第四十一章『なぐりあひて みしやそれとも わかぬまに…』
「電探に感!敵艦隊が観測機を上げてきたようです」
「米軍も、まだ対水上電探は実用化していないようだな。我が海軍では
来年あたり配備される予定と聞いているが…こういう形の夜戦は今回が最後に
なるかもしれんなあ」
水平線近くにまばゆい光が輝いた。零式水上観測機…零観、海軍最後の複葉機だが、
金属部分が多く良好な操縦性と信頼性を誇っている…が照明弾を投下したのだ。
「距離三万二千、敵艦隊視認!戦艦の一、二番艦は主砲三基、塔状の構造物…
ノースカロライナ級と思われる。後続艦は…レキシントン級…敵速約二十」
夜間に照明弾の灯りのみで、この距離で…高性能の水上レーダーが実用化される直前の
この戦場において、長年鍛えられてきた見張り員の驚異的な視力が華を開かせた。
「新型艦、おそらく旗艦が先頭か…四十センチ砲というし、こちらと同じだな」
「二対二ですか、大和もここにいれば圧倒できたんですがね」
「二十六に増速しよう。敵の鼻先を押さえるんだ」
『武蔵』『信濃』…『長門』『陸奥』…『扶桑』『山城』…『金剛』『榛名』
『比叡』『霧島』の順で単縦陣を組んだ十隻の戦艦が一本の糸でつながれたように
隊列を乱すことなく速度を上げていく。史実よりは少し緩やか…月月火水木金土、ときどき日
…だが厳しい訓練のたまものである。『三の矢』第一艦隊がついに米海軍の前に姿を現したのだ。
「敵艦隊!距離二万八千、速度二十五…針路一二〇…」
「トーゴー・ターンか、同航戦でいく。速力を二十五に上げろ」
「それだとコロラド以下がついて来れませんが…」
「かまわん。本艦とワシントン、サラトガ以下のレキシントン級で敵を叩く。
脱落させた敵を後続艦にまかせよう」
太平洋艦隊の戦艦群の練度も日本海軍に(それほど)引けを取るものではない。
しかし、『コロラド』『ペンシルバニア』『ネバダ』『オクラホマ』は少しずつ後に
残される形になっていく。二十二ノットしか出せない船は、二十二ノットでしか走れない。
「二万五千で砲撃開始だ」
「巡洋艦隊、水雷戦隊突撃を開始します」
上記は両軍共通である。
新鋭艦二隻を含む戦艦、巡洋戦艦は両軍とも十隻。
米軍は重巡八隻、軽巡五隻…日本軍は軽巡十六隻
駆逐艦は米軍十六、日本軍…三十九
「砲撃開始!」
両軍の戦法はよく似ていた。武蔵と信濃が敵の先頭艦ノースカロライナに砲撃を
集中する。長門と陸奥はワシントンに…以下同様に二隻で一隻を攻撃していく。
米軍も同じだが、置いていかれつつあるコロラド以下四隻の砲撃は日本艦隊の
最後尾に位置する霧島に集中した。
夜間、二万を越える距離での砲撃ではなかなか中るものではないが、最初の命中弾は
米軍が得た。コンステレーションの放った一弾が長門の舷側中央部に命中したが、
軍縮条約での上限であった三十八センチ砲弾に耐えるとされた重防御は三十六センチ砲弾を
見事にはじき返した。
条約下で英海軍が三十八センチ砲搭載艦を持っているのに、何事もトップになりたがるアメリカが
三十六センチ砲で揃えたのは不思議な気もする。三十八を中途半端と判断したことと、
同一口径で揃えた方が運用しやすいしコスト的にも有利という、これもアメリカ流の合理主義から
とされているが…新造艦を四十センチで揃えたことを見ると大体当たっているだろう。
もっとも、『アイオワ』級ではそれまでの四十五口径ではなく、五十口径の四十センチ砲を
搭載するというから、いざとなればコストより威力重視でいけるのも金持ちらしいところだ。
距離二万を切ると双方とも命中弾が続出し始める。最初の殊勲はどこからも攻撃されず
落ち着いて砲撃に専念していた扶桑と山城だった。挾叉弾を得ていた山城の斉射が
サラトガに三発命中、艦中央より前に固まって落下したそれは艦橋にぶち当たった。
ついているのか、いないのか、沈没したレキシントンから移乗して指揮をとっていた
