第五十一章『プロジェクトP…2』
この章では売春や従軍慰安婦などについて書いています。それをなくそうとかやめようではなく、どうやったらうまくいくかという書き方をしてます。不快に感じられる方がおられるかもしれませんのであらかじめお断りをさせて頂きました。
「生身の若い男達が何千、何万という数で異国の地に長期間暮らすというのは
異常なことです。ましてや物見遊山の旅行などではなく、敵を殺すか、逆に殺されるかも
しれない戦争という異常事態の中で…ですね」
椿のレクチャーは日本の軍隊が初めて中国、朝鮮半島以外の外国領土に侵攻して、おそらく
年単位の長期にわたり駐留するにあたっての注意事項のようなものであった。
日本陸軍にはそのような事態に対するノウハウの蓄積が少なかった。
日清戦争での台湾や日露戦争での樺太、第一次世界大戦後のマーシャル、カロリンなどは
『自国領』を戦後になってから統治するということで今回のケースとは違う面も多いだろう。
研究がされ始めてまだ日も浅く、戦いを指揮し占領行政に当たらねばならない山下や今村に
とってはどんなことでも参考にしたい状態だった。
「現地住民は初めは日本軍を解放軍として歓迎するかもしれないが、それは一過性のもので
情勢が変われば簡単に抵抗勢力に変わります。日本が欧州大戦による混乱に乗じた
『火事場泥棒』であるとの印象を持たれることは避けなければなりません」
それはよくわかる。戦争というものが基本的に自己(国)中心に行われるとしても、
内外に対してできる限りの大義名分…格好づけをすることは必要だ。
「理想をいえば、現地住民が政治的、経済的、さらには軍事的にもに自立して日本の
友好国となってくれればよいのですが、今次戦争の間にそれを望むのは大変困難な
ことでしょう」
たとえ現在植民地を支配している欧米列強を追い出したとしても、すぐ独立国ができると
いうものではない。行政組織や経済の中核をになっているのは欧米人や、それと結びついた
現地住民の特権階級であるからだ。彼らがいなくなった後で国家運営に当たる人材を
揃えるのは容易なことではない。
独立闘争に心血を注いだ闘士達が平時の政治家や官僚、経済人として役に立たない例は多い。
史実の戦後にアジア、アフリカの新独立国がたどった歴史を見れば、自立にはほとんど
半世紀を要すると言っても過言ではない。
東西冷戦の影響や先進国の干渉はあったろうが、そうした障害が発生するのは当然で
他国からの祝福と適正な援助に包まれた新国家建設など望む方がまちがっている。
「将来の独立に向けての基盤造りのためには、人材を失わないようできるかぎりの寛容さが
必要になります。難しい舵取りを強いられると思いますが頑張って下さい」
椿の話は軍人にとっては少々居心地の悪い面もあったが納得できる点も多く、とくに
宗教についての注意点は座り直して聞き入った。
「インドネシアにはイスラム教徒…回教徒と言った方がわかりやすいかもしれません…が
多く住んでいます。日本人にはあまりなじみのない宗教ですね。かれらの宗教に関する
行動様式については格段の配慮が必要です…その点は文書にまとめたものを配布しますが、
間違っても『皇居に向かっての遥拝』など強要してはいけませんよ」
古来から日本人は宗教に関して寛容というか無頓着である。母親の腹にいるときに神社…
水天宮にお参りするところから始まって、お彼岸やお盆には寺に墓参り、結婚式を
キリスト教会で上げて最後は仏教の葬式で送られる。違う人もいるだろうが平成の世でも
こんな感じが一般の日本人の宗教とのかかわり方ではなかろうか。
八百万の神々がいる多神教の国ならではだが、神仏混淆などで外来である仏教もごちゃ混ぜに
してしまう融通無碍さは日本人の特性の一つだろう。明治維新後の一時期、国家神道をもって
天皇制から連なる強力な宗教体制をつくろうという動きがあったが、結局日本人にはなじまず
