第百二章『遠過ぎた街』
1944年一月一日…
インドネシアの首都ジャカルタの上空を十二機の零戦と八機の九八艦爆が飛行した。
国軍発足式典の会場で、スカルノ大統領ら政府首脳とともにその編隊を見上げる
日本駐留軍司令官の今村均大将(昇進)は感無量であった。
進駐してから約一年半、政治組織の構築は日本から送り込まれた文民の官僚に引き継いで
もらったが、国軍の創設は今村が責任者となりこの日を迎えたのだ。
陸軍は四個連隊、一万五千が日本製の武器を装備して行進をしている。
旧式小型だが二隻の駆逐艦、八隻の駆潜艇を揃えた海軍も産声を上げていた。
独立政府の発足により日本軍は有償で借りた基地や泊地に引っ込むこととなるが、
じっさいには多くの日本の軍籍を離れた顧問や教官達が、今後も指導にあたることになっている。
インドネシアは戦争には中立を表明、日本に対する石油など軍需物資の輸出は行わないとした。
ただし、これも有償で日本が租借した油田などから産出されるものは当然除外される。
あたりまえだが、ロンドンの亡命オランダ政府は猛烈に反発した。
『反乱勢力および日本がオランダと現地の住民に与えた損害はかならずや取り立てる』
インドネシア政府はこう応えた。
『英米を中心とする連合国は42年一月に大西洋憲章を発表した。そこには民族自決の理念が
うたわれている。インドネシアの民は自らの手で自らの行く末を決めることにしたのだ。
我々はオランダがわが国の近代化に一定の貢献をしたことは認める。したがって、これまで
数百年に及ぶ搾取については問わないことにする』
英米のいう『民族自決』は欧州を占領下におくナチスドイツを揶揄したものだが、インドを
例外にするなどイギリスの二枚舌外交が色濃く出たものであった。ここではそれを逆手に
取ったわけだ。
オランダが再び地球の裏までやってくるまで少なくとも何年かはかかるだろう。
それまでに『反乱勢力』がどれだけ確固とした体制を築けるかは予断を許さないが…
『何年か』がどれだけになるかはヨーロッパの戦局にかかっている。43年秋から44年
初めにかけて地球上での殺しあいはほとんどが地中海に集約されていた。
史実より三か月ほどの遅れで枢軸軍はアフリカ大陸から追い出される…
ロンメルは体調不良でドイツに帰っていた。
イギリス軍の中にはエジプト侵攻とスエズ運河奪回を主張するものもいたが、
ヨーロッパ侵攻、ナチスドイツ打倒を最優先とすべしという米軍の意向で
後回しにされることとなった。
エジプトのドイツ軍も撤退したが、かなりの数の将兵が兵器とともに残り
顧問としてエジプト軍の育成強化に関与していく。
イタリアの長靴のつま先にあるシチリア島の陥落は43年十一月の末である。
米軍のパットン将軍が戦場神経症の兵士をぶん殴ったのがマスコミにさわがれ、
更迭された事件も三か月ずれたが史実通り…
連合軍は枢軸軍に立て直しの時間を与えるつもりはなかった。
本土に進攻すれば、まず間違いなくイタリアは脱落する…国王、バチカン、軍部の
いずれからも暗黙の了解を取り付けてある。
十二月九日…ナポリ南方のサレルノに上陸作戦が行われる。
ドイツ軍の激しい抵抗を排除してナポリ解放に成功した連合軍には
楽観が充満した。そのため支援砲撃に参加した英海軍の新鋭戦艦『アンソン』が
ドイツ軍の空襲で大破されたことも…海軍当局者をのぞいては…軽視された。
そもそも上陸支援の砲撃にキングジョージ五世級がかり出される必要はないのだが、
本来ならその任に当たるべき旧式戦艦は軒並み海の底にいっちゃってる…
ロイヤルネイビーの懐具合もかなりさびしいのだ。
勢いに乗る連合軍は44年一月二日、さらに北方のアンツィオに上陸、一気にローマを
突こうとするが、ここで手ひどい逆襲を食らう。
ドイツ軍はイタリア南部への展開が遅れ、待機していた大兵力をぶつけてきた。
とくに戦闘機が連合軍の新鋭機に対して非力となっていたメッサーシュミット109の
シリーズからフォッケウルフに転換されており、米軍のF4F,F6Fを圧倒して一定期間制空権を
維持することに成功した。
その状況で支援艦艇の上空に現れたドイツ軍爆撃機から投下された大型爆弾は
常識をくつがえす命中率で連合軍をパニックにおちいらせた。
それは落下途中で艦船めがけてコースを変えてくる…無線誘導爆弾『フリッツX』であった。
サレルノで少数が試験的に使用されたフリッツXの本格デビューは衝撃的であった。
もちろん自律誘導ではなく、母機が敵艦上空を飛行しながら目視誘導する必要があるから
制空権がない場合は戦果は期待しにくい…というか自殺行為かもしれない。
だが、アンツィオでは一時的航空優勢のもと予想以上の大戦果を上げることとなった。
ぴかぴかの新造艦…米海軍のアイオワ級戦艦『ニュージャージー』は中央から後部にかけて
三発を被弾、細長い艦体が大きく歪むほどの損害を受けた。からくも沈没は免れたが、
どれほど急いでも修理に半年以上はかかるだろうという惨状を呈している。
インディペンデンス級軽空母のベロー・ウッドと護送空母二隻が撃沈され、
巡洋艦以下の戦闘艦艇および輸送艦艇にも多大の被害が出た。
当然のことながら艦の乗組員や航空機パイロットの損失も相当な数になる。
そして上陸部隊はドイツ陸軍に包囲され、機甲部隊の突進を受けて壊滅…作戦中止を受けて
撤収に成功したのは半数にも満たなかった。一万名以上の米軍兵士が死ぬか捕虜となって
失われた…ローマはまだ遠過ぎた…のである。
国王とバチスタ以下の『政府首脳』は連合軍占領地帯へ脱出、ここにイタリアは枢軸から
脱落することになるが、半島北部を埋め尽くすドイツ軍によって戦線は膠着する。
すでに無力な存在となっていた統領ムッソリーニはドイツ軍『占領地帯』に脱出、保護され
復権の機会をうかがうことになった。
さて、ドイツ本土ではドイツの継戦能力を奪うべく米英の重爆撃機による戦略爆撃が激化
していたが、一月四日に大きな転機がおとずれる…
そう、『あれ』が登場したのだ…史実より半年以上も早く、そして大量に…だ。
つづく
お久しぶりです。相変わらず仕事が押していて更新もままなりませんが、寝る前のわずかな時間に数行ずつでも書こうかと思っています。スケジュールが楽になるのは二月末ぐらいでしょうか…また遊びにきてやって下さい。