キンケード少将はふらつきながらも立ち上がった。自身はかすり傷だったが艦橋内は
血の海である。主砲の統一射撃の術を失ったサラトガに扶桑の砲弾が降り注ぐ。
微妙な角度の差で、あるものははじき返されたが、あるものは巡洋戦艦のやや薄い装甲板を
打ち抜いた。機関室にまで達したそれの炸裂が速力を急減させ、サラトガは隊列から脱落
せざるを得なくなってしまった。
武蔵にはすでに五発以上の直撃弾があった。
「ジャップの新鋭艦はかなり堅いですな…中央部に小規模な火災が発生してますが、
いっこうに弱った感じがしませんね」
「戦艦の撃ち合いはがまん比べだ。こちらだって…」
轟音とともに信濃の斉射弾が殺到してくる。夜目にも鮮やかな染料で着色された水柱が奔騰する。
複数の艦が同一目標を砲撃するとき、着弾観測をしやすくするための日本海軍のくふうで、
米艦の乗組員達は驚くとともに感心もしたが今回はそれどころではなかった。
激しい衝撃に危うく転倒を免れたキンメルの耳に遠く聞こえたのは自艦の戦闘力が大きく
削がれたという報告だった。
「二番主砲塔がやられました。火災発生」
四十七口径四十センチ砲弾が堅固であるはずの主砲塔の防盾を打ち破ったのだ。
『同等ではなかった…あいつらはノースカロライナより一回り以上強力だ。
防御力を強化したサウスダコタ級でもおそらく太刀打ちできん。くやしいが、
アイオワ級が戦列に加わるまで世界最強の戦艦はヤマト級…』
武蔵からの着弾が再びノースカロライナをゆるがした。
日本艦隊最後尾の霧島はひどい目にあっていた。一時的に四隻の敵艦から集中攻撃を浴び
艦の後ろ半分は上部構造物がぐちゃぐちゃにされていた。しばらくは引き離したのだが、
やはり老朽艦の悲しさで命中弾の衝撃から機関の出力が下がり始め、取り残されることに
なった。
勇躍して砲撃を続けていたコロラドとペンシルバニアに破局が訪れた。
「右舷より雷跡接近!……む、無数!!」
軍隊にあるまじきアバウトな報告だが、事実であった。
五千メートルまで接近した、木村昌福少将指揮の第一水雷戦隊が旗艦『長良』と
十一隻の駆逐艦(一隻脱落)から計九十六本の魚雷を二隻の戦艦に向け発射したのだ。
オーバー・キルだったかもしれない。コロラドは十本以上と見られる命中魚雷の
水柱が治まったときには、すでに水面からほとんど姿を消していた。
ペンシルバニアに命中したのは五本であったが、艦の前から後ろまでまんべんなく…
航空魚雷に換算すると十本分…くらった損害は米軍のすぐれたダメージ・コントロールを
もってしてもどうすることもできなかった。惰性で前進を続けながらたちまち傾斜を深め
そのまま横転すると沈み始めた。両艦はこの戦闘における米海軍初の喪失戦艦という
記録をわかちあったが、仲間が続々と後に続くことになる。
日米戦艦群の間に突入した、田中頼三少将率いる軽巡『阿武隈』と駆逐艦八隻(四隻脱落)が
発射した七十一本の魚雷は巡洋戦艦三隻に殺到する。目標が分散されたのと、高速艦の回避に
よって外れたものも多かったが、ユナイテッド・ステーツに三本命中…大火災を起こして
停止、コンステレーションとコンスティチューションはともに二本の被雷で傾斜、減速を
余儀なくされた。精密な弾道計算を要する戦艦の主砲は土台である艦が一定以上傾斜すると
…特に縦方向の傾斜では…命中はほとんど期待できなくなる。
戦闘能力を失ったも同然の三艦に扶桑、山城、金剛、榛名、比叡の砲弾が降り注いだ。
内一弾…おそらく山城の…が傾いたユナイテッド・ステーツの甲板に直角に近い角度で
命中、薄い水平装甲を貫いて艦内に侵入……大爆発とともに艦が第二砲塔のあたりで
二つに折れた。
武蔵の上部構造物はかなり破壊され、いくつもの火炎をまとわりつかせていたが
致命的な箇所への命中弾はまだ受けていなかった。ノースカロライナが二基、
ワシントンも一基の主砲塔が沈黙して飛来する砲弾の数も減っていた。
