第百十章『やっぱり予定は…』
合衆国海軍の混乱のもとは、最高指揮官である大統領閣下であった。
一年あまり前に体調を大きく崩し、危篤状態からなんとか立ち直って以来、
ルーズベルトは悟りをひらいたかのように(仏教徒じゃないのにこのたとえは
どうかとも思うが)戦力を対枢軸戦にそそいできた。
だから、ここにきて彼が言い出した『大西洋、太平洋での同時攻勢』は
海軍のみならず、陸軍の作戦全般にとっても迷惑至極なことであった。
オーバーロード作戦…フランス上陸作戦の準備は着々と進んでいる。
すでに後方支援部隊をふくめ、百万のアメリカ軍がイギリスに移動して
『そのとき』を待っているのだ。
情報の収集が進むにつれ、フランス沿岸のドイツ軍の防備…いわゆる
『ヨーロッパの壁』は予想よりかなり強固であることがわかってきている。
上陸支援には米英海軍の総力を結集する必要があるだろう。
少なくとも、いま以上の太平洋艦隊の増強はむり…できれば太平洋を
空にしても戦力を集中したい。
そんな現状で、対日攻勢は不可能である。
開戦以来、太平洋ではほとんどいいところのない海軍は大きな危機感を
いだいている。最終的に勝利を収めたとしても、戦後に海軍の発言力が
低下するのではないかということだ。
これ以上の負け戦は絶対に許されない…政治力を駆使してその職にとどまっている
キング作戦本部議長ほか、海軍首脳は必死でルーズベルトの説得にあたった。
「合衆国海軍はたしかに強化されました。質量ともに参戦前よりはるかに強力に
なったといえます」
エセックス級空母は八隻が就役、四隻が竣工間近であり、さらに追加発注分の
六隻が着工済みである。
インディペンデンス級軽空母は二隻が日本軍に、一隻がドイツ軍によって
沈められたが、残る六隻が全部就役している…エセックス級の建造が順調なので
追加は見送られた。
戦艦はサウスダコタ級が三隻、アイオワ級が五隻が健在…イタリアのアンツィオ沖で
『フリッツX』をくらったニュージャージーは艦体の歪みがひどく、修理するか
廃艦にするか頭を悩ませている。
改装工事が完了している従来艦『ネバダ』は速力の関係で統一行動はとれないが
対地砲撃などに使用するには貴重な戦力とされている。
ボルチモア級重巡、クリーブランド級軽巡、アトランタ級防空軽巡、ギャリング級
駆逐艦…補助艦艇も新鋭艦が続々と就役していた。
「ですが、それでもなお六月の時点で日本海軍と戦った場合、必勝の自信は
もてません。フランス上陸作戦に戦力を引き抜かれるとあっては、なおさらです」
日本海軍は戦闘用空母を少なくとも十五隻程度は保有していると見られる…
小型空母を含めれば千五百機の運用能力があると見なければならない。
説得用の数字にしては誇張のない控えめな見積もりだが、まあそれほど遠くはない。
攻勢に出る場合は日本軍の基地航空隊をも相手取ることになる。
少なくとも二千機の日本機に対して優勢な戦力をもたなければ勝利は
おぼつかないであろう。
「戦艦にしましても、ナガト級一隻、フソウ級二隻、コンゴウ級三隻のほかに、
わがアイオワ級に匹敵すると見られるヤマト級が最低三隻おります。
数字の上では優勢ですが、乗組員の練度を考慮しますとそれほどの差は
つけられません」
さらに、上陸作戦のための輸送船団という足手まといを護って戦わねばならない…
まあ、これは本末転倒の理論だが。
「…で、どうしたいというのかね?」
ルーズベルトの口調が胸を凍らせるが、ここで引いてはならない…
ギルバート沖の悲劇を繰り返すことはできないのだ。
「エセックス級があと四隻、そして『モンタナ級戦艦』二隻が就役してから
作戦を実施したいと考えます」
「………時期は?」
「訓練期間を計算しますと十二月初旬と…」
「遅過ぎる!」
それでは大統領選挙が終わったあとではないか…
「遅くとも九…いや十月までだ。わたしは海軍の苦衷も理解してはいるつもりだ…
