第二十七章『銀翼連ねて』
開戦三日目、十二月十日の朝…フィリピンの空は日本軍艦載機の群れに覆われていた。
アメリカ軍の電探…レーダーの配備は遅れていた。太平洋艦隊の根拠地ハワイですら、
なかば実験的に配備されたばかりなのだ。対日最前線たるフィリピンの場合は一応の
備えはあったが、台湾に対する防空が主で北方に指向されていた。あとは長大な
ルソン島各所の監視哨が詳しい報告を入れれば、敵機が首都マニラに到達するまでに
迎撃態勢を整えられるはずであった。
西北西から侵入した日本機に気がついたときは手遅れだった。それでも開戦後であり
緊急発進した戦闘機も三十機以上あったが、百機を越す零戦の群れに取り囲まれ
ほとんど一方的な殺戮にあうことになる。残る機体は修理中のB−17を含め
地上撃破され、米極東航空軍は瞬時に壊滅した。二波、四百六十機に及ぶ艦載機の
空襲はマニラ湾のキャビて軍港にも攻撃を加え、その機能を破壊した。
重巡ヒューストンを初めとするアジア艦隊主力は、英蘭艦隊との合同のため出航していて
無事だったが、停泊中の潜水艦三隻が撃沈破され、さらに魚雷貯蔵庫に爆弾が命中して
潜水艦隊の作戦能力を大きく奪われることになる。
満を持していた台湾の陸攻部隊百八機が現れたときフィリピン上空にあった戦闘機は
わずか五、六機にすぎなかった。彼らは奮闘して護衛のいない陸攻七機を撃墜するが、
自らも三機を喪い、残る機体も傷だらけで再出撃は不可能になったのである。
一式陸上攻撃機…先代の九五式中型陸上攻撃機は日本初の引き込み脚を持つ、全金属製単葉の
双発攻撃機であった。対ソ戦が基本設定にあったため、シベリア奥地までを攻撃範囲にする
航続力がもとめられ、その点では充分満足のいく機体であった。しかし、防御力と居住性に
難があり、『戦訓』に基づき実戦部隊からは後継機の開発要請が相次いだ。
戦闘機や艦上機に金と時間をとられたことから遅れたが、この春ようやく配備が
始まったのがこの一式である。
最高速度は五百キロと百キロ以上も向上した。千二百キロの搭載能力はやや物足りなかったが、
防弾設備の充実と良好な居住性は高い評価を受けている。翼下に落下式増槽を着けることで
台湾〜マニラ間の攻撃に充分な三千五百キロの航続力を実現している。
機体上部に連裝の旋回機銃を持つほか、機首に三挺の12・7ミリを装備し、ある程度は
敵戦闘機を排除できるとされた。この日の戦闘はそれを証明した形となった。
搭乗員は九五式の七名から五名に減っているが、千二百キロの搭載能力に対してはなお
非効率との声も高く、三座の新型機の開発が進められている。航続力についても戦闘機の
随伴を条件とすれば零戦並みでよく、その分を速力などにまわした方が得策であると
されている。
戦訓…国民党軍と協力で行った中国共産軍への攻撃の際、裸の陸攻隊が共産軍のわずかな
旧式のソ連製複葉戦闘機に多数撃墜され大きな衝撃を受けた事件。海陸問わずその後の
機体設計に大きな影響を与えたとされる。ノモンハンでは若干防弾設備を強化した改良型が
投入されたが、護衛が不十分のときはやはり損害が大きかった。
百一機の陸攻はイバ、ニコルスなどマニラ周辺の飛行場を丹念につぶしていった。
ミンダナオ島方面に避退した航空機も翌日の艦載機の空襲でほとんどが撃破され、
開戦三日にしてフィリピンの制空権は日本軍の手に帰したのである。
アメリカ、白い家…
「オキナワにいた輸送船団が動き始めました。報告した潜水艦は連絡が途絶えましたので
詳細は不明ですが、フィリピンに向かったのは間違いないと思われます」
「マッカーサーはなんと言ってきてる?」
「敵が上陸するであろうリンガエン湾の防備を固める一方、いざとなればマニラは
無防備都市宣言をしてバターン半島とコレヒドール要塞に拠って戦うということです」
「ロシア人がモスクワを明け渡したと思ったら、こんどは我らがマニラを…か」
「海軍の救援は間に合わないのですか」
「無理押しをして突進した場合…一歩間違えると補給を断たれて取り返しのつかない
事態を招く可能性もあります」
「フィリピン救援にはベストをつくす。しかし、やむを得ない場合はトーキョーへの
歩みを着実に進める選択をしなくてはならないかもしれんな」
『フィリピンの放棄…か、あの気位の高いマッカーサー将軍には堪え難いことだろう。
一部で噂の次期大統領選挙への出馬もこれでなくなるだろうし…』とは誰も発言しない。
「イギリスからの連絡ですが、日本軍がマレー方面に来る場合に備え、シンガポールの
東洋艦隊は出撃準備を完了してるそうです」
「後方の不安を放置して突進するほど日本軍が愚かなら話は楽だ。奴らはフィリピンに
やってくる」
数日後…日本軍は確かにフィリピンにやってきた。だが…
「レイテ島……?それはいったいどこにある島だ??」
つづく