「やはり新型艦、しぶといですな」
古村艦長が感嘆するように言う。
「キンメルもここが死に場所と腹をくくっている…ということだろうな」
米海軍の人事がどうなってるかは知らないが、一連の戦いでこれだけの損害を受けた
指揮官に明るい未来が待ってるとはとても考えられない。査問会議、悪くすれば
軍法会議といった軍人として堪え難い事態が予見できるだろう。
「彼らも必死なのだ」
だが、それも終わる時が来た。ノースカロライナの前半部が水柱…と火柱に包まれた。
「敵一番艦沈黙!」
唯一砲撃を続けていた第一砲塔の砲身がてんでんばらばらの方向を向いている。
火災にほぼ全艦を覆われたノースカロライナはよろよろと隊列を離れ、やがて停止した。
いまや武蔵以下四隻の集中砲火を浴びることになったワシントンが、最後とばかりはなった
四十センチ砲弾が二発武蔵に命中した。一弾は後部射撃指揮所を全壊させたが、もう一弾は
部分的に対四十六センチ砲とされた最重要区画の舷側で跳ね返って水中に没した。
ワシントンが全艦溶鉱炉状態になって停止したのは間もなくである。
「長門、被雷!!」
お約束?…いや、それなら陸奥の方か…
海戦の初期にレキシントン級二隻からかなり命中弾を浴びていたが、持ち前の強靭さで
健在だった長門に四本の水柱が上がっている。長らく日本の誇りと謳われた巨艦が
日本戦艦初の喪失艦となってしまった。賠償艦としてアメリカの核実験に使われることは
なくなったが…
これもお約束、アーレイ・三十一ノット・バーク中佐の率いる駆逐艦隊は六隻の内
四隻まで喪いながら長門への雷撃を成功させたのだ。命中魚雷は六本だったが
二本は不発だったとされる。いずれにせよバークは、ここでのアメリカ側の数少ない
勝利者であり、本土に帰還すると英雄として…本人は不本意だったようだが…
陸に上げられ宣伝活動に従事することになる。
燃え盛るノースカロライナを見たとき、コンステレーションに座乗する戦隊司令官
キャラハン少将は、自分がこの場の最上位の指揮官であると判断した。
キンメル長官ともキンケード少将とも連絡が取れない。
従来艦を指揮するスコット少将…本来の指揮官パイ中将がメリーランドが被雷したおり
重傷を負ったので代行…は乗艦のコロラドが轟沈していた。
「艦隊全艦に命令!離脱する…針路90」
「……!?」
「南下すればギルバートに敵を引き込むことになる。東進する我々に敵が食いつけば
ギルバート撤退の時間を稼げる」
キャラハン少将は結局、査問委員会にかけられることになる。日本艦隊はやや落ちたとはいえ、
三十ノット近い速度で逃げるコンステレーションを追おうとはしなかった。
形としてキャラハンは味方を見捨てたとされたのだ。
追随しようとしたコンスティチューションの艦尾に扶桑の砲弾が命中、推進力を奪った。
艦長レイス大佐は遠ざかっていくコンステレーションを見ながら命令した。
「キングストン弁を開け!白旗を掲げよ!」
「………?」
「この艦はもう戦闘力を失った。日本軍の手にゆだねるわけにはいかんが、
兵士の命を無駄に捨てさせたくもない…総員退艦だ」
自沈するが、降伏の意志を示さない艦には攻撃がくわえられ退艦した乗組員を殺傷される…
それを防ぎたいという方便である。国際法上問題はあるけど気持ちはわかる。
巡洋艦同士は、ほぼ互角の戦いを繰り広げた。砲力で勝る米軍と、防御力と数でやや勝る
日本軍…砲戦では両軍とも大破するものは出ても沈む艦はなかった。
優劣は最後の局面ではっきりと出る…損傷艦を見捨てていかざるを得ない米軍と
救助が可能な日本艦隊…戦場を最後に支配した者がより大きな勝利を得るのだ。
煙と炎に覆われた海面を見おろしていた月が、『もう飽きたよ』とでも言いたげに
雲にかくれていった。
つづく
水上艦同士の大決戦!やはり字数がいきますねえ。書き込めばもっと…なのでしょうが、『椿の戦争』はまだまだこれからですからこの辺で…