第十二章『あの人と出会って…2』
しっかしアメリカもやることは相変わらずだのう、イラクでやったと同じような
亊をしとる…っと、これは話が逆か。
彼らの今回の言い分は以下の通りである。
蒋介石の国民党政権は中国の人民を軍事力をもって抑圧、殺戮している。
また、日本は中国の内政に干渉し、蒋政権への軍事援助と引き換えに不当に利権を
得ている。このような行動は米国領フィリピンを始めとする東アジア一帯の平和にとり
重大な脅威となっており看過できない。
日本は抑圧的な政権への援助を中止するべきであり、その保証のためにはすべての軍事力を
中国東北部(満州)および台湾島から引き揚げることが必要である。
中国は公正に選ばれた正当な政府により統治されるべきであり、米国並びに、英、蘭政府は
そのための助力を惜しまない。正当な政府が成立した暁には、日本は不当に得た利権を
中国に返還しなくてはならない。以上の項目の完全な履行を確約、検証可能な状態での
実行がなされるまで諸国は日中両国に対し制裁措置をとる。
日米通商条約の破棄、貿易制限による石油、くず鉄の輸出禁止、在米日本資産の凍結…
1940年以降、急激に硬化したアメリカ政府の対日政策は41年に入るとさらに強硬な
ものとなり、およそ武力行使以外のあらゆる手段で日本を追いつめて来ている。
日独の間に協力関係のないこの世界では敵対する理由の無い英、蘭の両国も
米に同調、石油、錫、ボーキサイト、生ゴムなどの資源を禁輸している。
40年には客船浅間丸が英巡洋艦リバプールによって臨検を受け、ドイツ人乗客を
連れ去られるという事件が起き、日本の対英感情も一気に悪化した。
日英同盟が存続していればこういう事態は避けられたかもしれない。イギリス側に立って
参戦しないまでも、協力関係にあることでアメリカの矛先が鈍ったであろうことは予想できる。
だが、この世界でもワシントン会議の後、日、米,英、仏による『太平洋四カ国条約』という
あまり実効性の無い条約に組み込まれ発展的?に解消されてしまっている。
日英の国内に同盟の存続に否定的な意見があったことも確かではあるが、アメリカが
自国の利益に反する…世界一位と三位の海軍国の…同盟関係を解消させようと
策動したことは想像に難くない。
かといって、ドイツに組しようという意見が主流にはならなかった。ドイツ側の熱心な
アプローチにもかかわらず、同盟もしくは協力関係の締結を拒否し続けた。
元外相の松岡洋右を中心に外務省筋にはドイツになびく動きもあったが、陸軍が強硬に
反対した。陸軍の主敵はロシアであり、長年の反社会主義教育もあって共産主義ロシア…
ソビエト連邦に対する警戒感は抜き難いものがある。そのために防共協定を結んだドイツが
大戦直前、日本に通告もせずソ連と不可侵条約を結んだことは許せない裏切りと映った。
ドイツがその不可侵条約を一方的に破り、ソ連に攻め込みモスクワ目指して進撃している
事態を見ても、不信感がさらにつのりこそすれ、同調しようという動きは出なかった。
日ソの間には中立条約なぞ存在しないので、猜疑心の強い独裁者、ソ連共産党書記長の
スターリンは極東のソ連軍をヨーロッパに移動することを躊躇した。それがドイツ軍の
快進撃の一因でもあるのは皮肉なことだが…
中国の蒋介石にしてみると、アメリカの援助が得られれば、日本との協力関係なんか
重要でなかったかもしれない。しかし、アメリカの思惑通り日本と戦う気にもなれなかった。
最大の敵は毛沢東の共産軍であり、それは『蒋介石拘禁未遂事件』によってさらに
確定的なものになっていたのだ。日本の陰謀で爆死した軍閥、張作霖のむすこ張学良が
蒋介石を拘禁しようとして発覚、共産党支配地に逃亡したとされる事件である。
そうこうする内に、国民政府は人民を抑圧搾取する腐敗政権であるとされ…間違いとは
いえないのだが…アメリカからは援助どころか敵視されるようになってしまった。
共産軍に同行したアメリカ人ジャーナリストのスメドレーが描いた構図はわかりやすく、
アメリカの大衆にもウケるものだった。
腐敗政権と、それに加担して利権をむさぼる外国勢力(日本)と戦う愛国者達…
貧しい農民の支持を受け、粗末な武器で抵抗する共産軍という図式である。
資本主義にとって不倶戴天の敵であるはずの共産主義者でも、利用できるときは利用するのが
実利を優先するアングロサクソンらしいところだ。また、労働運動に悩まされた資本家階層は
別にして、一般大衆にとって共産主義はまだ『よくわからない』だけのものであった。
アメリカ国内には様々な政治勢力があり、大西洋単独横断飛行の英雄リンドバーグのように
ドイツびいきのものも少なくなかった。
ニューディール政策が社会主義的な大規模公共事業だったことからも、ルーズベルト政権に
共産主義のシンパがいたとしても不思議は無い。
史実のアメリカで反共が激化するのは、大戦後に東西冷戦が鮮明になってからである。
大西洋と太平洋は、それぞれにあまり関わりがないまま戦雲が巻き起ころうとしている…
これが椿のいる、この世界の1941年夏の情景である。
「椿閣下の服は、なんと言うか…涼しげですなあ」
酒が入ってすこしくだけたのか、服部大佐が話しかけた。
今回は非公式、かつ秘密の会合なので全員私服なのだが皆きちんとスーツ姿である。
吉田茂や山本五十六はよく似合っているが、東条英機は何となく着心地が
悪そうだ。
「上下とも綿で出来ていましてね、丈夫ですから作業着としても優れものですよ」
椿の服装は黒のTシャツとジーンズである。
「このTシャツには…こうして字や絵柄をプリントすることで、おしゃれな外出着と
しても使えますし、特に夏は暑さをしのぐにもってこいです」
平成の世で亜熱帯化した東京に住んでいた椿は、夏どころか一年のうち三百日ぐらいは
この格好で暮らしていたものだが…
「その…文字はなんと読むのでしたかな?」
「はは…萌萌と書いて『もえもえ』と読みます。草木やものごとが芽生える意味ですよ」
「ほう、語感はともかく…新進の気概を表す言葉のようですな」
本当?の意味を言っても不審を増すだけなのでうなずいておく。
「…外務大臣」
ふすま越しに声がかかった。席を外した東郷茂徳がすぐに顔色を変えて戻ってくる。
どうやら緊急事態が突発か…
「米国がフィリピン近海の公海上に通行制限区域を設けるという情報が入ってきました」
つづく