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第四十九章『拝啓ご無沙汰しましたが僕は…』

1942年三月十日…シンガポールの上空は日本機の大群に覆われていた。

昨日、接近する日本艦隊に攻撃を仕掛けたブレニム双発爆撃機は出撃した十八機が

二機しか帰還せず、戦果が皆無という惨憺たる結果に終わっていた。

そしてこの日、早朝から三波にわたり、延べ四百機以上におよんだ日本軍艦載機の

空襲により航空基地群は壊滅、六十機を数えた戦闘機隊もほとんど駆逐されてしまった。


シンガポール軍港も攻撃にさらされ駆潜艇三隻と係留していた潜水艦一隻が撃沈されて

いたが、商港の方は『さっさとここから立ち去れ!』といわんばかりに無傷のままであった。


空襲は翌日も行われ、偵察機と事前の情報収集によって位置が判明していたマレーの

英軍航空基地はことごとくつぶされ、制空権を失うこととなった。この戦争を独立への好機と

する民族主義者達の中には反英闘争の一環として日本軍に協力、情報提供をする者も少なくは

なかったのだ。


三日目の早朝、戦艦部隊の艦砲射撃によって海岸陣地を粉砕した日本軍は艦載機に頭上を

守られながら北部マレー、コタバルに上陸した。その日のうちに橋頭堡はふくれあがり、

半島の反対側…マラッカ海峡と南のシンガポールへ向けての進撃が開始された。


史実と違い開戦劈頭に電撃的に侵攻したわけではない。英軍にも準備の期間は

あったはずだが、現実はただ時間を空費していたに過ぎなかった。

対独戦にほぼ全力を挙げているイギリスに地球の裏まで大兵力を送る余裕はないのだ。

貴重な戦艦プリンス・オブ・ウエールズ以下の東洋艦隊をレイテ沖で犠牲に供したのは

その見返りとしてアメリカに日本を押さえてもらうという意味だった。


その太平洋艦隊が敗北した以上、イギリスがとる戦略は時間稼ぎしかない。

マレー、シンガポールで日本軍に出血を強要してインド洋への進出を遅らせる…

仮にインドまで侵攻されたとしても、対独戦に勝利し米海軍の再建ができれば必ず

反撃することができる。それが腹をくくった現実主義者チャーチルの描いた戦略であった。


…にしても日本軍の進撃は速過ぎた。中部マレーに築いたジットラ・ラインと呼ばれる

陣地群を激戦ではあったが二日で突破すると、戦車を含む突破部隊の一部は上陸三週間で

シンガポールとマレー半島をわけるジョホール水道まで五十キロの地点まで到達した。


この快進撃には大量に配備された携帯式噴進砲…バズーカがかなりの働きをしたという。

英軍戦車の撃破はもとより、機銃陣地の制圧にもおおいに威力を発揮した…と聞かされた

椿をほくそえましたものである。


日本軍に追い越され後方との連絡を断たれたインド兵主体の部隊があちこちで孤立し、

降伏する者が相次いだ。


さすがにこの後一週間ほどは戦線の整理と後続部隊…特に重砲を待つため停止せざるを

得なかったが、この頃には空母部隊に代わり後方の飛行場に展開した陸軍の航空隊が

シンガポールを空襲し始めていた。


ボルネオはすでに陥落、不思議なことに徹底的に破壊されていると思われた油田や

製油所がほとんど無傷で占領された。ジャワの総督の指令であったとか、通信の混乱による

錯誤であったとか言われるが真相は不明である。後日、スマトラ島のパレンバンも同様だった

ことから、オランダは現時点で唯一残っている財産…いつか取り返すはずの…を傷つけたく

なかったのではという説もある。


四月十日、猛烈な制圧砲撃と空襲の後で日本軍はジョホール水道を渡った。

そこからの戦闘経過は地形や英軍の配置から史実と同じ展開…ブキテマ高地をめぐる

激戦があり、シンガポール市街に水を送る水源を押さえたところで組織的抵抗が

終了した。


山下軍司令官と英軍のパーシバル中将の会談の模様は映画にも記録され世界に向け

配信されることとなる。


「我々は事前の通告通り、当地の非戦闘員の犠牲を好まない。シンガポールに在住する

民間人で退去を望む者は国籍を問わず許可する。荷物も持てるだけの物は持ち出して

かまわないし、そのための船舶で不足が出るならば日本が提供しても良い。猶予は

百二十時間とする。英軍は武装解除するが、一個大隊は武器を所持したまま民間人の

退去が終了するまで市街の治安にあたること、日本軍の入城はその後とする」


破格とも言える寛大な条件に交渉はすぐにまとまった。在住の華僑でイギリスナイズ

されてる者たちが抗日武装闘争を起こそうという動きがあったらしいが、一握りであり

周りから押さえられるか退去を強制されたという。この世界の中国…国民党政府は

現在のところは日本にとり『好意的中立国』なのだから…


かくしてイギリスの東洋の牙城シンガポールは陥落、ロンドン、ダウニング街の首相は

『ああ、アジアよ…よき土地よ。それは我々の手から永遠に失われたり』などと日記に

つけるのであった。『我々』はアジアで相当いい思いをして来た…ということだろう。


山下奉文はその勝利と大兵ぶりから『マレーの虎』との異名を奉られ内外に知られるように

なったが、戦いで何がもっとも記憶に残ったかを聞かれて面白い返事をしている。


「グルカ兵です。英軍は数の上で主体だったインド兵を始め、総体的に戦意が低かった

ように感じました。植民地の兵が支配者である英国のために戦わされるのですから

わからなくもないのですが、グルカ兵だけは別でした。彼らの勇猛さは我が軍兵士に

勝るとも劣りはしない…事実、西マレーのある戦闘では圧倒される場面もあったのです。

我が軍に九九式小銃が配備されていてよかったです」


最後の部分は注釈がいる…

椿のこの世界への干渉は海空の戦力が中心になると思っていたものの陸軍の装備に

興味がなかったわけではない。噴進砲もその一つの結果だが、小銃に関しては必要が

なかった。


日本陸軍の小銃は長く『アリサカ・ライフル』の系譜で、ボルト装弾式の三八式が

使われてきた。


1920年代後半になって発射速度の向上をめざして『引き金を引くだけで

次弾が装填される』半自動小銃の開発が求められ、その成果が現在の標準装備となっている

『九十式』小銃である。三八式と同じく6.8ミリ弾を使用することで、低反動であり

高い命中率を誇っている。


だが、世界情勢がきな臭さを増す中でさらなる性能向上が

急務となった。軽機関銃より軽量で、完全に一人で携帯、操作できる自動小銃。

それが『九九式』であった。進化の形態的同一性の見本のように、各国で開発されていた

『突撃銃』によく似たそれは、中でもソ連の『カラシニコフ』を思わせた。

黄塵の舞う満州で使用することが前提とされたため、多少の使用環境の悪さでは

故障しないタフさが要求され、日本の…史実よりましな…工作技術はみごとに応えた。


数十万挺、あるいは百万を越す小銃の更新は簡単ではない。重要度の低いと考えられる

本土の警備兵などにはまだ三八式を持たされてる者すらいるのである。

最優先で九九式が配備されたのは第一線の、開戦となった場合に先陣を切る部隊の…

そのまた一部にすぎなかった。グルカ兵との戦闘では崩壊しかかった戦線をその

部隊の火力が支えたというわけである。


ともかくも、椿が明治の日本にまいた『火力重視』という種はそれなりに育っているようだ。


つづく



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