第二十六章『ゴロニャオン』
『ピ、ピー、ガガッ…ぱあーんぱかぱーぱ、ぱっぱぱー、ぱらぱっぱ、ぱらぱっぱ
ぱらぱっぱ、ぱらぱっぱ、ぱーぱかぱーぱ、ぱーぱぱぱーぱぱーーガッ』
雑音まじりのラジオから聞こえてきたのは『軍艦マーチ』…ではない!
椿が総連の酒席で座興に歌った『ヤマト』である。
平成の世ではどこでもこれ一本で押し切りいやがられていたものだが、
ここでは妙にウケた。即興で歌詞をここに合うように適当に換えてはある…
『さらば祖国よ旅立つ船は…日本を守る使命を帯びて…』とかに…
その中で『必ずここへ帰ってくると…』の部分がこの世界の軍人達の琴線に
触れたらしかった。後日、軍楽隊員が五線紙に移し編曲して…椿は音痴だから
メロディが変なところも多々あったので…さっそくレコーディングまでされてしまった。
それはともかく、多くの国民はこのラジオ放送で開戦を知ることになった。
『…帝国陸海軍は本八日未明南太平洋上において、米英蘭と戦闘状態に入れリ…』
米英はいい?として、オランダが宣戦布告をしてきたのは、彼の国がおかれている現状…
亡命政権がイギリスに居候…から仕方ないとはいえ、つらいところである。
欧州での祖国奪回のため米英の協力を得るには、アジアに持つ最大の利権、インドネシアを
日本との戦争というテーブルの上に賭け金として積まねばならなかったのだ。
椿は女中のセツが作ってくれた卵うどん…お粥は好きでないので…を食べながら
この放送を聞いた。近衛文磨首相代読の開戦の詔勅などはほぼ想定内、日本の独立と
国家、国民の尊厳の確立のためガンバローというものであった。
総連からの直通電話で台湾の情勢の報告が入った。これも想定内のものだったので、
かねて打ち合わせの通りに動くよう確認して寝ることにした。
風邪は消化の良いものを食べて、暖かくして寝るしか無い。もっとも、苦痛に弱い
椿であるから平成から持参した風邪薬はしっかり飲んだ。
テレビコマーシャルっ子である椿にとって、風邪薬といえば長い間『くしゃみ三回
ル…三錠』であったが、年をとってからは『葛根湯』や『小青竜湯』など漢方系を
愛用するようになっている。
いずれにせよ、汗をたっぷりかいて着替える…このときの爽快さは筆舌につくし難い。
少し甘えっ子になって、セツとサチの二人掛かりで着替えさしてもらう。
八十五キロを看護するのは大変だろうが、される方はけっこう楽しい。
思わず『ゴロニャオ〜ン』などと言いたくなるが、一応受けているであろう尊敬を
失うのが怖くて我慢する。
台湾、高雄基地
『ひどくやられたなあ、滑走路は穴だらけだ。司令部施設もかなりの損害だ」
「でも、がっちり造ってあった防空壕のおかげでブルドーザー初め土木機械は
大部分が無事でしたので、夕方までには一応発着機能は回復できます。
陸攻は退避させておきましたから損害なしですし」
「市街地にも弾が流れて大分被害が出たな。学校がまるまる吹っ飛んだとか…」
「登校前でしたから児童の被害はありませんが…大本営から直々に指令がきています。
民間の被害の写真をできるだけ早く届けろということです。大艇の手配をしときました」
九十七式飛行艇…通称、大艇は現在配備が始まっている一式大艇とともに川西飛行機が
開発した優秀な四発の飛行艇である。離着水の安定性は旧型の九十七式の方が
優れているとも言われるが、ともに長大な航続力と信頼性を誇り、特に一式は
エンジンに国産機初の自動消火装置を装備するなど生存性が飛躍的に高まっている。
「被害の隠蔽は厳に禁じられているが…その意味での指令なのかな?」
「それにしても、B−17は情報通り頑強でしたね、九十機ほどに倍近い戦闘機がかかって
十機ほどしか落とせなかったとは…『複戦』の配備が進んでいれば違う結果になったと
思いますが…」
『一式複座戦闘機』は入手した米軍重爆の防御力の高さの情報から、それに対抗すべく
開発された高高度性能、高速、重武装を持った双発戦闘機である。日本機では初の
二十ミリ機銃を装備している(機首に四挺)…『屠龍』の名で陸海軍ともに採用され、
配備が始まったばかりであった。後には夜間戦闘機型も登場する。
「こちらの損害は未帰還が陸海で二十一機だ。その他に要修理…というか廃機寸前の損害を
受けた機も多いが、搭乗員の損失が全部で十三名で済んだのは幸いと言うべきだろう」
「我が領土、領空内の戦闘でしたので、落下傘降下で生還したものが多かったですからね。
海上にも哨戒艇を出しておきましたから、それに拾われたものも少なくないです」
「こんどはこちらが…といきたいが、陸攻を裸で出したらひどい目に遭いそうだしな」
「一式は九十六式と比べれば生存性はかなり高いですが、戦闘機の待ち受けているところに
出すわけにはいきませんね。零戦の航続力があと五百キロも長かったら、マニラまでついて
いかせることもできるんですが…」
「航空本部の知人に聞いたのだが、零戦の開発時にそういう案も出たそうだ。だが、そうすると
機体強度は下がるし、空飛ぶ燃料タンク状態になってしまう。そんなものに貴重な搭乗員を
乗せることはできんということになったそうだ」
「反撃は『一機艦』待ちですか…」
「…だな。南雲さんに期待しよう」
翌日、台湾航空戦の詳報が日本政府から内外に向け発表された。
『米軍は台湾の基地のみならず、住宅地、小学校にまで無差別に爆撃を行った。
この非人道的武力行為は必ずや報いを受けるであろう。東西に大洋を持つ合衆国と
いえども決して聖域ではあり得ないことを覚悟するべきである』
燃え残った校門の横にたたずみ、校舎の焼け跡を見つめる児童の写真は…多少
演出くさかったにせよ…大きな反響を呼ぶことになる。
つづく