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第三十三章『碇を揚げて』

古来より海戦が戦争…歴史の決定的転換点になった例は多い。

海軍を持ち、維持するのは村落レベルの集合体ではとてもできない。

その時代における卓越した経済力、技術力、人的資源を併せ持つ

先進国家にして初めて強力な海軍を備えることが可能になるのだ。


従ってそうした強国同士の戦いにおいて、海戦の結果が一方の壊滅に

終わった場合はその打撃ははかり知れない大きさになり、戦争そのものの

帰趨を決定づけることにもなる。


古くはギリシャ都市国家群とペルシャ帝国との戦いにおける『サラミスの海戦』に

おいて、古代オリエントのヨーロッパに対する侵攻は頓挫した。


地中海の覇権をめぐるローマとカルタゴの戦い…特に第一次ポエニ戦争は国力が

双方巨大だったため海戦は数度にわたったが結局ローマに凱歌が上がった。


『レパントの海戦』は、近世初頭のオスマントルコ帝国のヨーロッパに対する

優越が崩れていく端緒となったと言えよう。


スペインの『無敵艦隊』は王国の栄光もろともイギリス艦隊に沈められた。


ナポレオンの野望をくじいた『トラファルガーの海戦』については多言を要さないだろう。


近代的機械軍艦の時代になってからは、日清戦争の『黄海海戦』があり、

米西戦争ではスペイン艦隊がアメリカ艦隊に壊滅させられている。

『日本海海戦』は実質的に日露戦争を終わらせた。


戦争が総力戦になってくると、一つの海戦が及ぼす影響は相対的に小さくはなる。

第一次世界大戦の『ユトランド沖の海戦』がそうで、参加艦艇や損害の大きさに

かかわらず、その一事をもって戦争そのものを決定づけはしなかった。

まあ、これは双方の戦力があらゆる面において伯仲しており、ミスもファインプレーも

ほぼ同等だったことにもよるだろう。もしも、いくつかの必然と偶然が重なり

どちらかが壊滅に近い結果になっていたら違う答えが出ただろうが…


近代的軍艦同士の戦いでは性能の差が非情なまでに結果を左右する。

例えば、同じ大戦中の『フォークランド沖の海戦』がそうである。

通商破壊戦を行っていたドイツ巡洋艦隊は南米フォークランド沖で優勢なイギリス艦隊に

捕捉された。英艦は独艦より高速であり、砲の射程も長かった…結果、逃げることもできず

懐に飛び込むこともできないドイツ艦隊は、自艦の射程外から降り注ぐ砲弾を浴びて

全滅することになる。


少年だった椿が、この海戦のことを知ったときには…べつにドイツ帝国に感情移入は

していなかったが…ここに『ビスマルク』がいればと、身もだえるように思ったものである。


二十世紀もなかばにさしかかるいま、『国家』は国力その他の事情に応じてそれなりに、

もしくは過大に武装し、海に面する…ほとんどの国がそうだが…国家は海軍も持っていた。

それは大国から購入した中古品であったり、ちっぽけな砲艦が数隻だけといったレベルの国が

大半ではあったが、保有にも維持にも金のかかる道楽をやめようとはしなかった。


『戦艦』を自力で建造できる国は限られている。イギリス、フランス、ドイツ、イタリアの

ヨーロッパ諸国…一応ソ連も…そして日本とアメリカ合衆国である。


世界の海に覇を唱えるべく創建された合衆国海軍にとって最大の仮想敵は

長らくイギリス海軍であった。二十世紀の二つの大戦では諸般の事情から同じ陣営に

立つことになったが、アメリカの世界支配の前に立ちふさがっている巨大な

旧植民地帝国はいずれは打ち倒す、または実質的に屈服させねばならない存在である。

なんと言っても建国前の宗主国であり、独立後も米英戦争で本土に侵攻された唯一の敵で

あるのだから…


だが、いま現在は味方である。ハワイ真珠湾に集結した太平洋艦隊の矛先はもう一つの

撃破するべき対象…世界三位の海軍力を持つ東洋の海洋帝国に向けられていた。


大西洋に残っているのは、ワシントン条約以前の旧式戦艦とドイツのUボートに対抗する

ための駆逐艦が中心であり、実質的には合衆国海軍の主力のほとんどが太平洋に集められている。

1942年半ばからは大建艦計画による新造艦が続々と就役してくるが、それまでは

太平洋にいる艦隊が合衆国の海の力のすべてといっても過言ではない。


『新造艦の出番を待つまでもない。我々の持つ艦隊で日本海軍を打ち破ってやろう。

見よ!ここにはそれに充分な戦力が揃っているではないか』


太平洋艦隊司令長官、ハズバンド・キンメル大将がそう思うのもあながち誇張ではない。

少なくとも戦艦戦力において日本艦隊を確実に凌駕してるはずだからだ。

正面きっての大海戦で勝利を収めたいと考えているキンメルにとって、作戦本部から

指示されたいくつかの点は気にくわないものであった。


『だが、命令には従うしかない。その上で勝利をしてみせよう』


軍楽隊の演奏する『碇を揚げて』や『星条旗よ永遠なれ』の中、膨大な数の艦艇が

動き始め港を出て行く。歓呼をあげて見送る市民達にとり、この光景は約束された

勝利への旅立ち以外の何者でもなかったろう。巨大な鋼鉄の浮かぶ城塞達は合衆国の

比類無き力の象徴であり、誇りと畏怖を感じさせるものであった。


前哨部隊の中核を占める『レキシントン級』巡洋戦艦五隻…『レキシントン』『サラトガ』

『コンステレーション』『コンスティチューション』『ユナイテッド・ステーツ』が

