第六十二章『六月の七日間…3』
イタリア海軍の仮想敵国は地中海で覇を競うフランスであって、世界の海に覇を唱える
大英帝国でないことは確かである。したがって、ドイツに降伏したフランス海軍が
実質的に消滅したいま、イタリア海軍の行動が不活発なのはそのドクトリンからして
無理もないといえるかもしれない。
イタリアが海軍建設に不熱心であったかというと、それも当たらない。少なくともライバルの
フランス並みにはやっていた。貧乏国にしては頑張って、軍縮条約あけからは新鋭戦艦を四隻も
造った…内二隻は建造中だが。しかし、その新鋭戦艦『ヴィットリオ・ベネト』と
『リットリオ』は戦争が始まると、空襲やら潜水艦の雷撃やらでしょっちゅう損傷を受け、
修理ばかりしていてろくな働きができていない。
海軍のみならず、この戦争でのイタリア軍全般の弱さはほぼ史実通りであるが、兵士として
弱いということではない。空挺部隊や戦闘機乗りには闘志あふれる者も多く、貧弱な装備にも
かかわらず健闘した例もある。海軍でも41年十二月、アレキサンドリア港に侵入して
英戦艦『クイーンエリザベス』と『ヴァリアント』を擱座させた人間魚雷…体当たりする
わけではなく、潜水服を着た兵士が乗って敵艦に近づき爆薬を仕掛ける…のようにラテン系
らしい冒険的作戦で戦果を挙げてもいた。しかし、軍はシステムであって個々の兵士は重要では
あるがパーツのひとつに過ぎない。システムが古かったりバランスが悪かったりすれば所期の
成果を上げることはできない…つまり戦争には勝てないのである。
陸軍の装備は基本的に第一次世界大戦の水準であった。空軍は機体設計には見るべきものも
あったが、工業技術の低さからくるエンジンの非力さで期待された性能を得られずにいた。
三発の中型爆撃機などという色物は好きで造っているわけではなく、双発では間に合わない
からなのである。こんな兵器で大戦争をやれといわれてテンションが上がるわけは無い。
1935年のアビシニア(エチオピア)併合まではイタリア軍のテンションも高く、国民も
不景気な世相を忘れさせるその政策を支持していた。だが、第一次世界大戦同様に日和ったあげく
ヒトラーの尻馬に乗って始めたこの戦争は軍にも国民にも『迷惑千万』なものであった。
統領ムッソリーニの立場は政治の指導者ではあるが、軍に対する指揮権は持たない…
軍の忠誠はビットリオ・エマヌエレ国王に向けられている。その点ヒトラーと大きく違って
『独裁者』ではないのだ。
イタリア軍とドイツ軍はアフリカの戦局をにらみ、地中海の要衝マルタ島攻撃を計画した。
マルタ島のイギリス空軍は地中海の枢軸軍の輸送路にとって常に重大な脅威であった。
ここを押さえられれば航路の安全が確保できるばかりでなく、アフリカ西岸に上陸する
アメリカ軍に対抗する上でも有利となるからだ。
だが、兵員と船舶の都合がつかず攻略作戦は延期となり、代わりに長期間マルタを無力化する
作戦を実施することになった。まず、イタリア南端のシチリア島に集結した独伊空軍の総力を
あげて、一時的に英空軍を無力化する…これは何度も行われていたが、本格的重爆撃機を
持たない独伊空軍では致命的打撃を与えられず、すぐ回復されてしまっていた。
そこで今回は制空権を確保した隙にイタリア海軍を突入させ、戦艦の砲撃によって飛行場
および港湾施設に当面回復不可能な損害を与えようという計画が立てられた。
なんだかんだと渋った海軍司令部も、なかば恫喝に近いドイツ側の要求と燃料の特別供給を
受けて出撃せざるを得なくなった。空襲の開始は六月三日、艦隊の突入は六日と予定された。
英海軍が巧妙な欺瞞工作で隠していたアレキサンドリア港の損害をドイツ情報部がここにきて
つかんだことも出撃を決意させた一因である。クイーンエリザベス級戦艦二隻が出て来れない
のなら、少しは成功の確率も高まるだろう。
かくして、旗艦ヴィットリオ・ベネト以下、リットリオ、巡洋艦五隻、駆逐艦十二隻の
