第四章『近代史の事件簿3』
『大戦』…第一次世界大戦を欧州各国では単にこう呼んでいたという。
まあ、一次というのは第二次大戦が起きてからの後づけということもあるだろうが…
他の地域を支配し君臨すべく肥大して来た欧州にとって、壮大な自殺ともいえる
大戦争のインパクトは相当なものがあったようだ。
また、野蛮や騎士道と無慈悲な近代総力戦の接点という位置づけもされている。
『三十年戦争』や『ナポレオン戦争』の略奪、暴行が無慈悲でなかったのかということは
さておき、勃発の年のクリスマスの自然発生的停戦などに古き良き時代への郷愁を
感じたことは確かだろう。
教科書的には英仏を中心とする旧植民地帝国と新興ドイツ帝国との世界再配分をめぐっての
戦いということになるが、当時の欧州中心思考からすればまさしく…の説明だ。
前段としてバルカン戦争がある。知られている通り、狭い地域に民族、宗教、
バックに付く大国を異にするバルカン半島の中小の国家群の間には対立抗争が絶えず、
欧州の火薬庫と呼ばれた。
日露戦争によってロシア帝国の威信が低下したことが一因となって発生した武力衝突は
幾度かの休止期間を挟んでだらだらと八年も続いた。対立軸の大きなものはこの地域の
旧宗主国にして衰退著しいオスマントルコ帝国に対するセルビア、ブルガリア、ギリシャ
などの挑戦であった。
3B政策…ベルリン、ビザンチン(イスタンブール)、バクダードを結んで勢力拡大を
もくろむドイツ帝国が武器、軍事顧問団を含む大規模な支援を行ったために
トルコ優位に戦局が進んだのが史実の四倍も長い戦争になった原因とされる。
当然、1913年に戦争が終わったときには直接の戦火、飢餓等によるバルカン諸国の荒廃は
すさまじく、地域の再生には半世紀を要するだろうといわれた。大国は直接参戦することは
なかった。武器の輸出、実験場として注目はするが、だれも自国を戦わせようとは
考えなかったからだ。
第一次世界大戦は当初参加した国のどれもが『望まなかった戦争』といわれる。
積み上げられた火薬が自然発火したとしか言いようがないだろう。
1914年八月、オーストリア皇太子がサラエボで暗殺されたことにより始まった
戦争の推移は西部戦線においてはほぼ史実通りである。パリを目指したドイツ軍の
進撃はマルヌ川でくい止められ、塹壕戦に移る。
ユトランド沖の海戦では双方が半歩深く踏み込んだため、ドイツ側十隻、イギリス側十五隻と
沈没艦が史実の倍ほどになった。
フォークランド沖でドイツ艦隊が屠殺され、ツェッペリン飛行船がロンドンを空襲し、
航空機が戦場の上を乱舞し、Uボートが猛威を振るう。
ベルダン要塞の攻防では独仏双方が五十万近い死傷者を出す。
ソンムの戦線に戦車が登場し、イープルの野は毒の霧に覆われた。
1917年、アメリカの参戦によって連合軍(英、仏、米,イタリアなど)の優勢は
確かなものになったが、同盟軍(独、オーストリア、トルコなど)の戦線を突破する
ことはできなかった。東部戦線がとっくの昔に無くなっており、同盟軍の戦力に
余裕があったためだ。
開戦後間もなく東プロイセンに侵攻したロシア軍はタンネンべルクで包囲殲滅され、
その後も押されっぱなし…1914年中に二百五十万の兵を失ったロシアの弱さは
悲惨の一言であった。結局ロシア帝国は1915年十一月の革命で崩壊する。
翌16年四月にボルシェビキと講和を結んだドイツは西部戦線に総力を向ける。
だが火器の発達は歩兵の機動戦で戦線を突破できる時代を過去のものにしていた。
資源の輸入を断たれているドイツがすべてを注ぎ込んだ、最大にして最後の
『ルーデンドルフ攻勢』は18年八月パリの手前五十キロで力つきる。
その後もなお半年近くをかけて、ドイツ軍が自国領に追い返された所でようやく
講和ということになった。四年半の戦争は一千万の死者を含む三千五百万の犠牲を出して
終わった。
誰も望まなかった戦争は独、露、墺の三つの帝国を滅ぼし、戦勝国にも
ほとんどが自力での回復が困難な傷を負わせていた。欧州の没落は明白であり、
次代の主役がアメリカ合衆国であるのもさらに明白だった。
戦後のベルサイユ体制、国際連盟といった流れは大きな必然からだろう、史実と
ほとんど変わっていない。
その他、いくつか細かい点を述べてこの項を終わろう。
イタリアは日和見したあげく1916年連合国側について参戦するが、緒戦で大敗北
その後は積極的に攻勢に出ることもなく、火事場泥棒的にバルカン半島に侵攻したりして
敵味方双方のひんしゅくを買ってしまう。戦後の発言権も押さえられ、その不満が
ファシズムの台頭につながっていく。
日本はアメリカ同様、主戦場から遠くに位置していたため戦争特需を享受できた。
海軍はそれなりの活躍をしたが、陸軍は欧州には多数の観戦武官を送るに留まった。
ただ現地で…死傷者まで出して…見た総力戦の凄まじさは、日露戦争が児戯に
思えるほどであり、とくに若手士官に与えた影響は大きく、彼らは謙虚と卑屈の間を
揺れ動くことになったといわれる。増長慢になるよりはよかったろうが…
もちろん日本を次代の主役と思う者は世界のどこにもいなかった。
つづく
半分ほど書いた所で保存しようとしたらエラー発生!ドラクエの『呪文が違います』並のショックでした。思いつきで書いてるもので再生が大変、マメに保存しなさいという注意が身にしみました。