隊列を組んで出港する。条約発効前の駆け込み建造で造られた八隻の主力艦のうちの五隻である。

就役当初は三十四ノットの快速を誇ったが、艦齢十五年とやや老朽化してるのに加え

欠点とされた防御力の弱さを近代化改装によってある程度補ったのと引き換えに、

排水量は四万トンを越え速度も三十一ノットに落ちている。

それでも米海軍の主力艦の中ではもっとも高速であり、新造の『ノースカロライナ』の

二十八ノットをも上回っている。おおむね高速性を重視してるとされる日本海軍の

戦艦達にも充分対抗できるだろう。


続くのは新鋭空母『ヨークタウン級』…四隻のうちの…『ヨークタウン』『ワスプ』

二万トン、三十四ノット、甲板綮止分を含め最大で百機を運用できる移動航空基地である。


米海軍が初めて持った空母は運送艦を改造した『ラングレー』だった。

一万トン弱の改造空母は、日本の『鳳翔』と同様になかば実験艦として

空母運用のノウハウを蓄積するのに使用され、現在は運送艦にもどっている。


日本が『龍驤』級二隻を建造した頃、やはり大型巡洋艦の艦体をもとに設計した

『レンジャー』級三隻…ったく他人より多く持ちたがるんだから…が建造されている。

『レンジャー』『ロングアイランド』『ボーグ』は一万五千トン、二十九ノット、

七十機を搭載して当時としては充分満足のいく性能であった。

『ボーグ』は大西洋で航空機輸送にあたっており…大西洋艦隊が空母が一隻も無くなることに

ごねたという話もあるが…残りの二隻が後続の戦艦部隊と行動を共にすることになる。


条約あけ頃、日本の『蒼龍』級の建造に刺激を受けて計画されたのが『ヨークタウン』級で

ある…蒼龍級三隻に対し四隻…が、空母に関してはどうも日本に一歩立ち後れている。

それも現在建造が開始されている『エセックス』級が大量に…初期発注分で十二隻…

就役してくればたちまち逆転できるぐらいの差だろうが、それまでは手持ちの艦でやって

いくしかない。


前哨部隊には、これも新鋭の『ブルックリン級』軽巡洋艦四隻が十六隻の駆逐艦と

ともに付き従う。日本が軽巡洋艦しか持たないのに対し、米海軍は二十センチ砲搭載の

重巡を十八隻も建造したかわりに軽巡はなおざりにされて来た感があった。

さすがにここにきて従来艦の老朽化もあり、新型軽巡の建造が急ピッチで

進められていた。最新鋭の『クリーブランド』級はなんと五十隻もの建造が計画されている。

史実の日本海軍がこれを知ったら戦争する気が失せたと思うんだけど…


主力の戦艦部隊が動き始める。

排水量三万五千から四万トンの従来艦達はやや旧式化してはいるものの、十門から

十二門の三十六センチ砲を搭載し充分な戦力として期待されている。

『ペンシルバニア』『ネバダ』『オクラホマ』『アリゾナ』『テネシー』『カリフォルニア』

そして『ウエストバージニア』『コロラド』『メリーランド』と続く。


キンメル以下の太平洋艦隊司令部が座乗する『ノースカロライナ』と『ワシントン』が

動き出すと真珠湾の興奮は最高潮に達した。戦艦・巡洋戦艦十六隻、空母四隻、

巡洋艦二十四隻、駆逐艦五十二隻…輸送艦・給油艦を含め百二十隻にもおよぶ

合衆国海軍史上空前の大艦隊である。


『ゆけ!偉大な祖国に歯向かう矮小な東洋人の艦隊を粉みじんにふき飛ばせ!』


しかも戦力はこれだけではない…速度の関係から百隻以上の輸送船が海兵隊と装備を

満載して護衛艦とともにすでに昨日出航しており、サンディエゴなど西海岸の港からは

陸軍の将兵や基地建設の資材を乗せた同規模の輸送船団がギルバート諸島に向かう。


潜水艦隊はすでにギルバートと日本領カロリン諸島の間に哨戒線を張っている。


「日本海軍は出てくるでしょうか?」


スミス参謀長の問いに笑みを浮かべながらキンメルが答える。


「これだけの艦隊の行動が秘匿できるわけも無かろう。カタリナ飛行艇が何隻か

潜水艦を沈めたと報告があったが、奴らは必ず見ている。そして挑んでくる。

そして…」


「……?」


「我々の前に屈服する…沈むか、白旗を揚げるかは彼ら次第だがね」


旗艦ノースカロライナの艦橋が歓声と従兵の運んできたコーヒーの香りとで

満たされた頃…別の海域に浮かぶ軍艦の艦橋では獰猛な顔つきをした男が吠えていた。


「俺に先陣を任せないとは合衆国海軍もなにを考えているんだか…もちろん、

与えられた任務にはベストはつくすし、任務自体も面白くはあるがな。

それはそれとして俺は今回ジャップを少し見直したよ。てっきりロシアとの戦争の

ときのように不意打ちをかけてくるもんだと思ってたんだが…

フィリピンかウエークか、それこそハワイにでもな。ところが正々堂々と宣戦布告を

してきやがった。ま、正面きって合衆国に喧嘩をふっかけたんだから、その報いを

受けさせてやるけどな。ん…? 決まってるだろうが…『キル・ザ・ジャップ』だよ。

さあ訓練を続けるぞ」


空母『エンタープライズ』『ホーネット』を率いるウイリアム・ブル・ハルゼー提督の

独演会のうちに1941年は暮れようとしていた。


つづく



ひっさびさの更新です。年をとると業務多忙やその後の体力・気力の回復にえらく時間がかかるようになりますね。欲求不満の反動もあってこの章はいつもに比べて少し長めに書いてみました。まだ体調がいまいちですのでボチボチいきますが、よろしくお付き合い下さい。

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