第五十五章『酔い覚ましの海戦』
椿五十郎は今日も忙しかった。
総連の各種会合では世界各地の戦局についての情報分析、米軍の動向、兵器の開発、
生産の状況報告と対策などが行われている。この定常的な会合の中で椿が『干渉』してきた
項目の中には今後に重大な影響を与えるであろうものも多々あり、その件は逐次述べて
いこうと思っている。
だが、この日は特に差し迫った二つの議題が中心となっていた。
英領でオーストラリアが管理しているニューブリテン島の航空基地が大規模に拡充され
米軍航空隊が進出しているとの報告は、その位置が重爆撃機ならトラックを充分攻撃可能な
ことから一同を緊張させた。
もっともニューブリテン島は対オーストラリア戦を考える上で、日本が攻勢をとる場合にも
占領と大規模な航空基地建設が必須であったから、そのこと自体は意外ではなかった。
驚かされたのはそのスピード…おそらく米軍の…土木技術の高さである。間欠的に行われていた
偵察の間の『見る見るうち』に巨大な基地ができていく様は、アメリカほどではないにせよ
世界的に見て決して低いレベルではない機械化された土木技術を持つ、この世界の日本でも
遠くおよばないと思われた…人力中心、ツルハシとモッコでそれに対抗しようとした史実の
日本の哀れさはやっぱり涙ものである。
「トラックの戦闘機隊は機材も搭乗員もめいっぱい拡充されています。ニューブリテンからでは
敵戦闘機の随伴はちと苦しいでしょうから、迎撃戦に不安は無いと思われますが」
「…敵に長距離戦闘機が配備されていれば状況は変わります。ロッキード社のP38の情報は
入っていましたよね」
「アフリカで登場したという双発、双胴の機体ですね。イタリアからの情報では
地上襲撃機として使われているようですが…」
「単座の重戦闘機で零戦より長い後続力と六百三十キロほどの最高速度を持っています。
武装も12,7ミリが四挺に20ミリが一門…格闘戦は得意じゃないでしょうが、一撃離脱で
来られると厄介な相手ですよ」
「それは……確かに厄介ですね。そいつが出てくる可能性があることをトラックに連絡して
おきましょう」
この件はタイミングよく?入って来た報告によってあっさり結論が出る。
この日偵察に出た百式司偵が『双胴の高速機』に遭遇したと連絡した後、未帰還と
なったからだ。その高速性から高い生還率を誇った司偵にとっても、戦場の空は一気に
危険を増すことになったのである。
『史実より太平洋への配備が若干早いようだ…米軍も必死ということだな』
椿はうなずくと、今日の最大の議題である『これから自分がやろうとしている日本海軍から
独立した戦力による作戦』に話を移した。
昨夜のうちに総連を通して海軍軍令部や連合艦隊司令部には話をまわし、関係する部隊等への
連絡も取ってもらってある。その確認や細部の詰めをするために軍令部の第一作戦部長、
福留繁少将や連合艦隊の宇垣参謀長も顔を揃えていた。
唐突…というわけではないのだ。椿は自分の影響力がこの世界に浸透し始めた段階から
繰り返しこのことを予告して来た。『御使い』として『機』だと判断した場合、自分に
許されている力の範囲で独自の戦力を出現させ、時として単独の作戦を行う…と
出現した戦力は『やられない限り』この世界に残るから『帰る場所』…根拠地が必要であり、
その準備も進捗している。
「つまり、その『機』が来たということですね椿さん」
福留少将が一段低い位置にある巨大な兵棋盤の地図の一点を見つめながら言った。
その通りだ…ただし、当初思い描いていたものとはだいぶ変わった『機』だ。
椿は、その力を振るうにあたっての理想のシュチュエーションというものを…おぼろげに
ではあるが…持っていた。史実のマリアナ沖やレイテ沖海戦のような絶望的な戦場に突如と
して強大な戦力を出現させ、戦局を一機に逆転させるという…妄想戦記の王道ともいえる
ものであった。
しかし、そこに向かってモチベーションを高めるためにも『悪い芽』を摘んでいく必要が
あり、それは今のところ思った以上に順調な結果を出している。『南太平洋海戦』などは
結果が出過ぎたとすら言えるだろう。それでも彼我の国力を考えればいつかは『マリアナ沖』で
大決戦という場面はくるだろうが、これまで何十、何百回と頭の中で繰り返し妄想して来た
その『予定調和』のような舞台に向かうのがつまらなく感じられて来たのだ。
危険なことかもしれないが、『食べたい時がうまい時』という言葉もある。米軍の反攻態勢が
椿の知る史実と…当然のことではあるが…微妙に変わって来ていることもこの決断を後押しした。
ここで一発放り込む石がどんな波紋を描くか、見てみるべ…という決断である。
歴史上では、こうした『必然性のない作戦』が悲劇に終わった例は多い…ノモンハンとか
インパールとかガダルカナルとか…スターリングラードとか…
だが、いずれにせよ…椿にとっては…面白くなければ戦争でないのだから、これでいいのだ。
「その…戦力の名称は前々から聞いていた『あれ』でよろしいのですか」
「はい、宇垣さん…『特設機動艦隊』でいきましょう」
その日、家に戻った椿は言いつけてあった早めの夕食をとった…当然酒も飲む。
六月の夕方、井戸水で冷やしたビールがのどに心地よい。平成の世界ではキンキンに
冷やしたビールを冷凍庫に入れといたジョッキで飲むのが常だったが、時空の旅に出て
はや二年近く、やや冷たいぐらいのビールにも慣れたようだ…冬はけっこう冷えてるし…
「ん〜、陽のあるうちに飲む酒はうまいなあ」
「閣下はいつどんなときでも、おいしそうに飲まれますよ」
「はは…その通りだなサチ、ところでこの『たたみいわし』は良い焼き加減で酒が進むが、
サチが焼いてくれたのかな」
「はい……あの、なにか良いことでもおありでしたか?いつになくお口が軽いようですが」
クスッと笑われながらいわれて『魔王』は思わず赤面してしまう。
小心者故、これからすることを前に小娘にあっさり見抜かれるほどハイになっているのだ。
そういえば小さい頃…めったにない『お出かけ』の時なんか、ハイになりすぎてそこらを
駆け回ったあげくに転んでけがをしたことがよくあったな。
「え〜とね、これからすぐ寝ます。十時に起こして下さい…夜中に出かけることが
あるかもしれないが、そのときは朝食はいらないのでメモ…書き付けを置いていきます。
あ、日本酒を少し飲んでから寝ます」
十時…威厳のない魔王はサチとセツ二人掛かりで起こされ『お願い、あと五分』などと
魔王にあるまじき発言をして、ますます威厳をなくすのであった。
つづく
一週間ばかり宴会の日が多く、酩酊どころか『泥酔または二日酔いの海戦』状態で更新できませんでした〜。