敗戦とともに雲散霧消してしまった。
「あなたの宗教は…と聞かれて『仏教徒です』と答えたとしても、戒律に従って暮らしてる
日本人はあまりいませんよね。戒律を知ってるかさえあやしいものです…せいぜい殺生は
よくない…ぐらいでしょう。ですが一神教の宗教、中でも回教では戒律と生活が密接に
結びついています。それを侵したりして、彼らのいう『ジハード』…聖戦でも起こされたら
眼も当てられません。現地の宗教指導者との話し合いも必要でしょうね」
そして、最後に椿が持ち出した項目は『P−P』…兵士達の『性欲処理』であった。
「古来、軍隊には娼婦がつきものです。かの『聖なる戦い』におもむいた十字軍や
ナポレオンの軍隊にも娼婦の群れが付き従ったといいます」
近代の軍隊が例外であるわけもないだろう。
「国内や満州の駐屯地の周りにもそのための店があると思いますが、したい盛りの男が
妻や恋人と引き離されて集団で暮らすわけですから処理も大変ですよね。二〜三か月で
部隊を入れ替えて本土に戻せるなら『我慢しろ』とも言えるでしょうが、そうもいきますまい。
兵舎でみんな揃って自慰行為をするというのもなんですし、BLに走られてもねえ…」
「椿さん、そのビーエルとは何です?」
「あ、いや……え〜と、男色といったところで…」
東条陸相がせき払いをした後で発言した。
「皇軍兵士にあるまじきことですが、万が一にも現地の婦女子に暴行するなどという事態に
なっては一大事です。椿さんの懸念はもっともだと思うが、『従軍慰安婦』で解答には
なりませんか」
「数的に間に合いますかねえ。戦線を必要以上に拡大しないとしても、膨大な数の『男』が
数年に渡り外地に暮らすことは間違いありませんからね。そんなとき起こりがちなのが
『無理な人集め』です。貧しい家の娘が身を売るケースは少なくないでしょうが、できれば
違う仕事に就きたいのが人情です。そこにつけこみ、工員や事務員の募集と偽って女性を
集めるといったこと…なにしろ、政府や軍が直接動くわけではなく業者に任せる部分も
多いのでしょう。国内で間に合わなくなって、朝鮮や中国でそんなことされたら百年禍根を
残すことになります」
「たしかに…で、椿さんには考えが?」
「最善でも次善でもありませんがね…現実的な方策として現地の業者を使いましょう」
「…現地の?それではかえって住民の反発を招きは…」
「どこにも元々そういう施設はあるものです。高級なところは外国人や金持ちを相手に
してるでしょう。日本軍がそうした連中を排除してしまうと…客がいなくなるわけです。
そして日本軍は『自前で』女を用意して来たとなると、彼らの仕事を奪ってしまうことに
なりますよね」
「つらい話ですな…我が国でもそうですが、そういうところで働く女性の事情は
他に生きる道がないからでしょうからな」
「将来、多くの女性が自活できる時代になれば変わるとは思いますがね。ただ、需要が
ある限りこうした商売は形を変えても消えることはないと思いますよ」
「自活といいますと女性の社会進出が大規模に進むということですか」
「ええ、大国として世界に伍していこうとすれば必然です。仮に同程度の人的資源が
ある国同士で、女性を産業構造に組み入れた国とそうでない国とでは力に差がつくのは
当たり前でしょう…産業も総力戦の時代になっていくのですよ。戦力として向上させるには
高等教育も必要になるし、国家として女性に投下する資本というものも増えざるをえません。
男女の賃金格差はなかなか縮まらないとしても、なんとか食えれば『苦界』に身を沈める
ことはありませんよ」
「それでもそうした商売は無くならないと言われたが…」
「需要がある限りは…です。江戸時代に吉原のような、いわば公認の娼婦街があったのは
そういうものが無いと一生女を抱けない男がすごく多かったからでしょう。当時世界最大級の
大都市だった江戸は男女の人口がひどく不均衡…女が少ない…だったそうです。
