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第三十一章『赤提灯』

暗い海面に点々と燃える火が漂っていた。日本の夏なら灯籠流しといった風情だが、

いまは冬…フィリピン群島沖の太平洋である。


「さすがは大英帝国海軍だ。けっこうやられたね…」


第一艦隊…戦艦戦隊を率いる高須四郎中将はため息をつきながら言った。


「プリンス・オブ・ウェールズとレパルスから十発は食らいましたから…

判定中破でしょうが、『大和』でなければ危なかったかもしれません」


艦長、高柳儀八大佐が脂汗を浮かべた顔で応える。


その視線の先に、灼熱する鋼鉄の固まりが浮かんでいる。かつて…一時間ほど前まで

戦艦であった物…の、いまわの際の姿だ。

大和と『長門』『陸奥』の主砲弾がどれだか降り注いだことか…少なくとも三十発近い

命中弾が記録されている。


もう一隻の巨艦、レパルスはすでに姿を消していた。ウェールズとともに大和に砲撃を

集中する代償に『扶桑』『山城』の砲弾を一方的に受けつづけ、突入した水雷戦隊の

魚雷によってとどめをさされたのだ。


「いつまでもさらし者にしておくのは非礼だろう。駆逐艦に処分を指令してくれ」


「高雄より報告。敵駆逐艦の雷撃により被雷三本、うち二本は不発。浸水大なるも

自力航行可能…とのことです」


その他にも損害を受けた艦が複数あるが、どうやら沈没にはいたらずに済みそうだ。


三隻の駆逐艦が距離一千から計十二本の魚雷を発射し、プリンス・オブ・ウェールズを

海神のもとに送り届ける儀式は終了した。


海戦が始まる直前に海域を離れていた空母インドミタブルと駆逐艦テネドスも結局

シンガポールに帰り着けなかった。日本潜水艦隊は哨戒、索敵が第一の任務とされ

敵艦隊に対する積極的な攻撃は、よほど有利な状況に無ければ禁じられていた。

だが、『落ち武者狩り』はその限りではない。駆逐艦一隻の護衛で十五ノットの

低速で南を目指す空母は絶好の獲物であった。


艦長、木梨鷹一中佐の指揮する『伊−19』は六本の魚雷を発射、

三本がインドミタブルに、一本がたまたま射線上にあったテネドスに命中する。


英東洋艦隊と米アジア艦隊の連合部隊は文字通り一隻残らず全滅した。

人種差別論者の英国首相が、回顧録を書くつもりでつけている日記になんと書いたか

わからないが、『多くの希望がこれらの船と一緒に失われた』ことは確かだった。


椿は艦隊の配置などにはいっさい口を挟まなかった。史実とは大分違う展開の中で

敵艦隊の動きを予想することは難しかったし、たとえわかったとしても言うつもりは

無かった。この世界の海軍はできる限りの全力をもって敵の分力を撃つべく艦隊を置き、

予測された範囲内の時と場所に出てきた英米連合艦隊を撃破したのだ。


そのタイムスケジュールの中には、まだ米太平洋艦隊主力が出て来ないだろうという

読みもあった。出てきたとしても、日本がマーシャル諸島を放棄したことでできた

『間合い』が時間を稼いでくれるだろうと考えられていた。仮にカロリン諸島などに

侵攻されたとしても、やむを得ない代償として受け入れる覚悟だった。


あちらにも、こちらにも対処する余裕は日本には無い。フィリピン戦のめどが立った時点で

全力で米艦隊と戦う…その戦略は今のところ充分な成功を収めている。


椿が主に助言したのは情報管制(統制)の面だった。嘘にならない範囲で戦果は控えめに、

損害はやや誇大気味に…軽佻なところがある日本人にはこのぐらいにコントロール

しとかないとすぐに『無敵皇軍』が飛び出しそうだから…


なにはともあれ一息ついた年末、総連からの帰途に車を新橋に回して一杯やることにした。

政府からは将官並みの俸給が出ているが、こういうときにしか使うところもない。

といっても、相伴するのは秘書の高倉青年と、護衛小隊の中で事務処理や渉外能力に秀でてる

ところから副官に選んだ遠藤茂中尉だけである。料亭はなじめないので、こぎれいなおでん屋に

入ることにした。


新橋から銀座にかけての繁華街はネオンこそ自粛しているようだが、まだ灯火管制も

厳しくなく客で賑わっている。


「お疲れさん。さ、どんどんやってくれ。私は手酌でいくから」


「いただきます。こちらは樺太とは比べようが無いほど気温が高いですが、やはりこの季節は

暖かい物がおいしいですね」


高倉青年の故郷…海が凍る樺太はともかくとしても昔の東京は寒かった。

家は隙間だらけだし、暖房だって火鉢やコタツしかなかったこともあるだろうが…

昭和三十年頃は雪もよく降った。


ちなみに椿は雪が嫌いである。

酒乱の父親から逃れて、母親と妹と吹雪の中をトボトボ歩いた大晦日。

買ってもらった一番安いケーキの箱を、雪に脚を取られて落としてしまい泣いた誕生日。

酔っぱらってアイスバーンで転倒し右腕を骨折した数年前の正月…

最後のやつは自業自得だが、雪の思い出は貧、困、悲、哀、痛…につながるのであった。


酒が入った客の声が耳に入ってくる。


「イギリス艦隊はやっつけたし、レイテ島もじきに占領できそうだ。海軍も

陸軍も頑張ってるな」


「うん、でも勝って兜の…だよ。日本の軍艦もそれなりに損害を受けたというし、

やっぱりイギリスはあなどれない。この先はアメリカの艦隊だって来るだろう…」


「台湾を爆撃したアメリカの爆撃機はえらく頑丈で、落とすのに苦労したって話だしな

銃後の我々も気を引き締めなくちゃ」


なんだか優等生の会話だが…史実よりやや緩いとはいえ、どこにいるかわからない特高や

憲兵を気にしながらしゃべってるのだろう。まあ、報道されてる範囲の内容ならいまの

時点で問題になることはあるまい。


「多少固いですが、戦時中にも国民が人前で談論風発できるのはよいことです

これも閣下のお力が大きいのでしょうね」


遠藤中尉が声をひそめて言う。


「あんまり開けっぴろげ過ぎても困るがね。情報は重要な戦争手段だから…

ドイツではこんな標語があるそうだ…『不用意な一言で人命が失われる』とね。

ま、案配が肝心だよ」


情報戦に巨大な人、金、物を投入し、手にした情報を最大限に生かすため

地方都市の一つぐらいは平気で犠牲に差し出す…そんなアングロサクソンが相手なのだ。


少しでき上がってる会社員風のおっさんが声を張り上げた。


「おーい、酒を二本…それからコンニャクと竹輪をくれ」


「あい済みません。コンニャクはもう品切れでして…このところ品薄であまり入って

来ないのですよ」


「うーん、なんだかんだ言っても戦時だなあ。コンニャクも好きには食えんとは…」


『ごめんよおっさん…全くその通りなんだよ』


つづく






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