第十一章『あの人と出会って…1』
こちらへ…と示された床の間の前の『上座』にすんなりと座る。
『御使い』に対する配慮だろうが、それとかかわりなく椿は平成の世でも
宴会ではこういう席に着くことに慣れていた。地位とかではなく単に体格の問題で
そうした方が自分も他のメンバーも楽だからだ。
今現在の体重は八十五キロほどだが、一時は百を超えていたから安手の居酒屋で
詰め込まれたときなど左右に人がいるとひどく窮屈になってしまう。
さらに隣りが若い女性だったりすると『いやがられる』のがつらい…椿自身の
嗜好に合う女性は年齢からして基本的に飲み会にこないから、左右と身体が
くっつこうがなにしようが楽しくも何ともないのであるが…窮屈な上に
いやがられるよりは一人で座れる席に着くのが習慣になっているのだ。
正規の会議ではなく『宴席』であるということは一応の歓迎の意を示しながらも、
同時に国政や軍事への関与をさせるかどうかはまだ保留しているわけだ。
当然のことだ…検証もせずあがめ奉るのはバカか、逆にその対象を利用しようとする
一部えせ宗教団体の幹部のような連中のやることだから。
「本間さんから聞きましたが、椿閣下がお出でになられたのは帝国が国難に直面すると
いうこと…と理解してよろしいのですか」
司会進行役を担当しているのか、挨拶の後で口火を切ったのは近衛内閣の外務大臣
東郷茂徳だ。史実だとこの時期は対米英強硬論者の松岡洋右から海軍出身の豊田貞次郎に
代わる所だが『次の』東郷がもう外相になっている。
「その可能性が大であると言っておきましょう。世界最強の大国から強硬に政治的、経済的な
圧力を加えられている現状がまだ国難でないとしての話ですが」
一同の顔が暗くなる。アメリカは日本との通商条約を破棄して、くず鉄や石油の輸出を
禁止した。イギリス、オランダも同調して石油やボーキサイト、生ゴムなど近代国家に
欠かせない資源が入って来なくなっているのだ。樺太油田だけでは到底支えきれず
石油の備蓄は平時の二年半分にすぎない。
「アングロサクソンとの戦争以上の国難はないと考えます。それだけは選択肢から
外すべきでしょうな」
東郷の横にいた小柄で堅太りの男が葉巻をくゆらしながら言った。
吉田茂外務次官…史実では戦後の日本を引っ張った宰相として、また保守本流の
政治家のドンとして名を残している。椿の高校時代に亡くなり、国葬にされ
公立学校を休み(半ドン?)にしてくれた人物だ。
駐英大使を務め戦時中は親米英派として憲兵隊に拘束されたこともある。
その男がこの時点で次官の地位にいることがこの世界の日本のスタンスをよく
表しているのだが…
「とりあえず戦争を避ける方法はあります。向こうの要求を全部のむことです」
「椿さん、それができれば苦労はありませんよ。明治以来、先人達が血を流し
築き上げて来たものをすべて捨てろというに等しいことです」
椿も記録映像の音声で聞き覚えのある甲高い声、東条英機陸軍大臣だ。
「戦えば結果的に同じ…いや、もっとひどいことになる可能性の方が高いですよ」
「………」
「陸軍の中にも、主たる仮想敵国はソ連であり米英と事を構えるべきでないとする
声が大きかったのですが、アメリカのいうことをのむならば、その対ソ防衛もおぼつかなく
なります。ここに来て急激に強硬論者が増えているのですよ」
参謀本部第一部作戦課長の服部卓四郎が言う。ノモンハンでの戦いの記憶も新しく
独ソ戦の状況などから陸軍の目が北に向けられているのは確かだろう。
アメリカとの戦争など避けるに越したことはない。だが…
「椿さんは先ほど『とりあえず』と言われたが、米国の要求をのむことは
最終的な解決にならないのですか」
架空戦記の王道?会うべくして会った人物、大日本帝国海軍連合艦隊司令長官が
ここで発言した。
「山本さんは彼の国のことをよくご存知でしょう。あの凄まじい工業生産力、
そして北米大陸の原野を西へ、西へと切り開いていったフロンティアスピリットを」
「恐るべきエネルギーです。あの国と戦争をするなどということは、悪い夢としか
言いようがありませんな」
「生産力は当然のことに販路を求めます。フロンティアを求め続けるのは
アメリカの本能なんでしょう…帝政ロシアが不凍港を求めて南下拡大の動きを
続けたように」
「それが中国大陸だと?」
「…を含めたアジア全域ということになりましょうね。今次の大戦でイギリスなど
欧州各国のブロック経済はガタガタになってます。アメリカにとってはよいチャンスですよ。
武力による征服ではなく、ドル紙幣による経済的、文化的支配…これがアメリカの
指導者層WASPの描いている未来図です。それを阻害する存在は当然のこと
武力で叩きつぶそうとするでしょう」
「すると…今回こちらが引いたとしても」
「さらに押してくるのが、あの国のやり方ではなかったですか。
皆さんは『大坂の陣』をご存知ですよね。冬の陣で苦戦した徳川は豊臣と和議を
結びます。豊臣の方ではこれで一件落着と思ったでしょうが、そうではなかった…
大坂城(江戸時代まではこう書いた)の内堀まで埋められてしまった豊臣方が、
追いつめられたあげくの戦いでどうなったか…」
「………」
「え…と、先ほどのWASPというのは何ですかな?」
「ホワイト、アングロサクソン、プロテスタントの頭文字を並べた言葉ですよ、服部さん」
「アメリカの支配者層であり、世界をも支配しようとしている者達というわけですな」
「困ったことに彼らは人種や宗教などが違う存在と、対等に棲み分けるということが
できないんです。彼らの『フロンティア』はネイティブアメリカン、今はインディアンと
呼ばれている先住民を駆逐して拓いていったものですからね」
「ふむ、わたしらはインディアン扱いですか」
「ええ、冗談とかではなく、彼らの深い所にある認識は真実そういうものでしょうね」
しばらく沈黙していた吉田が口を開く。
「椿さんの言われることは理解できます。私もイギリス滞在中、表面ではともかく
奥底に彼らが持っている人種差別の意識は常に感じておりましたからな。
それでもなお、ここは交渉によって妥協点を探るべきではないでしょうか」
「同感です。海軍の実戦部隊を指揮する者としては言い難いことですが、
米英を向こうに回して戦端を開くことに自信はまったく持てません」
「山本さん、それから他の皆さんも考え方が囚われてはいませんか?」
「…と申しますと?」
「自分たちがどうするか…という以前に、向こうから戦争を始める可能性も
あるということを忘れてはいませんか?」
「………しか…し」
「何も、アメリカ海軍の空母部隊がひそかに日本に接近して、宣戦布告と同時に
東京や…呉軍港に艦載機による奇襲攻撃をかけてくるとは言いませんよ」
さすがに山本五十六はわずかに顔を歪めただけだが、横に座りこれまでずっと
無言、無表情のままだった連合艦隊先任参謀の黒島亀人大佐の目が大きく開いた。
やっぱり、この世界でも計画はされていたらしいなあ…『真珠湾奇襲攻撃』は。
「ところで東郷さん、私は少々喉が渇いてしまいまして…」
「おお、これは気がつきませんで、そろそろ一息入れましょうか。
飲み物を運ばせましょう…椿閣下はビールでよろしいですか?」
「最初はビールで、すぐ日本酒に移りますので二、三本よろしく」
酒のことになると遠慮なしの椿である。
つづく