第百十七章『つかず、はなれず』
ヨーロッパでの連合軍の進撃は膨大な犠牲を払いながら遅々としたものだった。
上陸から三か月、44年九月の声を聞いてもフランスの首都パリの手前百キロで
停滞している。
ドイツ軍西部方面総司令官はルントシュテット元帥であるが、連合軍の上陸地点を
北部のカレーであると読み間違え、少々威信を落としていた。
敵はノルマンディにくる…結果的に正しい主張をしたロンメルが実質的に
指揮をとる形になっている。
連合軍を海にたたき落とすことには成功しなかったが、海軍艦艇の支援が
届かなくなる地点までさがると、頑として進撃を許さなかった。
空軍力はいまだに伯仲しているので、あとは陸軍部隊同士のガチンコになる。
連合軍艦艇が手薄になるときをねらって一定距離を押し戻すことさえやった。
軍艦はいつまでも張り付いてはいられない…燃料や砲弾がなくなれば補給に
帰らざるを得ないし、洋上補給をうけたとしても限度がある。
艦砲射撃を続けた戦艦や巡洋艦の多くが主砲の命数を使い切っており、
砲身の交換が必要になっていた。これはひょいとできるような作業ではない。
空母部隊も同様…艦載機は戦闘によらずとも出撃を繰り返すだけで消耗していく。
艦上でのメンテでは追いつかなくなれば、退がるしかない。
ドイツ側も後方輸送路を空襲でかなり乱されているので、いっきの攻勢は
とれないでる。結果、北フランスは人間と兵器の廃棄物集積所と化しているのだ。
有名人のエピソードとしては…謹慎が解けたパットン将軍が腰のホルスターから抜いた
コルト・ピースメーカーをふりかざし前線に乗り込んだ。
…が、ロンメルが巧妙にしかけた罠にかかり指揮下の機甲部隊は壊滅、本人は行方不明と
なった。45年十二月に交通事故で死んだ史実より、一年ちょい寿命を縮めてしまったらしい。
こうした戦局の中にもかかわらず、十一月の大統領選挙でルーズベルトは無事? 四選を
果たした。副大統領はハリー・トルーマンである。
これはライバルである共和党が、真剣勝負に出なかったためもあるらしい。
合衆国の各政治勢力は戦争の最終的勝利を疑いこそしなかったが、どうやら
かなり『下手をうってる』ことは感じとっていた。
この尻は、戦争を始めた本人に拭かせようと考えたとしても不思議はない。
共和党は次の48年の選挙で、現在連合軍最高司令官をしていて評判のいい
ドワイト・アイゼンハワーを担ぎ出して確実に勝とうというつもりだった。
宿願を果たしたルーズベルトは軍部から出された、対日攻勢のさらなる延期の
要望にも機嫌よくうなずいた。
もうあせる必要はないのだ。ヨーロッパを片づけてから、充分に整備した
戦力をもって、対日戦にパーフェクトな勝利を収めればよい。
…というわけで、日本軍は…魔王艦隊もふくめて…一向にやってこない
米太平洋艦隊との決戦に備え、訓練と補修ばかりに日を送るのであった。
B29は作るそばからイギリスに送られ、十二月には五百機規模の大編隊が
ヨーロッパの空に姿をあらわした。
ノースンアメリカンP51五百機に護衛された『超空の要塞』を見た者は、
天秤が傾き出したことを感じた。
隔絶した性能を持つドイツのジェット機部隊といえども、万能無敵…では
ないのだ。
こうして、この世界は運命?の1945年を迎える…
椿の年越しに特筆するようなことはなかった。
女中二人にマッサージをさせたあと、鍋をつつきながら酒を飲んで寝た…
この大晦日『イラン民主主義人民共和国』という国家が産声を上げたらしいが、
ソ連をのぞいて世界はそれを黙殺した。
ソ連のラジオは同時に『療養中』だったスターリンの死去と後継者たちの
名前を発表していた。どうやら集団指導体制をとるらしい。
ブルガーニンやマレンコフといった中に、椿にもなじみのある
ニキータ・フルシチョフの名もあった。
彼がアイゼンハワーやケネディと丁々発止の政治戦を繰り広げるかは
『こうなっちゃった』世界では、椿にしてもまったくわからないことである。
転機は45年二月十二日に訪れた…
満足そうな笑みを浮かべ目を閉じている大統領の車いすを押しながら
側近のハリー・ホプキンスは先ほどのラジオ演説を振り返っていた。
二月十日、ついにパリは解放された…ヒトラーの破壊命令にもかかわらず、
フランスの首都は『燃えずに』あけわたされた。
北フランスの戦局はまだ予断を許さないが、ヤマは見えてきた。
日本は相変わらずおとなしくしている…昨年十二月初めには『チュウブ、トウカイ』地方を
激烈な地震が襲ったという…日本では有数の工業地帯であり、航空機産業などに
相当な被害がでているらしい。
一部マスコミでいわれてるように『神の罰』であるなどとは思わないが…地震は
アメリカにも起こる…日本の戦争遂行能力にとり打撃だったことはたしかだろう。
それを織り込んだ、昨日の就任演説もみごとだったが、今日の『炉辺談話』…ラジオで
国民に直接語りかける、ルーズベルトが始めた政治スタイル…も感動的だった。
多少ろれつがあやしいところもあったが、この人はやはり偉大だ。
ホプキンスはあらためて祝福の言葉をかけようとして異変に気付く…
あまりにも反応がなさ過ぎる…
東京、総連会議室…
話題はアメリカ政府が発表した大統領死去のニュースに集中する。
「自足が寿命を縮めた…ということかもしれませんね。いずれにせよ彼は
この戦争が終わるまでは生きていなかったでしょうが」
そう、史実でも二か月後の四月十二日に死去している。
「ルーズベルトが選挙で勝ったとき、椿さんがそう言っておられたのは
覚えています。それにしても就任二日でとは……副大統領が昇格する
ことになるんでしょうが、どんな政治家なんでしょうな?」
「トルーマン…弁護士だったと思います。当然、無能ではありえませんが
ルーズベルトほどのカリスマ性をもっていないことも確かでしょうね」
椿は平成の世にいた頃、この辺についてかなり妄想をめぐらせたことがある。
仮にルーズベルトが選挙後、就任前に死んだらどうなるのか?
残り数ヶ月は当時の副大統領ウォレスが昇格して務めるとしても、次期大統領は
どうなるのか?
まだ就任してないトルーマンが昇格?? う〜ん…
ネットで少し調べたぐらいではわからなかった。まあ、選挙をやり直すことに
なって、その間は継承権によって上院臨時議長(上院議長は副大統領が兼任のため)
…以下、下院議長、国務長官……という順番で大統領職を代行することになるのだろう。
まあ今回は無事?ルーズベルトが就任してから死んだので、お約束通り
トルーマンが登場したのだが…
「では椿さん、わが国がとる対応はかねてからの打ち合わせの通りで
よろしいですね」
「はい、陛下の内諾も取り付けてありますから」
「スイスにいる吉田君にも指示をだします」
さてどうなるか…交渉ごとはやってみなければわからないことも多いが、
半分以上は自国民向けだ。
それとは別に、椿は一つの作戦を実施する時期がきたことを感じていた。
つづく