報化された社会でも、あのテロ以降のこの国の民衆がどう振る舞ったかを
見ればこの夜に起きたことは意外でもなんでもない…いや、世界のどこの国であっても
たいした違いはないはずだ。日出ずる国では、大震災の混乱の中で朝鮮人や中国人を虐殺
したこともあったろう。負け戦続きでまともな思考能力を喪った軍が沖縄県民に自決を
強要したこともあったに違いない。自分達だけはそんなことはしないとか、自分達だけが
そんなことをしてしまったとかいうことはないのである。どこの国でも、どんな民族でも
同じような状況の元では似たようなことをしがちなのだ。『なかったこと』にしたり、
必要以上に自虐的になる必要はさらさら無い。それがいけないことであると自覚してるならば、
しっかりとした認識を重ねたのちに、できるだけそういう事態を避けうる社会システムを
作るしかないだろう。
皮肉なことに日系人は『一時移転場所』に移されていて、この事件にはかかわっていない。
日系人が移転するにあたっては、政府が財産を預かるという制度があったが信用する者は少なく
多くの者は二束三文で売り払った。買い手には中国系の市民も多く、彼らは思わぬ利益を上げ
ほくほく顔であったが、この夜自警団の銃口の前で永遠に青い顔になることになった。
ベトナム系であろうと、マレー系であろうとアジア人の顔の区別などつかないし、言葉もまた
しかりである。黒人の一部には商店を焼き討ちしたりする者もあったようで、これ幸いとばかり
いっしょくたに撃ち殺される。派遣された州兵のライフルはときとして暴徒化した自警団にも
向けられ混乱を一層助長させることになった。
夜が明け、十一日の昼頃になってようやく『日本軍』はどこにもいないことがわかった。
『6・11』の被害者は統計によって数百から万を越えるまで様々な数字が上げられている…
市民権を持たなかったり、そもそも戸籍が無い死者も多かったからといわれる。
女性に対する暴行や児童殺傷などが表面化するのはかなり後になってからになるだろう。
事態が完全に沈静化したのは日本艦隊の所在が明らかになったからである、
この日、太平洋のど真ん中にある米領…ミッドウエー島が日本軍艦載機の大群に襲われ
現地守備隊が上げる悲鳴が届いたのだ。
特設機動艦隊はハワイ攻撃の後、一時は実際に北東に向かったのである。米本土攻撃は
考慮の外であったが、しばらくは行動を秘匿することで北太平洋の航路に圧力をかけようと
いう意図があった。これは図に当たり北米沿岸の通商路は大混乱に陥ったのだ。
その先は三つの選択肢がある…米領ではあるが、北のはずれアラスカ、アリューシャンに
接近してダッチハーバーの基地を攻撃、米軍の力を分散させるとともに対ソ支援の輸送路を
脅かす。だが、この時期気候が不安定で濃霧などで攻撃が空振りになる可能性が高い。
また対ソ支援の輸送船は『供与された形』をとりソ連国旗を掲げているという情報もある。
臨検すれば乗組員が米国籍だったりして面白いことになるかもしれないが、ややこしい
事態になることも予想されるのでやめることにした。
南に進み、パルミラ島やクリスマス諸島などの南西太平洋の中継基地をつぶし、
ニューカレドニア、サモアからオーストラリアへの補給路を脅かす。
トラック空襲の報は入っていたから、そちらの米軍の圧力を削ぐ意味では魅力がある。
ただ、いかんせん長期、長距離の行動になり補給の面から不安はぬぐえない。
能力ポイントを使って物資を補給することは可能だが、そこまでやっちゃうと逆に
『つまらなく』なってしまう。制約の中でプレイしてこそ、真に戦争を楽しむことが
できるのだから…
というわけで、その後は北へハワイを大きく迂回して、燃料の補給もしながらゆるゆると
西に向かいミッドウエー島の北に現れるという至極まともな選択をしたのだ。
『ミッドウエー』…架空戦記、妄想戦記をこころざす? 者ならば、必ずと言っていいほど
一度はここを訪れるだろう。椿も例外ではない…文字が読めるようになって半世紀、
どれほどここでの戦いの『逆転』の物語を目にしてきたことか…どれほど自らの頭の中で
妄想の艦隊を動かしてきたことか…
いま椿は、魔王艦隊を率いてここに来た。旗艦『みなと』の艦橋で攻撃隊発進を命令しながら
かすかだが体が震えるのを止めることができない。むろん緊張や不安からではない…心の底から
湧き上がってくる歓喜のためである。
戦闘そのものはあっけなく終わる…日本軍の暗号を解読した米機動部隊が奇襲攻撃をかけてくる
こともない…それは真珠湾で黒こげのグシャグシャのオイル漬けになっているから。
開戦当初とあまり変わらず、守備隊および航空基地要員が合わせて八百名ほど、カタリナ飛行艇と
ブリュスター・バッファロー戦闘機がそれぞれ二十数機いるだけである。
もちろん、かのジョン・フォード監督が記録映画を撮るために来たりもしていない。
さすがにレーダーは配備されていたので、バッファローは日本軍艦載機に立ち向かいはした。
F4Fより一段落ちるとされるバッファローだが、奇跡的にも百機の零戦をかいくぐって二機の
彗星を撃墜した。見事ではあったが、二波合計六百機の攻撃の中でミッドウエーの航空隊は
全滅する…生き残ったのは哨戒に出ていて、そのままハワイ方面に逃走した三機のカタリナだけで
あった。
攻撃隊は飛行場、燃料タンク、砲台、対空火器、環礁内の魚雷艇、おまけにハワイへの帰途で
足止めを食っていた潜水艦まで丹念につぶしていった。
午後遅くなって島に接近した魔王艦隊は戦艦『いせ』『ひゅうが』による艦砲射撃を実施する。
オーバーキルかもしれないが、ここは気分的に徹底してやっておきたいところである。
二艦合計で約五百五十発の四十センチ砲弾が降り注ぎ、ミッドウエー環礁の二つの島…
イースター島とサンド島が月面状態になったところで攻撃は終了した。
「楽しそうですな、長官」
下西参謀長の声に、笑みを隠そうともせず椿五十二郎は答える。
「その通りだよ参謀長、楽しくてたまらん…ここは私の旅の目的の一つだったからね」
あれだけの攻撃にもかかわらず生き残った将兵はいるらしい。上陸部隊を持たない艦隊は
ミッドウエーを離れつつあったが、『みなと』の無線傍受班は守備隊が発した無線を
キャッチした…ミッドウエーとハワイの間には海底ケーブルによる電信が通じているはずだが
損傷したのだろうか。救援を求める悲鳴のような電文の中に、飲料水タンクが破壊されたらしく
以下のようなものがあった。
『至急、海水蒸留装置を送れ』
つづく
え〜、ミッドウエーで一章を書きたいところですが、ご覧の通り海戦が起きようもありませんので、さらっと流してしまいました。まあ、この島自体にさほど戦略的価値はありませんから、状況が違えばこんなものかもしれませんね。