第百十四章『北の国から』
ヨーロッパ戦線については情報が固まってからまた述べるとしよう。
白人同士がどんどん殺し合ってくれるのは、喜ばしいとまではいわないが
悪いことではない…セネガル兵とかの非白人もいるけど…
ただ、詳しい描写を続けるほどの思い入れもないということだ。
そうこうしているうちに、1944年も七月に入り日本の農業地帯では
多少の機械と牛馬、圧倒的多数の人間が米づくりに精を出している。
今年と翌45年は気候が不順である。史実では戦争による人手と肥料の不足が
飢餓に拍車をかけるのだが、この世界では…いまのところ…そこまでの事態悪化は
ないだろう。
その朝はひさびさに夏の太陽がぎらつく暑い日であった。椿が汗を拭きふき、はやくも
夕方のビールに思いを馳せながら総連のビルに入ったとき、異変を知らせる第一報が
届いた所だった。
『択捉島、空襲さる!』
『敵は未知の重爆…約四十機…高度九千で侵入…ヒトカップ湾周辺を爆撃』
次々と入ってくる報告は、ここしばらくの平穏さにいくぶんかの弛みを
みせていた総連スタッフを動揺させるに充分だった。
椿も例外ではない…やはりどこか油断があった…予兆はあったはずなのに…
「椿さん、敵機はいったいどこから?」
それは…おそらく…決まっている。
「…これが米軍の『B29』だとすれば、行動半径は三千キロです。
択捉島からその範囲に出撃基地があります」
「………アリューシャン列島!?」
「おそらくアッツ島かキスカ島でしょう。両島から択捉島までなら、ソ連領の
カムチャッカ半島を迂回しても往復できますからね」
次に入ってきたのは魔王艦隊の空母『かつしか』被弾の報告である。
このときヒトカップ湾にいたのは『特設第百二航空戦隊』の一部であった。
空母『あだち』『かつしか』とその護衛艦艇が補給、休養のために停泊していたのである。
『かつしか』への名中弾は二百五十キロ爆弾一発だけだったが、高空から投下されただけに
威力が大きく舷側を大きくえぐられ、浸水もあった。判定中破…修理にかなりかかるだろう。
ほかには軽巡『しもきた』がドック入りをしていて至近弾をうけた。
艦体の被害は軽微だがドックが損傷したため、内地に回航するしかないだろう。
あれだけの大艦隊が出入りする泊地だ。情報の秘匿には努めてはいたが、米軍は
この島に攻撃目標にする価値ありと判断するだけの材料を入手したらしい。
「椿閣下、こう申しては何ですが、大部分の艦艇が出払っていたのは不幸中の
幸いでしたね」
「はい、特機艦が勢揃いしている所をやられたら、目も当てられませんでしたよ」
マリアナ沖海戦が延期?になったので、旗艦『みなと』以下の第百一航空戦隊は
日本海での艦隊訓練に、百二航戦の『なかの』『としま』の二空母は本土で整備を
うけるため泊地を留守にしていたのだ。
夕方、詳しい報告をするための択捉島基地司令部要員と『敵機の写真』が飛行艇に
のせられて飛んできた。
写真は哨戒機から撮ったもので、距離はあるが対象がでかいだけに姿をきっちり
とらえている。
野球のバットに翼をつけたような形…ジュラルミンむき出しで銀色に輝くその姿は
疑いようがない。
「B29です…私の予想より少し…そう、二か月ほど早く実戦に投入してきましたね」
「敵機は北東から侵入してきました。電探は百キロ手前で捕捉したのですが、まさかと
いう気持ちがあったために初動が遅れました。基地航空隊の烈風と月光が敵の高度まで
上がる前に投弾されてしまいました。艦隊にも被害を出し申し訳ありません」
「敵機は無傷で帰っていったわけか」
「はっ、九千メートルを六百キロ近い高速で飛行するもので追いつけなかったと…」
機数の割に投弾量が多く、港湾施設や飛行場、重油タンクなどにかなりの被害が出た。
民間の施設ではトラック島から移転してきた娯楽施設…魔王艦隊の乗組員の慰安の
ための…が数軒吹っ飛ばされた。退避が早かったこともあって人的被害が少なかったのは
幸いであるが。
「椿閣下から事前に聞いてなかったらもっと驚いたでしょうが、じっさいに
出てこられるとあらためて脅威を感じさせられますね」
「問題はこれからの対策です…爆弾の搭載量を減らせば樺太や北海道まで
攻撃範囲に入るでしょう」
「月光と屠龍の二型でしか迎撃はむずかしそうですね。現在、これらの機体は
首都圏を中心とした本州とマリアナ、トラックにしか配備されていません。
増産を急がせるとともに配備の見直しをしなくては…」
「樺太と択捉については私の方で手配しましょう。北海道の方はそちらに
おまかせします。あとは哨戒を強化して少しでも早く敵襲を知ることですね。
一万メートルでの迎撃態勢をとる時間をつくれれば鍾馗(雷電)や飛燕でも
対抗が可能だと思います」
「わかりました。椿さんの申し入れも含めて、防空司令部とも至急打ち合わせを
します」
「それにしてもアリューシャンからとは…先日来この地域で潜水艦の
喪失が相次いだのは今度の件と連動してたのかもしれませんね。
椿閣下、ここを攻撃するという選択肢はないんでしょうか」
「う〜ん、もとを断つという意味ではありですが…攻撃を察知すれば
米軍はさっさと撤退するでしょうね。今回の空襲はおととしの東京空襲と
おなじく政治的意図が濃厚だと思います。ヨーロッパではとりあえず上陸に
成功しつつある…そして太平洋では日本領土に爆弾の雨を降らせた」
「たしかにアメリカ国民の士気は上がるかもしれませんね」
「大統領の支持率も…です」
「もともと、あそこは冬には作戦行動がとりにくいですし、他の季節でも
霧の発生が多く航空作戦にも不向きとされました。ですからこちらも攻略する
意味がないと判断していたわけですが、米軍はほぼ一過性の作戦のために
利用したということですか」
「金持ちですからねえ…仮にこのあと日本軍に明け渡しても、補給をはじめ
さまざまな負担を押しつけられると踏んでいるでしょう」
「一過性…といっても、こちらは対策をとらねばならない…中部太平洋に向けられていた
我が軍の戦力を分散させるだけでも効果は大きいわけですな」
「そういうことです。だが、やられっぱなしで済ませる日本でないことを
あらためて教えてやらねばなりません」
「では椿さん、いよいよあの作戦を?」
「やりましょう…本来はもう少し先の予定でしたが…準備はすでに充分と
思いますしね」
つづく