第百十八章『東京ロマンチカ』
「前大統領は偉大な政治家であった。わたしはその業績をけがさぬよう
努力し、政策を継承していきたい」
合衆国の新大統領、ハリー・トルーマンの第一声である。
他に言いようもなかっただろう…まだ自分を出せるような段階ではない。
だが、それでも…
「これまで説明を受けた戦争経過を振り返るかぎりで、疑問を呈さざるを
得ないのは、なにゆえにあれほど対日戦をいそいだか…ということだ。
日本がアジアの平和やフィリピンの安全にとり脅威であったとしても、
開戦前にはまだ潜在的なものにとどまっていたのではないか」
ヨーロッパ第一主義者が大多数の合衆国において、東西で同時に戦争を
始めたのはルーズベルトとその側近の強い意向である。
あとから見れば対日戦は『ルーズベルトの戦争』としか言いようがない。
「今日の新聞各紙をご覧になりましたか?」
留任した国務長官のコーデル・ハルが聞いた。
「日本とナチス・ドイツの声明だね…好対照すぎる…」
ドイツはルーズベルトの死を『戦争狂の死』とあざけっていた。
日本のエンペラーの言葉は以下の通りである。
『偉大な大統領の死によって合衆国の国民がうけた悲しみに哀悼の意を表したい。
日米両国は不幸にして戦争状態にあり、直接弔問の使節を送ることはかなわない。
朕は政府に対しそれに代わる施策を講じるようにもとめている』
アメリカのマスコミはこの対照的過ぎる声明を面白がるかのように、並べて大きく
扱っていた。
「日本は昨年末の地震によりかなり動揺しているようです。このように下手に
出るのもその表れかと」
「海軍の準備は順調なのだね」
「はっ、ヨーロッパの戦局の進捗により、太平洋に回せる艦艇は逐次増えています。
四月末には補修も完了し、対日攻勢が可能になると判断しております」
「…その間は、エンペラーの言う施策とやらを待ってみるか」
待つ必要はなかった…その日、日本政府は世界に向けて連合軍捕虜の
全面返還を発表したのだ。
『大統領の死という悲劇の中で多くの国民を故国から引き離していることは忍びない。
日本は合衆国の捕虜を直接か、オーストラリアを経由して返還する。また同時に
英連邦諸国を始め、他の連合軍捕虜も返還あるいはオーストラリアでの抑留に
移したい。それにかかる費用はすべて日本が負担する』
これはやはり大きなセンセーションを巻き起こした。
日本人の感覚からすれば、いささか芝居がかって『くさい』のであるが、
外国相手にはこれくらいはっきりいわないと通じない。
「無条件で…ということかね?」
「スイスでのヨシダからの申し入れではそうです。捕虜の移送中の
航路の安全確保については協議したいとのことですが、これは
フィリピンで例がありますので」
「日本はこれを講和のきっかけにしたいと考えているのだろう」
「議会の一部には、日本の軍備削減や中国市場の門戸開放を条件に
そうすべきと主張する動きも出ています。イギリスはかなり乗り気な
ようです」
「ソ連のこともあるし、交戦国を減らすという選択肢もあるか。
少し考える時間がほしい…このあとすぐバーンズと会う予定がある」
ジェームズ・バーンズはトルーマンの新しい側近である。
東京、早稲田…
深夜にもかかわらず来訪した東郷茂徳外相が沈鬱な表情で話している。
「最初の感触はかなりよかったのですが…ここにきて米国の態度が急に硬化した
らしいのです。こちらの提案を完全に拒否したわけではなく、どちらかといえば
こちらがしびれを切らせて白紙に戻すことを望んでいる感じがします」
「わたしには、ある程度ですがその原因が分かる気がします。
東郷さん、もうしばらく粘って下さい…もしかすると、また向こうの
出方が急変するかもしれませんから」
「わかりました…スイスにもそう伝えます。吉田君はしぶといですから
頑張ってくれるでしょう」
ま、そうだろう…開戦前に会ったきりになっているが、吉田茂も側近の
白州次郎も、そして史実では総理を務めることになる池田勇人や佐藤栄作といった
若手官僚も…スイスの日本外交代表部として派遣されたメンバーは
そう簡単にあきらめはしないはずだ。
椿のうった手は単純である。米側の態度急変の原因を推理すれば…
『原子爆弾』…開発の存在の可能性が高い。日本の提案に傾きかけた
トルーマンが原爆の話を聞き武力のみによる勝利にゆらいだということは
充分考えられる。
もちろん確証はない。この世界の歴史の変化がどれだけ大きいのか…
原爆開発が『ない』ほど変わったりしているのか?
そこで椿は、自ら禁じ手としていた方法を使うことにする。
核兵器などという下品で掟破りな兵器で楽しみを壊されてはつまらないからだ。
史実で原爆開発がおこなわれた地点の座標はわかっている。
能力拘束術式一号解除…
1945年、二月二十八日…現地時間の深夜十一時五十九分…
アメリカ、ニューメキシコ州、ロス・アラモスの上空三百メートルに
『五万トン』の爆薬が出現して炸裂した。
五十キロトン…単純計算で広島型原爆(十二〜二十キロトンと諸説があるが)
二〜三発分強の爆発力である。
もしも原爆開発がおこなわれていなければ…場所が変わってるということも
ありうるが…ヘビとかトカゲとかの砂漠の生き物を虐殺するだけである。
おこなわれているのならば…研究施設ごと学者、工員、警備兵…何千人かの
人間も消し飛ぶだろう。
かかった能力ポイントは一億一千万千百である。
残…百六十億六千九百二十四万三千六百五十ポイント…
「…バーンズ君、威力が大きいことはよ〜く分かった。だが、開発途上で
こんな事故を起こすものが役に立つというのかね。合衆国はこの計画にすでに
十五億ドルを注ぎ込んでいるが、それはすべてどぶの中にだ」
原爆開発推進派の中心であるジェームズ・バーンズは唇をふるわせながらも
言葉が出てこない。
開発は最重要拠点ではあってもロス・アラモスだけで行われているわけではない。
ウランの分離はテネシー州…というように各地で分散されて作業が進められている。
この時期こんな事故…核爆発が…起こるわけがない…とはバーンズもよく理解していない。
なんといっても核物理学は…二十一世紀でも…ほとんどの人間にとって
理解の範疇の外である。
核兵器そのものについても同様…でなければ、史実の戦後に核実験場で
歩兵の訓練などしなかっただろう。
説明すべき科学者の多くは灰になっている。仮にバーンズが正しく説明できたと
してもトルーマンの理解に届いたかは、はなはだ疑問である。
「な、なんらかの破壊工作という可能性も…」
「ほう、国家の最重要機密である場所がつつぬけで、やすやすと工作員が
入り込んで町一つを吹き飛ばしたというのかね。よろしい、ワシントンD.Cに
戒厳令…いや避難命令を出さねばならない…きっと次はここだろうからな」
「………」
将来、これが少なくとも核の誤爆ではないことが分かる時が来るかもしれない…
たとえ真の原因は不明だとしても…
だが、このとき合衆国における政治、軍事の最高決定権者は原爆開発…
『マンハッタン計画』の中止を命令したのだ。
当面は核兵器のない世界…それが希望と平和に満ちあふれたものになるか…などと
いうことは椿にとっては興味がない。なにより問題なのは、おもしろくなるか
どうかということなのだから。
魔王艦隊出撃…の日はいつ来るのか…
東京のさくらのつぼみはまだ堅い。
つづく