壱ノ伍
久しぶりの投稿ですみません。
次の日、いつものように勢いよく襖を開け放った伊青は興奮気味に真昼にまくし立てた。
「おっまえ! 御大に何したんだ!!」
今日も今日とて、ゆっくりと朝餉と格闘していた真昼はあまりに突然のことに、げほごほとむせる。
「あ、悪い。おまえまだ食ってたのか」
申し訳なさそうな顔をして、真昼の背中をさすりながらも伊青の勢いが止まるわけではない。
「紅緒に話を通せって、俺に通達がきたぞ! おまえ、御大に会ったのか?」
「けほっ……はい、きのうのよる」
「昨日の夜!! なんだよ、御大おまえのこと忘れてたわけじゃなかったのか!」
背中をさすっていた手が今度はばしばしと力強く叩くものだから、真昼はまた咳き込む羽目になる。
「あ、悪い」
今度こそ本当に眉を下げて、伊青は真昼の背から手を離した。そして、何気なく部屋の隅へと目をやって、ぶはっと大きく噴き出した。
「ちょっ……! おまっ、あれっ……!」
なぜか大爆笑で床を転げまわる伊青に真昼は首を傾げる。なにがそんなにおかしいのだろう。
「どうして<擬き>《もどき》たちに顔が……? しかもっ、へのへのもへじっ……!!」
ぶわははははっと咳き込むように笑う伊青に真昼はおろおろと視線をさまよわせる。
もどき、というのはたぶんご飯を運んで来てくれる彼女たちのことだ。へのへのもへじ、がなんなのかはわからないけれど、たぶん昨日突然描かれたあの顔のことだろう。……そんなにおかしいだろうか。たしかに全く視線が合う気はしないけれど、可愛らしい顔をしていると思うのに。
「きのう、きれいなひとが、かえったあとに……」
「御大が帰った後……? ああ、そういうことか!」
一瞬不思議そうな首を傾けた伊青は一人納得し、またゲラゲラと笑い始めた。
「真昼、おまえ御大に<擬き>が怖いって言ったのか?」
「え、え、……えっと、はしが、おけないから……」
彼女たちのことが怖いわけではない。あの綺麗な人が来たとき、たしかに箸を置くに置けなくてちらちらと視線をやってはいたけれど、別に怖かったわけではないのだ。それがなにかいけないことだったのか。
びくびくと箸を握りしめたまま伊青を見上げれば、目に涙を浮かべながら伊青はぽんっと真昼の頭をたたいた。
「あー。なんとなくわかった。なんだ、おまえ案外大切にされてんだな」
聞きようによっては失礼な伊青の言葉に、けれど真昼はこてりと首を傾けた。『たいせつ』というその意味がわからなかったから。
――――――
――――
あの後ぶくくと腹を抱えて笑い転げる伊青の横でなんとか朝餉を食べ終え。ようやく笑いの渦から逃れた伊青に連れられやって来たのは慌ただしい声の飛び交う場所だった。忙しなく動き回る女たちの中心で、指示を飛ばす赤い髪の背の高い女に伊青は臆することなく近づいていく。
「紅緒」
「ああ? なんだい、今忙しいんだよ。用事なら後にしてくれ」
「そう言うなって。御大からの言伝があるんだ」
「……御大の? なんだい、珍しい。ちょっと、あんたたち! それが片付け終わったら、緋景の指示に従いな。あたしは、伊青と話してくるから」
紅緒、というらしいその女が声を上げると、「はい」という声がそこかしこから上がる。それに満足そうに頷いて紅緒は、で? と頭1つ低い位置にある伊青を見下ろした。伊青の隣で真昼はびくびくと紅緒を見上げる。まるで燃えるような赤い髪に、それより深い深紅の瞳。……赤い色はあまり得意ではないけれど、それでもこの女の人のそれはとても綺麗だと思った。勝気そうな吊り上がった瞳は少し怖かったけれど。
「真昼、あ、こいつ真昼って言うんだけど。御大が、仕事を与えてやれって」
「まひる? なんだい、聞かない名前だね」
じろり、と伊青より更に低い位置にある真昼を見下ろし紅緒がふんと鼻を鳴らす。赤い瞳が値踏みするように真昼を上から下まで眺めた。枝切れのような細い手足、屋敷のモノの中でも小柄な伊青より更に小さいからだ、やせこけた頬、痣の残る肌。どれをとっても働けそうには見えない。
「細っこい子だねぇ。一体何を食べてるんだ。たしかに猫の手も借りたいくらい忙しいけれど、働けない子はお呼びじゃないよ。いくら御大の頼みとはいえね」
「そう言うなって。こいつ、御大が買って来たひとの子でさ」
「ひとの子ぉ!?」
「うわっ、いきなり大きな声出すなよ」
ぐりん、と見下ろされ真昼は小さな体をさらに小さくする。
「まぁた、御大の悪い癖が出たのかい。いつ買われたにしても、屋敷に来ても覚えているたぁ、珍しく気に入られてるじゃないか。あーいや、傍に置かないってことはそうでもないのか」
「いやあ、どうかな。へのへのもへじの<擬き>をつけてるくらいだし」
元のっぺらぼうたちを思い出したのか、ぶふっと噴き出す伊青に紅緒は素っ気ない。
「まあ、なんにせよ、ひとの子なんてそれこそなんにもできないじゃないか。困るよ、あたしに押し付けられても」
「な、なんでもします」
どうやらこのひとが仕事を与えてくれるらしい、と気付いた真昼が慌てて声を上げるが紅緒はひらひらと手を振るばかりで相手にしていない。こんな痩せぎすの、それもひとの娘になにができるとも思っていない。使えない者を雇うほどこちらは暇ではないし、酔狂でもない。
「なんでもったってねぇ。術も使えない働き手がいたって……ああ、そうだ、いいとこがあった」
にやりと意地の悪い笑みを浮かべて紅緒はぱちりと指を鳴らす。仕事がもらえる、と顔を輝かせた真昼とは対称的に、嫌な予感がするぞと伊青は顔を引きつらせる。
「真昼と言ったか。なんでもすると言ったね?」
「は、はい」
「ついておいで。あんたにぴったりの仕事を紹介しよう」
紅緒にしては珍しい満面の笑みに、これは頼む人を間違えたかもしれないと伊青が1人顔を青くさせた。
あかいろは、きらい。とても、こわいいろだから。