第十五章『連合艦隊1941』
1941年九月、横須賀海軍工厰の艤装岸壁に一隻の巨艦が横付けされていた。
公試運転が済んだばかりの新鋭戦艦『信濃』である。
「公試の結果は上々でした。予想を半ノット上回って、三十一ノットを出して
くれましたからね。年明けには戦力化できると思います」
案内役の連合艦隊参謀長、宇垣纏少将がうれしそうに説明する。
航空機が主流を占める海軍にあって、『戦艦派』と呼ばれる少数派のグループに
属する宇垣にとり、十五年ぶりとなる新型戦艦の…三隻同時の…建造は待望のもので
あったろう。
もっとも、この世界の日本海軍における航空と戦艦、両派の対立はそれほど激しい
ものではない。『万能の無敵兵器などない』という平凡だが堅実な考え方が浸透して
いるからだ。
索敵、偵察、制空、防空、そして水上戦闘…それぞれの局面で各兵器の能力を
バランスよくまとめて敵にぶつけなければ勝てない。仮想敵国が世界一、二位の
大海軍国であるなら、なおさらである。
イギリスなら本国から遠い極東、アメリカなら大西洋と太平洋の二つの正面…
こうした理由により形成されることになるであろう敵の『分力』に対し
出来る限りの『総力』をもってあたる。水上艦艇、潜水艦、空母艦載機に
陸上基地の航空機…優先順位にほとんど差はない。
あえて艦艇建造の優先順位で、もっとも重視されているものを揚げるならば、
駆逐艦をはじめとする対潜護衛艦艇である。第一次世界大戦でのUボートによる
戦術的敗北が相当にこたえたのだろうが、海上通商路の確保という海軍の本分に
基づく方針である。本土の各島嶼、日本と中国大陸、朝鮮半島をそれぞれつなぐ
海路は文字通り『日本の生命線』だからだ。
「呉の『大和』は、すでに第一艦隊に編入されています。長崎の『武蔵』は民間の
造船所での建造で、工数も多かったことから時間がかかりましたが、どうやら
この信濃と同じ頃には戦力化できるでしょう」
「大和級三隻のそろい踏み…ですね」
「はっ、これで米海軍の新型戦艦とやっても充分に勝算が立ちます」
『同数で撃ち合うことがあれば…の話だが』と思いながら、椿はあらためて
信濃を振り仰いだ。
確かにこの時点での日本の建艦技術の粋を集めた美しい戦艦である。
基準排水量、四万八千トン
全長、二百六十三メートル
最大幅、三十六メートル
主砲は新開発の四十七口径、四十センチ砲を三連裝、三基九門…
そのシルエットは、子供の頃から幾度となく写真や絵で見て知ってる
史実の大和級によく似てる。全長は同じだし、艦橋構造物もほぼ同じ…
大和の特徴だった幅の広さは三メートルほど狭いが、空からじゃないと差がわからない。
外見での一番の違いは、主砲がややほっそりとして見えることと、前部主砲塔から前の
甲板のうねりが緩くなっていることだ。あとは副砲がなく、その代わり高角砲が
十六基三十二門と大幅に増強されているのが、海軍の考え方をよく表している。
ドイツのティルピッツ…ビスマルクは史実通りに暴れて沈んでいる…や
今後登場する…かもしれない米海軍のアイオワ級、英海軍のライオン級と比べて
頭抜けて最大最強とはいえないが、攻撃力と防御力、高速性をバランスよく備えた
使い勝手のいい艦といえるだろう。
次代の戦艦の建造予定はまだ立っていない。大和級をスケールアップさせた…
主砲を四基十二門にした艦の設計は進んでいたが、国際情勢の悪化にともない
より緊急性の高い艦艇建造や航空機に力を注ぐ必要が出てきたからだ。
おそらく1945年までに新戦艦が登場することはない。日本海軍は十一隻の
戦艦をもって戦いに臨むことになるだろう。
では、これからしばらくの間はこの世界の連合艦隊を中心にした日本海軍の戦力を
見ていくことにしよう…妄想戦記における『肝』である。あー、楽しいー!わくわく!
