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第二章『近代史の事件簿1』

昭和二十年…は『歴史』が椿を驚かすために仕組んだちょっとした『おいた』だったらしい。

なぜなら…西暦だと1941年だったからだ。

以下は矢向達の話と手に入れた資料から得た、この世界の日露戦後の歴史である。

地球規模で見れば、極東の片隅で起こったにすぎない戦争が与えた影響はどの程度か?


やはり日本にはそれなりの変化があったようだ。


明治帝は一年長生きした…戦争の辛苦が少し軽かったためかもしれない。

そのおかげで、椿に言わせると『やめてほしいなー』の乃木希典のぎ まれすけ

殉死はなかった。


乃木は『明治四十六年』の春、天皇より先にぽっくりと世を去っていたからだ。

旅順の悲劇が史実より軽く…さらに二人とも喪うはずだった息子のうち次男の

保典やすすけは存命…その後の沙河、奉天の野戦での活躍による自足が

かえって寿命を縮めたのだろうか。


児玉源太郎は逆に八年ほど長く生きた。よい意味で政治的なこの陸軍軍人は

明治末期の軍部の跳ね上がりをよく押さえた。陸軍の発言権を増そうと一部の

将官達が画策した国力無視の『二個師団増設案』に対し『砲弾の備蓄をした方が

よほど安上がりで効果的』と一喝して退けたバランス感覚は晩年まで健在だった。

元帥府に列せられた1914年の夏…第一次世界大戦が始まる直前に亡くなっている。


伊藤博文は椿の助言にもかかわらず韓国を日本に併合しようという動きを続けたが、

第二次日韓協約…韓国の外交権を奪おうとしたもの…が政府内の反対に遭い流れた後

不可解な行動に出た。


反対派の山県有朋や桂太郎は椿の恫喝とも思える助言…韓国への関与は適当な所に

とどめないと、帝国にとり百年の禍根となる…をすなおに受け入れた。

もちろんできるだけの利権を得ようとしたことに変わりはないのだが…


伊藤は韓国からの留学生や、日本軍への受け入れを積極的に増やすよう運動し、

これはある程度の賛同を得て、そこそこ実行された。


『韓国を内部、軍部から牛耳ろうとした』のではないかと後世いわれもしたが、

1909年、自宅の階段で転び死んでしまった伊藤の真意は謎である。

留学生達の中には、より反日的になった者もいるが、一部では国家建設の

恩人視する者もいたというから歴史は面白い。


残りの(椿が知ってる範囲での)明治人達のその後は史実とあまり変わってないようだ。


幸徳秋水こうとく しゅうすい等による明治帝暗殺未遂…謀議事件、

いわゆる『大逆事件』はあった。ただ、規模は若干小さく逮捕者十二人、

死刑判決六人となっていた。これを機に中学校における『反社会主義のための教育』が

導入されることとなる。


第一次世界大戦への参戦はほぼ史実通り…中国大陸の山東半島、青島、太平洋の

マーシャル、マリアナ、カロリン諸島などドイツ領を我がものとした。


違ったのは…清に替わった中華民国に対し大陸のドイツ利権と満州各地…特に黒竜江省の

資源開発権との交換を申し入れたこと…椿の献策によって有償での取得を計画していたが

金が無くて遅れていた…これを大総統袁世凱えんせいがいはやや渋りながらも受け入れた。

『ぶんどったものは自分のもの』という、この当時の列強の感覚からすると日本の態度は

控えめに映ったらしく文句もあまり出なかった。


海軍は欧州…はじめは地中海…まで連合国輸送船護衛のための水雷戦隊を送ったが、

その規模は史実の倍近いものであった。


イギリスに請われ、大西洋まで進出した艦隊がドイツ潜水艦の返り討ちに会い、

船団に大被害を受けたのみならず巡洋艦、駆逐艦各一隻を撃沈されたことは日露戦の勝利に

多少なりとも浮かれていた海軍にショックを与えた。


その敗北が潜水艦の威力の過大評価につながらなかったのは幸いだった。

逆に自軍の対潜能力の低さに対する反省と対策に意が注がれることになる。


大戦は『1919年』まで続いた。


大戦の詳細は別項で述べるつもりだが、ここでは日本に関係の深い…史実では悪名高い

『シベリア出兵』について語っておこう。


ロシア革命は当然のごとく起こり、内戦や列強の干渉も行われた。1918年には

チェコ軍救出を名目に米、英、仏などがシベリアに軍を送り込んだ。


『反社会主義帝国』たる日本も参加し、シベリアの寒さやバルチザンに苦しめられ、

膨大な国費を費やしたあげくにすごすごと撤兵することになる…はずであった。


だが、その矢先に病気がちだった大正天皇が重態となり、このようなとき

『大規模な軍事行動はいかがなものか』という意見が大勢を占めて、

ウラジオストックに若干の警備隊を派遣するに留まった。

そして、各国の撤兵に歩調を合わせ早々に手を引くこととなる。


史実から見ると、ここまでの展開は日本にとって都合が良すぎる感じもするが、

歴史が天秤の傾きで決まるとすれば、加わえられた少しの力が結果を左右しつづける

ことだってあるだろう。

それに…椿が考えてる『次の戦争』はそうした日本の『些細な変化』とは関係なく

徹底的に椿の自己中心的な戦争になる…予定だから、あまり気にしなくてもいいかも。


天皇は一時持ち直したが、長患いの末に大正十年…1922年一月に崩御する。

摂政に就いていた皇太子が即位して年号が昭和に改まる。


…という訳で1941年が昭和二十年なのだが、ややこしいだけなので

今後の表記は西暦に統一することに今決めた。


1923年九月一日…しっかりと大地震が関東地方を襲う。


つづく

勝手に人を長生きさせたり、早死にさせたり好き放題やってますが、この先だって何百万…もっと?…の運命を狂わせるかもしれないですからねー。事件簿、もうしばらく続きます。

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