第十七章『続続・連合艦隊1941』
「食事を用意しますが、カレーでよろしいですか。海軍の慣習のメニューなので
他にご要望があればつくらせますよ」
海軍カレーか…戦後の海上自衛隊でも単調になりがちな航海中の生活で曜日感覚を
失わないように、毎週金曜日(最初は土曜日)にはカレーを出すという伝統が
あるという。
「カレーは大好きです…が、出来るならば少しわがままを言わせて下さい」
今日はよく歩いたし、ボリュ−ムのあるものが欲しいと思う椿であった。
少し後から着いてくる高倉青年達も、若いだけに腹を空かしているだろう。
『カレーは大好き』…これは事実である。
椿が子供の頃…昭和三十年代初期にはカレーは大ごちそうだった。
まず、肉…豚の細切れだけど…が入っているだけで、すでにごちそうである。
加えて、当時は一般家庭でカレーを作るのは、とても手間のかかることであった
…いまだってタマネギを形が無くなるまで炒めるのは時間がかかるけど…
メリケン粉(小麦粉)を炒め、カレー粉…おお、懐かしい小さな円筒形の、あの缶…を
加え、さらに炒める。それを、ジャガイモ、人参、タマネギなどの野菜と肉を入れた
鍋で煮込むわけである。
現在では簡単に思えるこの作業も、昔は大変だった。
ガス台が一つしかない家庭も多かったし、椿の家のようにガスがなく、石油缶で作った
コンロでまきを燃やして炊事をしてるところだってあった。
そんな家庭で、一、二か月に一度出るカレーがどれほどうれしかったか…
やがて、『即席カレー…の素』が登場する。インスタント時代の到来であるが、
当初は『即席』や『素』という言葉が使われた。『即席ラーメン』『即席しるこ』
『ワタナベのジュースの素』…林家三平、榎本健一といった人気者達が
コマーシャルソングを歌いまくり、国民はこぞって消費欲求をかき立てられるのであった。
それにしても…一袋五円の果汁ゼロパーセントの粉末ジュースは別として…
当時の即席食品はけっこう高かった気がする。出前のラーメンが四十円なのに
日清のチキ…ラ−メンは三十五円もしたのだから。でも、時代の最先端をいく?子供達は
目を輝かせて、その油くさい代物を親にねだるのであった。
最初の即席カレーは、固めの芋ようかんといったおもむきの固体を包丁できざむ…と
いうより削って鍋に投入するものだ。そのさい、できるだけうすく均等に削らないと
よく溶けず、ダマができて悲しい思いをすることになる。
この頃、宣伝カーというものが流行していた。カバの形をしたカバヤ製菓のものが
有名だが、その他にも派手な色やデコレーションをされた小型のバスタイプの
宣伝カーが街を走り回っていった。メーカーは忘れたが即席カレーのが来て…
メイジキンケイ・インドカレーかオリエンタルカレーだったか…
風船の人形を配っていったことがある。厚紙で出来た足が付いていて、起上がり小法師の
ような動きをした。カレーだからインド人なんだろうけど、頭にターバンを巻いた人形の顔は
真っ黒で黒人にしか見えなかった。
そして、削らずに溶ける『グ…コ・ワンタッチカレー』の登場!
その後、即席カレーに基本的な改革はなく平成の世にいたる。
一人暮らしの味方、レトルトカレーでは『大銀座カレー』がレトロ風味で好みである。
外食では専門店もいいが、そば屋(立ち食いを含む)のカレーがうれしい。限りなく
本格から遠い、あの黄色く粘度の高いカレーを福神漬けや上に乗ってるグリンピースと
ともに噛み締めると、いっとき少年の頃に帰る気がするのだ。
カレーパンも好きだ。大分前のことだが、東京の武蔵小山という商店街のパン屋で
店頭に並べたばかりの揚げたてを買って食べたことがある。
カリカリ、トゲトゲの表面に歯を立てて、粘りのある生地を食いちぎる。
残念ながらこの時点では中のルーまで届かない。ただ、開いた空洞の中から
むせ返るような香りが立ちのぼるのみだ。ひとくち目を飲み込むのももどかしく
再びかぶりつくと、歯が痛いほどの熱いルー…アフアフなどと言いつつ、片手に持った
牛乳で流し込んだときの至福といったらもう…
揚げたてのコロッケをキャベツとソースとともにパン…バンズタイプではなく、
平べったくて妙に傾いだ感じのするあれ…に挟んだコロッケパンも捨て難いが
総合力?でカレーパンには遠く及ばない。
「ほう、これが椿さんが注文されたカツカレーですか?」
豪快な笑顔で言ったのは、信濃艦長の朝倉豊次大佐だ。
食事を共にすることになった宇垣少将と、横須賀鎮守府長官の古賀峰一中将は
少し圧倒されたような目で前におかれた皿を見ている。
ライスの上にやや薄めだが、きれいなきつね色にあがったトンカツが八つほどに
切ってのせてある。
「いただきます』
銀の容器からル−をかけ、スプーンを突っ込む、久しぶりのカツカレーだ。
うまい! 同じカレーでも高級将校用は材料からして違うのかな。
「うむ、カツの衣にカレーのルーがからんで、なかなかですなあ」
「勝つ…カレーか、毎度とはいかないでしょうが、祝い事のあったときなど
兵にも食べさせてやりたいですな」
好評でよかった。カツカレーは戦後にプロ野球の某選手が、築地の洋食屋で注文したのが
発祥との説があるが、この世界ではここから広まっていくのかもしれない。
つづく