第百六章『鯨カツの日』
千葉県習志野、実験戦車部隊…
これまでの日本戦車、最新鋭の一式中戦車と比べても一線を画すシルエットと
大きさをもつ戦車が十二輌、土煙を上げて演習場を走り回っている、
四輛ずつ三つのグループに分かれたそれが見事な連携を見せていることから、
実用上不足のない性能の無線電話を搭載していることがわかる。
外観は史実のソ連戦車T34の85ミリ搭載型にやや似ている。
低い車高、傾斜した装甲、大きめの砲塔…長砲身75ミリ砲がほっそりして見える。
開発前に椿がT34の長所と欠点を押し付けがましくならない程度に
セールストークを駆使して説明したことから、なかば必然として出てきた
形かもしれない。
第二次大戦に登場した戦車の中では最高傑作といわれるT34だが、76ミリ砲を
搭載したタイプには砲塔が狭過ぎるという欠点があった。
体のでかいソ連兵はタイトな砲塔に車長と砲手の二人しか入れない。
装填手がいないので再砲撃まで時間がかかるのだ。
日本人であっても三人が入るためには砲塔を広げる必要があった。
それにしてもなかなかのできだ…米軍のM4シャーマンと比べても機械的な信頼性や
砲塔の旋回速度では一歩譲るかもしれないが、撃ち合いとなれば車高の高い…弾が
あたりやすい…M4より優位であろう。
「よくやりましたねえ。戦時に、この短期間でここまでできるとは…
見たところ非常にバランスがとれている優秀な戦車です。熟成と改良を重ねれば
十年近くは一線で使えそうですよ。ご苦労も多かったと思いますが…」
「国内ではでか過ぎて鉄道輸送ができないというのが一番の悩みですね」
戦車は百キロも走れば整備が必要になる…見かけと裏腹にデリケートな兵器である。
戦闘時以外の長距離の移動を自走で行うなどもってのほかなのだ。
だが、四十トン近い四式戦車は日本の狭軌の鉄道では運べない。
「まあ、その縛りを椿閣下が外して下さったおかげで開発できたようなものです」
製造工場と港湾の間に満州と同じ広軌の鉄道を敷き、専用の輸送艦を利用することで
海路による輸送というシステムを提案してあった。効率がいいとは言えないが
ブリキの棺桶を造るよりはましであろう。
「一式がようやく前線部隊に行き渡ったばかりですが、ラバウルでの戦訓を見ますと
米軍の新型戦車に対して心もとない限りです。できるだけ早くこいつに更新しないと
戦車兵に申し訳ないと考えているんですよ」
開戦前、その一式の説明を椿にしてくれた嶋田大佐が苦笑まじりに言った。
「問題は数ですね嶋田さん…来年の今頃、つまり一年間でどれだけ揃いますか?」
「現在、増加試作分で二十四輛…これを稼働率を七割に保つとして、総数五百…
前線での稼働数が四百というところにもっていきたいと思います」
どんな兵器も生産数が戦力とイコールではない。製品の出来不出来もあるし、使用状況や
整備の体制によって何割かは『使えない』ものが出てくる。
「…一式や砲戦車と組み合わせても、四個戦車旅団といったところですね。
配置に頭を悩ませそうですな」
「はい、対ソに重点を置くなら満州での集中運用になるとは思いますが…
戦局や国際情勢で変わるでしょうね」
「まだまだご苦労が続きそうですが、よろしく頼みますよ」
四式の登場により、九六式中戦車は順次退役…中国やインドネシアへの輸出、あるいは
機関砲を載せた対空戦車などへの改造も検討されている。
百の単位の戦車がこの戦争での決戦兵器になるとは思えないが、軍艦がそうであるように
戦車は陸上兵器における国力と技術の粋である。『自前の世界レベルでの一級戦車』という
椿のなかば興味本位の問いかけに、この世界の日本はそこそこの答えを出してくれた。
このあと、新式の対戦車砲も見た。
後ろ半分がキャタピラーの…いわゆるハーフトラックで牽引されるそれは
長砲身の75ミリ砲をもっている。
あらかたの連合軍戦車には有効であろうと思われるし、すでに二百門近くが生産され
まずは『マリアナ要塞』への配備が進められている。
噴進砲との併用で、史実よりは格段にましな対戦車戦闘ができるだろう。
この日、もっとも椿を悩ませたのは接待の宴会で出てきた季節外れの牛久産
うなぎの蒲焼きだった。現地の司令部の心遣いだろうが、椿はうなぎやどじょう、
あなご、はもなどは大の苦手である。
少しだけは噛まずに飲み込んだあとは、秘書の高倉青年や副官の遠藤中尉に引き受けて
もらった。もうしわけない…
夕刻、習志野をはなれた椿は東京を素通りして神奈川に向かい、日吉の
連合艦隊司令部で泊めてもらった。
1943年四月の『運命の日』をあっさり通り過ぎた司令長官、山本五十六とは
久しぶりに会ったのだが、みたところ元気そうだ。
戦時中の海軍実戦部隊の長が激務であることはたしかだが、これまでのところは
『あまたの若者を無為に死地に追いやる負け戦続き』というわけではないことだし…
接待をしてくれる余裕もあったようで、深夜になったが酒を出してくれた。
山本は飲まないのだが、椿は自分だけ飲んでても平気なひとなのでたっぷりといただく。
マグロの刺身と『鯨カツ』…ああ、なつかしや…がとってもうれしかった。
つづく
あまりいい思い出の無い学校給食ですが、鯨カツはとてもうれしかったです。肉といえばペラペラの薄切り、細切れしか食べたことの無い時代に角切りの固まりの肉…臭み消しのためかカレー風味の味付けで串カツの形で出てきました。少しあとの時代の人に言わせると『立田揚げでしょ』ということになりますが…