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第十四章『大慶の至り』

椿は将官待遇の軍属として、日本の国政と軍事両面に顧問という形で

参画することになった。


先の会合から一か月ほど後、極秘に派遣された調査団から満州の黒竜江省において

油田の存在を確認したという連絡が入ったばかりである。史実では戦後の1959年に

発見される『大慶油田』だ。…油質は重く精製に苦労するだろうし、開発に多大な費用と

時間を要するから、追いつめられつつある日本にとり即効薬にはなりえない。


だが、自国の勢力圏の中にたとえ『量だけ』であっても、近代国家の血液というべき

石油を確保できる意味は大きい。日本と中国、大韓帝国…いちおう立憲君主国に

なっている…で、ギリギリでもなんとか生き延びることが可能になる。

そのうちに世界情勢も変化するかもしれない…他力本願だが、国際関係にはそういう面が

多分にあることも確かだ。

ともかく日本は、追いつめられたあげくに資源を求めて暴発するという、最悪のシナリオは

回避する形をとることが出来る。


米英の圧力にもかかわらず、日本との交易を続ける有り難い国もわずかだがまだあった。

トルコや南米のチリなど、伝統的に日本に好意的な国々との間を商船が往来している。

丸腰の商船が米海軍艦艇の追跡や臨検などの『いやがらせ』を受けながらも、日本は

護衛をつけることも運行をやめることもなかった。ただ外交筋を通してアメリカ政府に抗議

するとともに、中立的な立場にある諸国に窮状を訴え続けた。それらの国々の政府レベルは

アメリカ寄りの姿勢を崩さなかったが、庶民の中には『アメリカの横暴』の声を上げる者も

少なくはなかったのだ。


少なからず当ての外れた、ワシントンの白い家やロンドンのダウニング街の住人が満州発の

『極秘情報』…大油田発見、日本が開発に着手…を入手したのは十月に入ってからであった。


東部戦線のドイツ軍はモスクワへの進撃速度を緩めていない。

ソ連が崩壊する前になんとかしなくては…


日本がひたすら事態を先延ばしする理由がはっきりしたいま、自分たちの方が

焦りを感じる立場におかれたことを自覚せざるを得ない。

ルーズベルト大統領は側近のハリー・ホプキンスに秘密の会合を指示する。

巨大で不吉な機械がゆっくりと回り始めようとしていた。


東京早稲田の一隅では、椿が本間や高倉青年と酒を飲んでいた。

肌寒さを感じる陽気にふさわしく、湯豆腐の鍋とマグロのさしみを囲んでの小宴である。


「うん、このメバチはうまいね。きれいな透明感と歯触りがたまらんよ」


「は…これは、マグロではないのですか?」


「ははは、マグロにもいろいろ種類があってね…本マグロ、メバチマグロ、キハダマグロ…

それぞれに風味があるんだ。格は本マグロが最上とされているが、私の好みからいうと

良いメバチが一番すきだね」


「閣下は博識ですなあ。健啖でもおられる…私なぞは年のせいか豆腐の方で

充分ですが」


「本間さん、それから高倉もこの数ヶ月ご苦労様でした。機密の事項が多かったとはいえ、

詳しい事情も話さずに引きずり回したのに、よく働いてくれました。礼を言います」


もうそれだけで、二人の目に涙が浮かぶ。椿への忠誠と、それに対する褒賞による至福は

深く組み込まれた『設定』だから…


そこに女中のセツとサチが酒と肴の追加を持ってくる。


「お燗がつきました。サチの家伝来の里芋の煮物も召し上がって下さい」…とセツ。


「どれどれ…ん、こりゃあ美味だね」


二人は本間が用意してくれた、共に二十一歳の健康的な…昭和初期の…美女である。

働き者であり、世話をしてもらう分には申し分ない。もう五、六…七、八歳若ければ…という

公序良俗に反する椿の嗜好はさておいて…


「閣下もお疲れでしょう。このところずっと、視察や会議の連続でしたから、

今夜は二人にたっぷりマッサージをさせてはいかがです」


セツとサチが見合わせた顔を軽く赤らめる。明治時代のレイとミサ同様に二人には

マッサージの手順を教え込んである。その過程で二人が悦ぶ様もたっぷり見た。

こればかりはある程度年がいかないと、くすぐったがるばかりで(あまり)楽しくない。


「私も大分実験台にされましたが、上達ぶりはなかなかですぞ」


「本間さんのお墨付きか、後で楽しみにしているよ」


…二人をさがらせた後、コップにつがれた五合目の酒に口を漬けながら椿は思う。

思ったまま口に出した。


「こんな穏やかな酒が飲めるのも、後わずかかもしれんな」


「…日本は大丈夫でしょうか?」


血が半分薄い高倉青年にとっては、日本そのものの運命も気にかかるのだろう。

『そんなことはどうでもいい、俺が楽しければいいのだ』…とは、さすがに言えない。


「ここしばらく見て来た日本の戦備は、私の予想を上回っていたよ。米英を相手に

戦端を開いても、半年や一年は存分に戦えるだろう。だが…問題はその先だ」


「力が尽きると…?」


「米英との戦いは、将棋に例えれば…王将も飛車各金銀以下の駒も何十組と持ってる

相手と勝負するということだ。それを盤面に次々に出して来られたらどんな名人でも

勝ち目はないだろうね」


「………」


「私がどのような局面で、力を振るうことになるかはまだわからない。

『御使い』の力をもってしても、勝てる…とは言えないのが今度の戦争なんだ」


唇を噛み締める高倉青年を横目で見ながら、これまでに知ることが出来た

この世界における1941年の大日本帝国陸海軍の戦備の状況と、

今夜のマッサージの悦楽に思いを馳せる椿であった。



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