だが、勝利の日が遅くなればなるほど、合衆国国民のみならずドイツや日本に
虐げられている多くの諸国民の犠牲が増えるということを肝に銘じて欲しい」
話はここで唐突に終わる…予定は未定…
1944年、四月一日…大日本帝国の、とある造船所…
椿は総連の『超兵器開発局』のメンバーに、豊田副武、小沢治三郎という
二人の海軍中将をともなって、建造工事の視察に来ていた。
先日の『巨娘』のときと比べると人数も少なく、視察するドックも中で建造されている
艦も小ぶりである。だが、施設周囲の警戒はきびしく、中の『小娘』がそれなりに重要な
ものであることを示している。
…といっても、艦はまだかげも形もない。着工の準備ができたとのことで、技官たちとの
打ち合わせ、というより励ましの意味で訪れたというわけ。
これもおそらく今次の戦争には間に合わない、未来に夢をつなぐための艦である。
『潜高型一号艦』…伊201と名付けられるはずの新型潜水艦…
技官の一人が顔を紅潮させて言う…それなりに張り切っているのだろう。
「全く新しいタイプの艦ですから苦労は覚悟しています。海にもぐるのだから魚や
海棲哺乳類に似せる…言われてみれば合理的ですが、船という概念に囚われていると
なかなかそこまで飛躍できませんからね」
ここで建造されるのは、ほぼ『涙滴型』の艦体をもつ、これまでのものとは一線を画す潜水艦だ。
豊田と小沢は、いつぞやの懇談の折に椿の話した『未来の海軍』の中に出た超高性能の
潜水艦にえらく興味を持ったらしい。
艦の建造を担当する艦政本部にも話を通し、あちこち上申をした結果、正式に椿の助言を
もとめてきた。
椿のへたなイラストと説明は技官たちによって設計図となり、とにもかくにも着工に
こぎつけたのだ。
この時代のバッテリーやモーターの性能、艦体に使用される鋼材の質には限度があるから
平成の海上自衛隊がもつ通常動力潜水艦とは似て非なるものしかできないだろう。
スクリューも二軸になるので艦尾の形がかなり変わるし…
伊201と別の造船所で造られる202は、はっきり言って実験艦である。
目標の限界潜航深度三百メートル、水中速力二十ノットにどれだけせまれるか…
これまでの艦がそれぞれ二百メートル、十ノットであるから、成功すればたしかに
世界一の高性能艦になるはずだ。
「従来艦の新造ペースは大分緩やかになってきてるんですが、例の装置を取り付ける
改装工事が数珠つなぎなもので場所を確保するのが大変でした」
例の…はシュノーケルのことである。潜望鏡深度で換気ができるこの装置は
別に椿が関与したわけではない。以前から研究開発が進められていたものが
ここに来て実用化されたのだ。
できる限り姿を見せず、長時間の潜航を可能にするこの装置が潜水艦の生存性を
高めるだろうと期待されている。
新造艦には初めから装備される。艦齢の古い艦は機器のレイアウトなどから
大工事となってしまうので無理だが、開戦後にできた艦は実用化を見越して
後づけができるように配慮されている。その改装工事が急がれているわけだ。
「ここにきて敵の対潜戦術も強化されてきています。消息不明艦の増加を少しでも
くい止められればよいのですが」
視察終了…午後も大分回っているので、とってある宿に泊まって朝一で東京に向かう
予定になっている。
「魚がうまいそうです。一杯やりますか」
酒豪が復活してるらしく小沢がうれしそうに言う…一杯というのが単なる慣用句に
過ぎないのは椿も同様であるが。
秘書の高倉青年が近づくとメモを渡した。声に出すべきでない内容ということか…
「………!?」
「どうされました、椿さん?」
「予定変更です。すぐに戻らねばなりません」
ソ連軍ペルシャに進攻す…
つづく
ん〜、この先は一体どうなるんでしょうか? これから地図を見て考えます。どこにいくか作者もわからない、恐怖の『いきあたりばったり戦記』…めげずにお付き合い下さい。