表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
124/127

第百二十三章『問うなかれ』

「中京地区の復興は順調のようですね」


椿五十郎は報告書から目を上げると満足そうに言った。


「はい、地震で家屋が倒壊した地区の区画整理は終了し、道路の拡幅も

あわせて進んでいます。陸軍は『国土防衛隊』を中心として三個師団を投入、

海軍も揚陸艦などで物資輸送に協力しましたからね』


1944年、十二月七日…三重県志摩半島沖を震源として発生した東南海地震…

史実では津波によるものも含め千二百名を越す死者を出し、一帯の産業にも大打撃を与えた。

戦時中の報道規制と負け戦の中で対処が遅れたことも被害を大きくした。


「…五百名の死者は痛ましいことですが、これでも大難が小難で済んだと考えた方が

よいと思いますよ」


「たしかに…椿閣下から『この地区で大災害が発生するおそれがある』とのお言葉を

頂いていなかったら、被害はさらに拡大していたと考えられます」


「航空機工場を初めとする施設の損害は仕方ないとしても人的被害がおさられただけでも

よしとしますか」


「地震当日を挟んで三日間、空襲に対する特別訓練として企業や学校も休みにしましたし、

国土防衛隊も臨戦態勢におきましたからね」


「日本は地理的条件から地震や台風などの自然災害から逃れることはできません。

発生が防げないのであれば、その後の対処に知恵と予算を注ぐしかないですよ」


「しかし…台風はわかりますが、地震がこうも多いのはなぜなんでしょう?」


この後、椿はまだ一般に知られていなかったウェゲナーの『大陸移動説』と、

それを原因として日本列島は地震の巣になっている…ということについて一席ぶつので

あるが、長くなるので割愛する。興味のある方は調べるとよいだろう。


この世界の政府は地震の被害をかなり大げさに報道した。戦争遂行に重大な支障が

生じたと匂わせるほどに…戦争終結をにらんだ国内向けのプロパガンダのひとつである。


表面的には有利な戦局が続く中で、軍や国民の中に出始めている『完全勝利までの

戦争継続』といった声を封じるためにこの天災を利用したのだ。


『なかったマリアナ沖海戦』が、もしも起きたとしたらどんなだったか…

きっと、先に述べたような架空戦記も書かれるかもしれない。

でも、なかったものはなかった…のである。


それに…あの『決戦!…』は真っ正直に戦い過ぎて地味である。ラストになって、ろくな

伏線もなしに超兵器が登場しちゃうのもなんだか……

椿としては自分がいるかぎり、もっと『楽しい海戦』を繰り広げるつもりであった。

どんな?…と問うなかれ、なかったんだからしょうがないのだ。


せっかく準備したのに…米軍で一番そう思ったのは、ブル・ハルゼーだったろう。

ハルゼーは42年のソロモン諸島をめぐる戦い…日本名、第二次南太平洋海戦で敗北し

生き残りの艦隊を連れて『ブルズ・ラン(ナウェイ)』とよばれる逃走をおこなった。


ガダルカナルの陸兵を見捨てる形になった責任を取らされ閑職に追いやられたハルゼーだが、

空母部隊指揮官が人材不足ということもあって、44年の秋には一個空母群の指揮官に

返り咲いていたのだ。


『今度こそジャップをたたきつぶせると思ったが…まあいい。ジャップは憎むべき敵だが、

おれ達と正々堂々なぐりあったということは認める。裏切り者のアカやナチよりはまだ話せる

やつらかもしれん。こうなったらアラビア海に派遣してもらってアカでもぶっ殺すか』


米海軍ではハルゼーのような指揮官は少数派だったらしい。怖いもの知らずの新兵は

別にすると、ベテランの…生き残りの…将兵に言わせれば…


『負けっこない…そういってキンメルも出撃したんだよな。日本軍との戦いじゃ

何が起こるかわかったもんじゃない』


開戦以来、太平洋で唯一生きのびた従来型戦艦『ネバダ』の元艦長ベイツ少将は

この時点で最新鋭戦艦『モンタナ』の艦長になっていた。


『そりゃあ負けるとは思わない。だが…最新の情報じゃ日本海軍は例のヤマト級を

五隻はもってるらしい。先頭に立ってヤマト級の群れと撃ち合えば…少なくともモンタナは

無事じゃすまないだろう…あ、もちろん合衆国のために命をかける覚悟はあるけどね。

ようするに…今回もまた結果的に生きのびたってだけのことだ』


ベイツの言葉に、やはり開戦以来のなじみである副長も深くうなずいたものである。


合衆国と大英帝国が日本との停戦に応じたのは、主にヨーロッパと中東の情勢によってで

あったろう。


三月、ソ連軍は『イラク民主主義人民共和国』を支援すると称してイラクへの

侵攻を開始、一週間でティグリス川東岸一帯を占領してしまった。

バグダッド前面の防衛線をかろうじて支えながら、英中東派遣軍司令官の

モントゴメリーは援軍要請の悲鳴を上げつづけている。


ヨーロッパ…フランスの情勢はさらに深刻であった。


『ヒトラー(最後)の賭け』は史実だと44年十二月のフランスとベルギー国境付近、

アルデンヌでの機甲部隊による突破作戦…いわゆる『バルジの戦い』であるが、

冬期の悪天候をたよりに制空権も充分な燃料も無しでおこなわれた作戦で、

戦局を一変させる…見込みすらなかったものであった。


ここでの『賭け』は東部戦線をほとんど空にすることを前提に計画された本格的な

大反攻作戦であった。


密約をむすんだ…らしい…といっても、独ソはお互いに対する警戒を解くわけには

いかなかった。西部戦線への戦力移動は部分的なものにとどまっていたのだが、

ここにきて同盟軍以外の戦力をほとんどソ連領から引き上げるという賭けにでたのだ。


もちろんソ連軍のイラク侵攻を見定めてから…さらにロシアの大地が雪解けで

万が一の場合でもソ連軍が動きにくい時期に…という配慮は怠らなかったが…


史実とは逆に、二週間ほど続いた悪天候を情報秘匿に利用して準備をおこなった攻勢は、

三千機の航空機と二千五百輛の戦車、百五十万の兵力をもって四月一日に開始された。


パリ解放後、やや気のゆるみを見せていた連合軍は大崩壊を起こす…

ドーバーとパリの中間に深々と撃ち込まれたドイツ軍のくさびは、方向を転じて

パリを包囲する動きを見せた。


自由フランス軍のド・ゴール司令官はパリ死守を宣言したが、どうなるか

予断は全く許さない状況である。


合衆国はたとえ一国で独、ソ、日を相手取っても勝てる力をもっているだろう。

だが、それは国力の最後の一滴までも絞り出すという覚悟をすれば…での話である。

大統領の権限がいかに強かろうと、合衆国市民の声…世論を無視できる政体ではないのだ。


『最終兵器』とやらの開発も失敗したとなれば、とりあえず交戦国を減らす方策を

とることを余儀なくされたのだ。


前大統領ルーズベルトの死去に対し、捕虜返還の申し出という配慮を見せた日本が

その対象となったのはなかば当然であった。


停戦から講和…ではなく『休戦』というはんぱな名目で動き出したのは米国内の反日感情…

戦死者の肉親等の…に配慮したものである。


『1945年までに対米英戦争において無条件降伏以外の結末を迎える』


…えらく曖昧なものだった今回のミッションもこうしてなんとかコンプリート

することができたわけだ。


つづく






評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