第六十三章『六月の七日間…4』
アフリカ大陸でのこれまでの戦況はほぼ史実通りである。参戦したリビアのイタリア軍が
イギリス軍に一蹴され『面積で計算した方が速い』といわれるほどの捕虜を出して
崩壊しかかった。そこで登場したのがご存知『砂漠の狐』ロンメル将軍である。
ドイツアフリカ軍団を率いたロンメルは巧妙な作戦と、自ら前線で戦闘指揮をとるという
型破りぶりを発揮して将兵の士気を高めた。体調を崩しアフリカを離れたこともあったが、
対ソ戦の進捗に気を良くしたヒトラーからかなりの規模の増援を引き出し戻ってきた。
マルタ島の英軍の妨害に悩まされながらも、兵員、戦車、火砲、航空機のすべてに史実の
三割増しの戦力を得たロンメルは、五月三十一日エルアラメインの英軍陣地に攻撃を
開始した。ここを突破すればアレキサンドリア、カイロ、そしてイギリスの通商路の急所
スエズ運河の攻略が見えてくる。
モントゴメリー将軍指揮下の英軍は強固な陣地にこもって粘り強い抗戦を続けたが、六日深夜
ついに一部のドイツ軍が英陣地群を突破して背後に回ることに成功する。
史実より半年近く早い戦いは、ドイツ軍の戦力が三割増し、イギリス軍の戦力備蓄が三割減…
勝敗は必然の結果だったかもしれないが、さすがに英軍は大崩壊を起こすことなく後退した。
ロンメルは八日になって勝利宣言を出したものの、突破戦力である戦車の損害も大きく
一気にエジプト征服とはいかない…やはりギリギリの勝利だったのだ。
予想される米英軍の西アフリカへの進攻までに、この方面の決着を着けられるかどうかはまだ
予断を許さない。同時期のマルタ攻撃によって生じた東部地中海での優位をどう生かせるかに
枢軸側の命運がかかっていた。
ソ連があげ続ける悲鳴に応えるための『第二戦戦』の構築は連合軍にとって急務であった。
ノルウエー進攻やフランスへの限定的進攻などいくつかの候補は上がったが、結局アフリカ
西部のモロッコおよびアルジェリアへの上陸作戦…作戦名『トーチ(たいまつ)』が選択され
準備が急がれていた。
だが、この戦況では予定された十一月では間に合わないかもしれない。抵抗は少ないだろうと
予想されている在アフリカのビシーフランス軍も、枢軸軍の優位が決定的になれば対応が変わる
可能性がある。アメリカという巨大な車輪が回り始めた以上、先になればなるほど戦力的に
有利になるはずの連合国だが、少なくともこの時点のこの戦線では時間は味方ではないのだ。
そのころ、ヨーロッパではイギリス空軍および展開しつつあるアメリカ第八空軍のドイツ本土に
対する戦略爆撃が本格化しようとしていたが、その話はまた今度ということで…
六月五日、特設機動艦隊がハワイを環境破壊の見本市状態にしている最中に、太平洋における
もう一つの大空襲が行われた。英領ニューブリテン島のラバウルから発進した米軍機が、
南太平洋の日本の牙城、カロリン諸島のトラック基地を襲ったのである。
ハワイより三時間ばかり遅い夜明けを迎えようとしているトラック島の電探が、北上する
大編隊を八十キロの距離で捉えたときにはすでに迎撃準備が整っていた。トラック南方に
配置された哨戒潜水艦からの情報により準備を開始、七十機の零戦が洋上に進出していた。
五十機の雷電、四十機の月光も順次発進を始めており、陸軍航空隊も六十機の鍾馗三十機の
屠龍が出撃、総計二百五十の戦闘機がトラック上空を埋め尽くしていた。
だが、先に発進した司偵からの目視情報が楽観を吹き飛ばす。
『敵はB17約二百五十…他に高翼式双垂直尾翼の四発機が約五十…双発双胴の機体が約百機…』
コンソリデーテッドB24の太平洋への配備は秋以降のはず…やはり史実とは色々ずれが生じて
きてるようだ。ま、当然のことである…椿が昔読んだ『架空戦記』の中には、一つの局面を
けっこう大きく変化させても、それと連動すると思われる次の局面に何の変化も起こっておらず
『んなわけねえだろ〜』と、興ざめというより無性にいらつかされた覚えがある。
それはともかく、大編隊とはわかっていても、これほど…四百機…とは思わなかった。
ロッキードP38は確かに高速ではあるが、護衛に向いている機体ではなく日本軍搭乗員に
言わせれば組みしやすい相手…であった。それでも百機で来られると爆撃機に取り付くのに
手間取り、トラックへの侵入を阻止することはできなかった。
結果、二百機近くが投弾に成功して飛行場、港湾施設および船舶、一般住宅…民間人もかなり
住んでいたので…にかなりの被害を受けてしまった。船舶は輸送船四隻、駆潜艇三隻、潜水艦
一隻が撃沈破されるという大損害である。
戦闘機も未帰還約三十に、落下傘降下して放棄した機体、着陸事故を起こしたものなどを
合わせると六十機が失われた。また、輸送機など退避が間に合わなかった機体約三十が
地上撃破の憂き目を見た。一日の損害としては開戦以来初めての数字である。
連日これが繰り返されたら…トラック基地司令部のみならず本土の軍上層部をも震撼させた
空襲は、意外なことにそれっきり途絶えた。
米軍の損害もまた膨大なものだったのだ。空中戦で撃墜が確実とされたのはB17が二十、
B24が…珍しいので戦闘機を引き寄せた上に防御に難のある初期型だったためか…十機、
P38が二十機だったが、ラバウルに戻るまでにB17十五機、B24五機、P38に至っては
四十機近くが不時着水で失われた。大型の増槽を装備して片道千キロを超える長距離進攻を
こなしたP38であったが、やはり単座故の限界を露呈した。パイロットの負傷や機体の少しの
損傷でも帰り道が保たなかったのだ。史実のガダルカナル戦で、やはりラバウルから出撃した
零戦が味わった悲劇と同様である。
着陸事故を含めて計百二十機…三十パーセントの完全喪失は許容範囲を超える。
その上、損傷機から吐き出される負傷者の数の多さも、米軍指揮官に爆撃継続を断念させるのに
充分であった。開戦劈頭にフィリピンのB17が裸で行った台湾爆撃よりはましだったかも
しれないが、現状でこれ以上のトラック攻撃は無謀という結論になったのである。
『空母艦載機と連動して攻めるしか無い』…だが、この日の朝の時点で米海軍には一隻の
戦闘空母も残されてはいなかった。
こうして六月五日を中心にしてほぼ一週間、世界各地の戦場で同時に激しいドンパチが
繰り広げられた『六月の七日間』は終わった。死んだ人間の数でいえば同時期に戦争に
直接関係のない中国大陸やインド、アフリカや南米で飢餓、伝染病、洪水などの災害によって
死んだ人間の方がずっと多かったけど…
少しニュアンスは違うが、戦闘によらない『非業の死』が集団で起きたところがあった。
アメリカ合衆国の歴史に『6・11』として刻まれる事件である。
つづく
日本がらみのところはほぼ記憶のみで書きなぐっていますが、他の戦線は
多少なりとも調べないと書けません。時系列などかなりいい加減に覚えていたみたいで、けっこう勉強?になります。