ですから結婚できる男が少ないわけで、あぶれた…金も力もなく、見かけの良さも性格の
とりえも無い男は自慰でもしながら死んでいけ…というわけにもいきませんからねえ」
平成の世はそんな感じになってる気もするけど…
「話を戻しまして…実際の方策としては彼女らの対価を充分なものにして報いるしか
ないでしょう。住民全体の宣撫にもいえることですが『日本軍が来て少しでもいい思いが
できるようになった』と思わせることが大事ですよね。そのために必要だと思われるものは
私の方でも提供しましょう…」
性病の予防を初めとする『従業員』の健康管理、避妊、待遇条件などをクリアした業者に
営業を認可し、その後もチェックを行う。無認可『営業』は徹底的に取り締まる…
その代わりと言っては何だが、価格はけちらず金がたくさん落ちるようにしてやるのだ。
このことに限らず、現地では無償での徴発、徴用は可能な限り避けることとし、支払いには
軍が発行する臨時通貨である『軍票』をあてる。軍票の価値を保証するためには、それが
日本が持ち込む物資と円滑に交換できる体制を早期に確立することが必要である。
そのために…といって椿が持ち出したさまざまな物資は今村達をおどろかせた。
一キロずつに梱包された『小麦粉』『砂糖』『塩』…
魚や肉、果物の缶詰…金平糖の入った乾パンの缶詰もあった。
「これは…ビールですか?」
貴重なアルミでできた缶…は缶切りが無くてもあけられるという。
それぞれの品物の表面には日の丸が描かれ、日本語と英語で内容物が表記されている。
セロファンで包まれた、光沢のある紙箱には一つずつ合成樹脂の袋に入った色付きの避妊具が
詰まっていた。…これを見たとき、今村はこの『御使い』が何者であるにせよ、恐ろしい力を
もっていることだけは確かだと感じてわずかに身震いした。
「おのおの六百万ずつ提供します。進駐軍司令部が管理するマーケットで軍票と交換で
売ってやって下さい。ある程度の物資は軍内部で消費してもかまいませんが…」
最後に見せられたのは自転車だった。
「高額な耐久消費財も少し揃えましょう。いきなり自動車やオートバイというわけにも
いきませんので、これを十万台用意します。そのうち九万台分は部品の状態ですので
現地で組み立て工場を造って、住民を雇用してもいいかもしれませんね」
黒塗りのがっしりした車体、ごつい荷台…前の車輪の泥よけの上にはたなびく日章旗を模した
飾りが鎮座している。昭和三十年代ごろまで活躍した『実用車』だ…後ろや横にリヤカーを
つけて氷の配達などに使われた。当時の自転車は大卒の初任給ぐらいしたから平成の感覚だと
二十万円というところか…確かに高額商品である。
かくして今村中将はジャカルタで進駐軍司令官としての激務の中で、プロジェクトPにも
気を配っているのである。
どれほど事前の配慮をしても馬鹿はいるもので、マレーでは兵士による婦女暴行事件が
発生していた。父親を殺害、娘二人を暴行するという事件に山下奉文軍司令官が激怒、
徹底的な捜査を行い下士官を含む五人を逮捕した。
軍法会議により主犯格の下士官と兵士の二名を死刑とし、住民に公開で銃殺刑にするという
荒療治をおこなった。いき過ぎだ…という声は当然起こったが、その後の綱紀の引き締まりと
住民の感情が好転したことで不問に付された。
『必要だったかもしれん…が、ここではやりたくない。十二分に配慮を重ねねばなるまいな』
部下思いで知られる今村の気が休まる時はなさそうだ。
プロジェクトPで出現させた物資は未来の製品も多い。戦略物資ではあるが兵器ではない…と
いうことで『四十五年まで』の縛りにはかからないことにする。
食品が各種合計で七千万ポイント、避妊具が五十万ダースで五百万、自転車が二千万…
総計九千五百万…意外と安かった。
したがって椿の能力ポイントの残は九百七十九億千三百六十八万九千五百…である
つづく