イタリア艦隊はイアキーノ提督指揮のもと、勇躍…とはお世辞にもいえないが、ともかく
出撃したのであった。
イギリスにとって本国艦隊に次いで重要で格式の高い地中海艦隊であるが、この時点での戦力は
非常に心もとないものであった。日本海軍の進攻に備えて、インド洋にクイーンエリザベス級の
『ウォースパイト』とR級戦艦四隻…『リヴェンジ』『ラミリーズ』『レゾリューション』
『ロイヤル・ソブリン』をまわしてあるので、すぐに出撃できるのはジブラルタルのH部隊…
戦艦『ネルソン』、巡洋戦艦『レナウン』の二隻を中核とする艦隊だけであった。
やはり、どこかでイタリア海軍をなめていたのだろう。実質的な脅威が戦艦ティルピッツと
Uボートだけになっているドイツ海軍より遥かに強力な戦力を持ちながら、積極的に戦おうと
しないイタリア海軍をくみしやすしと判断したのは無理も無いのだが…積極的に戦おうとした
41年三月のマタバン岬沖の海戦では英海軍に一方的にボコボコにされていたし…
イタリア艦隊出撃の情報をつかんだH部隊はマルタ島沖に急行する…いつもどおり『蹴散らし』
追い返すために…だが、マルタの哨戒網が空襲によって機能していないためイタリア艦隊を
捕捉するのに手間取った。そして六月五日の午後、両艦隊が出会ったときH部隊はイタリア艦隊の
後方を…退路を扼する形で現れたのだ。指揮官はカニンガム提督…双方マタバン岬沖と同じ配役で
あった。
ヴィットリオ・ベネト艦上のイアキーノ提督は驚愕した。彼の腹づもりでは、英艦隊が
現れなければもちろんマルタ砲撃を行うつもりだったが、もし出会ったら適当に戦いつつ全艦が
三十ノット以上を出せる高速性を生かして離脱すればよいと考えていたのだ…英艦隊に低速の
ネルソン級が含まれているだろうという情報は入っていた…
だが、敵は背後に現れた…逃げられない! よく考えれば艦隊運動で英艦隊を引き離し離脱する
ことは充分に可能なのだが、ここではイアキーノ以下全艦隊が『生きて帰りたかったら、とことん
やるっきゃない!』という心理に支配されてしまった。
カニンガム提督の方も、この態勢ならイタリア艦隊を殲滅する好機だと判断して動いた。
ネルソンとレナウン以下、巡洋艦四隻、駆逐艦七隻…機関の故障でジブラルタルに残った
空母『フォーミダブル』がいれば様相はずいぶん変わったことだろうが…ほぼ同勢力の両艦隊は
正面から激突した。
数、性能、乗組員の練度、士気…戦闘の勝敗を決する要素はたくさんあるが、ここでは主力艦の
速度以外に大きな差は無かった。イタリア海軍とて素人の集団ではないのだから…
リットリオの三十八センチ砲弾が動きの鈍いネルソンの艦尾に命中、さらに動きを鈍らしたとき
ラテン艦隊の血が沸き立ち『やったれや〜!』という番長まんがのクライマックス状態になったと
思われる。
激闘二時間、主砲塔二基を破壊されたレナウンが煙幕を張りながら逃走に移ったとき、英艦隊に
とり特別な英雄の艦名を持つ戦艦は沈みかけていた…巡洋艦一隻と駆逐艦三隻も同様である。
対するイタリア艦隊は駆逐艦二隻を失い、ヴィットリオ・ベネト以下ほとんどの艦が損傷を
受けていたが、いずれも中小破であり行動に支障をきたすほどではなかった。
「勝った!…諸君は故郷に帰ったら家族に語るがよい…『私はマルタ島沖で戦った』…と」
感極まったイアキーノは全艦隊にそう通達したが、砲弾欠乏を理由に本来の目的である
マルタ砲撃をしないで引き揚げてしまう。そのため『六十五点の答案』と酷評されるのだが、
大英帝国の艦隊を打ち破ったということで、一時的にせよイタリア国民の戦意を多いに
盛り上げたことは確かであった。
完璧な成果とはいかなかったが、マルタ島に対する空襲と海戦によって生じた地中海における
連合軍戦力の空白は、南に広がるアフリカ大陸の戦況に影響を与えずにはおかなかった。
つづく
史実の日本の扶桑級戦艦と同様、役立たずの代表にされることが多いイタリア海軍ですが、貧乏国がせっかく造った戦艦に少しは活躍させてみたいですよね。