金剛級、四隻は二度にわたる近代化改装の結果、排水量が三万二千トンを超え
防御力も向上したことで、巡洋戦艦から戦艦に艦種が代わっている。
ワシントン条約あけを見越して行われた改装で、比叡に実験的に採用された
バルバス・バウ型の艦首が造波抵抗の軽減、速力向上に有効であることが証明され
新造艦への採用はもとより、従来艦も相次いで改装されることになった。
艦齢二十五年を越える老齢艦の金剛級だが、重量の増加にもかかわらず三十二ノットを
出せる高速戦艦として、戦場のあらゆる局面での活躍が期待されている。
新型の射撃方位盤、急速注排水装置、火薬庫の冷却器、難燃性塗料といった
主に生存性を高めるための新技術も、金剛級で…なかば実験的に…採用され
フィードバックをもとに更なる向上が図られていた。
武装の面では、主砲塔の形状が改良され射程距離も少しだが延びている。
ケースメイト式の十五センチ副砲十四門が撤廃され、十二・七センチ高角砲が
連裝八基十六門と増強されているのは時代の流れだ。
さて、お次の扶桑級二隻だが武装その他の改装は基本的に金剛級と同じだ。
艦首の改装は長門級を優先したため実施されていないが、機関の改良により
二十九ノットを出す高速性は、現時点での列強の新型戦艦と比べてもひけをとらない。
椿の知る史実の扶桑と大きく違うのは、ハリネズミのように六基もあった主砲塔の数が
四基であるということと、艦橋の形状である。ひょろ高く、前にのめっているように
見える史実のそれではなく、長門級に近いどっしりとしたものになっている。
そして艦橋のトップには電波探知器のアンテナが鎮座ましましている。
防御思想の強いこの世界の日本では、電探…レーダーを『闇夜の提灯』呼ばわりして
忌避する意見は少数であり、主に防空用の対空電探の開発を独自に進めていた。
先進国のイギリスやドイツと比べると、電子科学や電装部品の製造で一段落ちる
日本が独自開発をするのは苦難の連続であった。
椿の父親は廃品回収業者…くず屋だったが、雨で仕事に出られない日は回収してある
ラジオなどをバラしていた。部品を金属ごとによりわける作業を、子供だった椿は
そばで見たり、手伝ったりしたものだ。
昭和三十年代初期に古くて使えなくなったものだから、戦時中のものも多かったろう。
それらの部品はコードの被覆一つをとっても、おそろしく粗末で頼りないものであったと
記憶している。当時のラジオは家電の中で最先端のものであったはずだが…
この世界は史実より少しはましであり、『八木アンテナ』など一部では世界レベルの
科学的成果も持っている。1940年、どうにか実用のめどがついた『一号電探』は
扶桑級に搭載され、様々な試験が行われた。扶桑と山城は栄えある?日本初の電探搭載艦と
なったのである。現時点では改良された『二号電探』が主要な艦艇に順次取り付けられ
運用試験が始められている。
長門級、二隻…建造当初に予想された通り、初の三連装砲塔など多くの新機軸に
不具合を生じたが、海軍休日の十年を利用してじっくりと改良、改修がほどこされた。
重防御と三十ノットの高速戦艦として、大和級の誕生後も第一線の戦力としての
価値を失ってはいない。
「大和級をもう一隻という話もあったんですがねえ…あちらに予算や資材を
持っていかれまして」
宇垣の指し示した海上に、信濃におとらぬ長大な艦体と平坦な甲板を持つ船が浮かんでいた。
甲板の一隅にアイランド型の艦橋があり、艦橋と一体化した煙突は舷側の方向に少し傾いて
いる…新鋭航空母艦『天城』だ。
つづく
この手の記述をうっとおしいと感じる方もおられると思いますが、作者が数十年にわたって、頭の中で描いたり消したりを繰り返してきた思いのたけ…です。当分続いちゃいますので、ご辛抱なさってお付き合い下さい。