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第9話 違和感


 冷たく湿った風が、岩肌を這うようにして地下迷宮の奥底から吹き上げてくる。

 壁面に群生する発光苔が放つ青白い光だけが、私たち第三班の歩むべき道筋を頼りなく照らし出していた。


 探索者としての初任務から数日が経過していた。

 私は相変わらず、ベテラン探索者である相馬のパーティーに補助枠として同行し、浅層の定期駆除と素材回収の任務に就いている。主な標的は、この階層に無数に生息する小牙蜥蜴(ミニリザード)だ。


「前方、十字路。右の通路から微かな熱源反応あり。おそらく小型種の群れだ」


 先頭を歩く相馬が、携帯型の熱源探知機を確認しながら短く告げた。彼の声には一切の気負いがなく、ただ日常の業務をこなすような淡々とした響きがある。


「数は四、いや五だ。陣形を組むぞ」


 相馬の指示を受け、大盾を装備した壮年男性がゆっくりと前方へ進み出て、堅牢な構えをとった。彼の持つ盾は、幾重にも重ねられた小牙蜥蜴(ミニリザード)の皮で覆われており、怪物の放つ魔粒子膜と反発し合うことで物理的な衝撃を強引に殺す役割を果たす。

 その後方、斜め右の死角にクロスボウを構えた細身の青年が滑り込む。彼らは名前も名乗らず、無駄口も叩かない。ただ互いの技量と役割を完全に信頼し合い、機械の部品のように正確に噛み合って動いている。


「藤崎は後方待機。背後からの奇襲に備えろ」

「了解しました」


 私は短く答え、壁を背にするようにして立ち止まった。

 腰に提げた初心者用の短槍の柄を握り、呼吸を整える。足の裏から伝わる石畳の冷たさや、空気の僅かな震えに意識を研ぎ澄ます。


 直後、右の通路の暗がりから、低い唸り声とともに五匹の小牙蜥蜴(ミニリザード)が這い出してきた。

 緑色の硬質な鱗に覆われた体長二十センチほどの体躯。その表面には、物理攻撃を弾く無色透明の魔粒子膜が薄く展開されているのが見て取れた。

 彼らは侵入者である私たちを認識するなり、殺意を剥き出しにして一斉に跳躍した。


「受けるぞ」


 大盾の男が重心を落とし、先頭の二匹が放った飛びかかりを正面から受け止めた。

 鈍い衝突音が地下道に響き渡る。盾の表面に施されたダンジョン素材が怪物の膜を中和し、その牙と爪の威力を殺し尽くす。

 弾き落とされた怪物が体勢を立て直すよりも早く、後方の青年が放ったクロスボウの矢が、一匹の眼球を正確に射抜いた。


「次」


 相馬の持つ玄崎機工製の長槍が、暗闇の中で鋭い軌跡を描いた。

 装飾の一切ない、刺突に特化した無骨な穂先。相馬の練り上げた魔粒子が刃に集束し、空気を歪ませる。放たれた一撃は、もう一匹の怪物の硬い鱗ごと頸椎を容易く粉砕し、絶命させた。


 彼らの動きは完璧だった。

 しかし、残る三匹のうちの一匹が、大盾の脇をすり抜け、後方で待機していた私の方へと矛先を変えて突進してきた。


「藤崎、抜けたぞ! 無理するな!」


 相馬の鋭い声が飛ぶ。

 だが、私の心に焦りは微塵もなかった。


 視界の端で怪物の動きを捉えながら、私はゆっくりと息を吐き出す。

 怪物の筋肉の収縮、重心の移動、そして床を蹴るタイミング。すべてが手に取るように分かる。数日前の初出勤の時よりも、さらに鮮明に、スローモーションのように感じられた。


 私は慌てて逃げ回るようなことはせず、半歩だけ右足を引いて身体を半身に開いた。

 怪物が鋭い牙を剥き出しにして宙を舞う。

 その飛びかかってくる軌道に対し、私は手にした短槍を極めてコンパクトな動作で突き出した。


 狙うのは、怪物の喉元でも眼球でもない。

 右前脚の付け根、関節が複雑に絡み合い、魔粒子の膜が最も薄くなる部位だ。

 穂先が鱗の隙間を滑り、肉に食い込む確かな感触が右手に伝わる。私はそのまま深く突き刺すことはせず、腱を断ち切るだけの浅い刺突で即座に槍を引き戻した。


 着地した小牙蜥蜴(ミニリザード)は、右前脚に力が入らず、無様に床を転がって体勢を崩した。

 機動力を奪ってしまえば、もはや恐れるに足りない。私は素早く怪物の背後に回り込み、今度は後頭部と頸椎の隙間へと冷静に刃を突き立てた。

 脳の接続を断たれた怪物は、短い痙攣ののち、完全に動かなくなった。


 その瞬間、槍の柄を伝って、怪物の命が散ることで発生した魔粒子が私の体内へと流れ込んでくる。

 異常な吸収効率を持つ私の身体は、大半の探索者が逃してしまうエネルギーを貪欲に取り込み、自身の血肉として定着させていく。

 全身の細胞が活性化し、微かな熱を帯びる感覚。


(……軽い)


 私は槍の血糊を払いながら、自身の身体の変化に驚愕していた。

 数日前に同じ怪物を倒した時と比べても、明らかに槍を握る腕の感覚が軽い。踏み込む足の筋力、相手の動きを見切る視覚の反応速度、そして魔粒子を穂先へ通す際の流動性。そのすべてが、一段階上の次元へと引き上げられている。


「……おいおい、今のは見事だな。声を出せと言ったが、自分で処理できるならそれに越したことはない」


 前衛での戦闘を終えた相馬が、私の足元に転がる死骸を見て感心したように息をついた。


「膜の薄い関節を的確に狙い、機動力を削いでから仕留める。相変わらず地味だが、無駄がなく確実な手口だ。現場のセオリーを完全に理解しているな」

「ありがとうございます。お怪我はありませんか」

「ああ、問題ない。それより、仕事の時間だぞ」


 相馬の言葉を受け、私は即座に腰のポーチからダンジョン素材でコーティングされた解体ナイフを取り出した。

 ここからが補助枠としての私の本分だ。


 まだ温かい小牙蜥蜴(ミニリザード)の死骸の顎下に関節の隙間を見つけ、刃を滑り込ませる。一次処理施設で三年間にわたり何万回と繰り返してきた作業。手元は狂わない。

 私は怪物の腹部を切り裂きながら、内部に隠された微小な毒腺や、素材の価値を下げる鋭利な骨の破片を瞬時に見極め、それらを避けるようにして上質な皮だけを綺麗に剥ぎ取っていく。


「……相変わらず、異常なほど早いな」


 大盾の男が、私の作業を横目で見ながらボソリと呟いた。

 血抜きを終え、素材を部位ごとに指定の保存袋へと放り込んでいく。五匹分の解体と回収作業は、ものの数分で完了した。私が手早く作業を終えるおかげで、相馬たちは長く立ち止まることなく、すぐに次の行動へと移ることができる。血の匂いを長引かせないことは、ダンジョン内での生存率を上げる絶対条件だ。


「終わりました。移動できます」

「よし。思ったより湧きが早い。このまま第三区画まで足を伸ばすぞ」


 相馬の指示で、私たちは再び前進を開始した。


 そこからの探索は、過酷さを極めた。

 遭遇する怪物の群れを的確に処理し、私が素早く解体と回収を行う。その反復作業が延々と続く。

 地下迷宮の冷気と、魔粒子を常に練り上げ続ける疲労が、徐々に探索者たちの体力を奪っていく。


 開始から六時間が経過した頃には、ベテランである大盾の男やクロスボウの青年の顔にも、明らかな疲労の濃い影が落ち始めていた。彼らの動きは依然として正確だが、呼吸は荒くなり、足取りも少し重くなっている。

 相馬でさえ、休憩のたびに無言で携帯用の水を喉に流し込んでいる状態だった。


 だが、私は違った。

 回収した大量の素材が詰まった重量のあるバックパックを背負っているにも関わらず、私の息は全く上がっていなかった。

 額に薄っすらと汗をかいている程度で、筋肉の疲労感もほとんどない。集中力も、探索開始直後の研ぎ澄まされた状態を完全に維持している。


(……どう考えても、おかしい)


 歩きながら、私は自分の身体の内側へと意識を向けた。

 怪物を討伐するたび、あるいは解体作業で魔粒子の残滓に触れるたび、私の体内の魔粒子量は確実な増加を続けている。

 一般の探索者が数ヶ月、あるいは半年かけて到達するような蓄積量を、私はこの数日の任務だけでとうに超えているのではないか。

 外から見れば、私はただの要領が良く、体力のある新人補助枠に過ぎない。だが、自分の内側で起きているこの異常な成長速度は、明らかに常軌を逸していた。


「よし、今日の定期駆除はここまでだ。引き返すぞ」


 相馬の声が響き、私たちは来た道を引き返し始めた。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 大都市の地下に設けられたダンジョンエントランスへと帰還し、シャッターをくぐり抜けた瞬間、人工的な照明の眩しさと、人々の喧騒が五感を刺激した。

 私たちは管理機構のカウンターで素材の納品と報酬の受け取りを済ませ、待機所へと移動した。


 重い防具のベルトを緩め、ようやく一息ついたところで、相馬が自動販売機で買った缶コーヒーを私に向かって放り投げてきた。


「お疲れさん」

「ありがとうございます」


 私は冷たい缶を受け取り、カシュッと小気味よい音を立ててプルタブを開けた。苦味の強い液体が、乾いた喉を潤していく。


「藤崎。お前、本当に新人か?」


 相馬が、自分の缶コーヒーを片手に、探るような視線を向けてきた。


「現場での判断の速さ、解体の手際、そして何よりあの異常なスタミナ。お前、六時間以上重い荷物を背負って歩き回って、一度も息を切らしていなかったな」

「……処理施設での下請け仕事で、長時間動くことには慣れていますから」


 私は努めて平静を装い、無難な回答を返した。


「それにしてもだ」


 相馬は私の顔をじっと見つめ、小さく鼻を鳴らした。


「昨日より、明らかに動きが良くなってる。魔粒子の練り上げも、初日は少しぎこちなかったが、今日は無意識の領域で自然に制御できていた。……お前、相当伸びがいいな」


 ベテランの眼力は誤魔化せない。

 相馬は私の異常な吸収効率の正体までは見抜いていないが、結果として表れている成長速度の異常性には気づいている。


「お褒めいただき光栄です。相馬さんたちの動きを間近で見させてもらっているおかげですよ」

「謙遜するな。お前の持つ観察眼と生存本能は、教えられて身につくものじゃない。……早いうちに独り立ちできるかもしれないな」


 相馬はそれ以上深くは追及せず、残りのコーヒーを飲み干して空き缶をゴミ箱へと投げ入れた。


「明日は休みだ。しっかり身体を休めておけよ。いくらスタミナがあっても、見えない疲労は確実に蓄積してるんだからな」

「はい。お疲れ様でした」


 私は深く頭を下げ、相馬たちパーティーのメンバーを見送った。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 自宅のアパートに帰り着いたのは、夕暮れ時だった。


「ただいまー」

「お姉ちゃん、おかえりなさい! お風呂沸いてるよ!」

「おかえり。ご飯もすぐできるからね」


 陽菜と柚乃が、いつも通り温かく迎えてくれる。

 私は二人の頭を撫で、「ありがとう」と微笑んでから、重い防具を脱ぎ捨てて風呂場へと向かった。


 熱めのシャワーを浴び、怪物の血と地下迷宮の冷たい空気を洗い流す。

 水滴が肌を滑り落ちるのを感じながら、私は目を閉じ、自分の内側へと意識を深く沈め込んだ。


 静寂の中、自身の脈拍の音だけが耳に響く。

 そして、血管の奥底を流れるような、強烈な熱の密度。


 魔粒子量の明確な数値を測るには、管理機構の専用の検査機器が必要だ。一般の探索者が日常的に自分の数値を正確に知る術はない。

 だが、自身の身体を器として魔粒子を練り上げる感覚を通して、私はその総量の増加を肌で感じ取ることができた。


(……増えている。それも、とてつもない速度で)


 初日の任務を終えた時の熱量とは比べ物にならない。

 私の体内を循環する魔粒子は、まるで川が氾濫するようにその水量を増し、身体の隅々の細胞をより強靭なものへと書き換え続けている。

 一般の探索者が長年かけて蓄積するエネルギーを、私はスポンジが水を吸うように、わずか数日の浅層探索だけで取り込んでしまっているのだ。


 シャワーを止め、タオルで髪を拭きながら鏡の前に立つ。

 そこに映る切れ長の目をした女の顔は、昨日と何も変わっていない。


 だが、その内側に秘められた力は、もはや最底辺のTier1探索者の枠を大きくはみ出そうとしていた。




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