第8話 ベテラン
薄暗い岩肌の通路に、乾いた打撃音と硬質な金属音が交錯する。
「右から回る個体がいる。抑えろ」
第三班のリーダーである相馬の短く鋭い指示が飛ぶと同時に、大盾を構えた壮年男性が重い足取りで前へと踏み出した。彼が装備している天城装具社製の分厚い盾は、表面に小牙蜥蜴の皮を幾重にも張り巡らせた防具だ。
暗がりから飛びかかってきた緑色の鱗を持つ怪物が、その盾に激突する。
盾の表面に施されたダンジョン素材が怪物の放つ無色透明の魔粒子膜と反発し合い、威力を大きく減衰させる。衝撃を吸収した大盾の男は一歩も退かず、逆に盾の縁で怪物の顎を弾き上げた。
無防備に腹を晒した怪物の死角から、クロスボウを構えた細身の青年が正確な一撃を見舞う。
放たれた短い矢が怪物の後脚の関節を撃ち抜き、機動力を完全に奪い去った。
「もらった」
最後に動いたのは相馬だった。
玄崎機工製の長く武骨な槍が、無駄のない軌道で虚空を滑る。実務派の探索者が好むその槍は、装飾を一切削ぎ落とし、貫通力と耐久性のみに特化した造りになっている。
相馬の練り上げた魔粒子が穂先に集束し、空気が僅かに揺らいだ。
放たれた刺突は、機動力を失って床に転がった小牙蜥蜴の首の付け根を正確に捉え、硬い鱗と膜ごと頸椎を破壊した。
怪物は短い痙攣ののち、完全に沈黙した。
三匹の群れとの遭遇から討伐まで、わずか一分にも満たない出来事だった。
「周囲の反応なし。クリアだ」
相馬が短く告げ、槍を背中に収める。
私は後方で短い槍を構えたまま周囲を警戒していたが、その言葉を聞いて静かに構えを解いた。
これがベテランの戦い方だ。誰一人として無理な動きをしていない。自身の役割を完全に理解し、最小限のリスクで敵を処理していく。若手のエリートたちが見せるような派手な個人技はないが、何時間でもこれを続けられるだけの圧倒的な安定感があった。
「藤崎。仕事の時間だ。鮮度が落ちる前に頼む」
「了解しました」
私は腰のポーチからダンジョン素材でコーティングされた解体ナイフを取り出し、素早く怪物の死骸へと近づいた。
まだ温かい小牙蜥蜴の顎の下に左手を添え、関節の隙間を探り当てる。刃先を滑り込ませ、迷いなく腹部を切り裂く。
一次処理施設で三年間にわたり何万回と繰り返してきた作業だ。薄暗い現場であっても、私の手元が狂うことはない。膜の残滓が濃い部分を感覚で避け、最も刃の通りやすいラインを見極めて皮を剥いでいく。
「……相変わらず、異常なほど手際がいいな」
血抜きを済ませ、牙と質の良い皮だけを専用の保存袋に仕分けしていると、頭上から相馬の感心したような声が降ってきた。
「現場での解体は時間との勝負ですから。血の匂いを長引かせれば、他の怪物を引き寄せる原因になりますし」
「分かってるじゃないか。新人の中には、倒したことに満足して解体をもたつく奴が多いんだ。だが、お前にはその心配は全くいらないようだな」
相馬は携行食料のカロリーバーをかじりながら、私の作業をじっと観察していた。彼の態度はドライで実務的だが、決して冷酷なわけではない。必要な仕事には正当な評価を下し、余計な口出しはしないという、現場主義者のそれだ。
三分後、三匹分の素材回収を終えた私は、重量の増したバックパックを背負い直した。
「終わりました。移動できます」
「よし。第二区画の奥へ進むぞ。陣形はそのまま、藤崎は殿だ」
私たちは再び薄暗い通路を歩き始めた。
地下深くのダンジョンは、常に微かな湿気と、鉱物と土の混ざったような冷たい空気に満ちている。壁面に点在する発光苔の青白い光だけが頼りの道中は、平衡感覚を狂わせるような独特の圧迫感があった。
私はバックパックの重みを感じながら、前を歩く相馬の背中を追う。
「なあ藤崎」
歩きながら、相馬がふと後ろを振り返らずに声をかけてきた。
「お前は、一次処理施設で何を見て探索者になろうと思ったんだ? 金か?」
「……ええ、生活がありますから。妹たちを養うために、少しでも割の良い仕事が必要でした」
嘘ではない。だが、あの異常な吸収効率のことは胸の奥にしまい込んだまま、私は無難な理由を口にした。
「そうか。金は大事だ。命を懸けるだけの理由にはなる。だがな、勘違いするなよ」
相馬の足取りは一定のペースを保ったまま、声だけが冷たい地下道に響く。
「探索者になったばかりの若い連中は、よく強さを勘違いする。魔粒子の練り上げを覚え、怪物の膜を貫けるようになると、自分が特別な存在になったと錯覚するんだ。目の前の敵をどれだけ派手に倒せるか。どれだけ短時間で火力を出せるか。そればかりを気にするようになる」
「訓練課程でも、そういった同期は多くいました」
「だろうな。だが、現場で一番大事なのは、怪物を倒すことじゃない。生きて帰ることだ」
相馬の言葉には、長い探索者生活で培われた重く確かな実感がこもっていた。
「いくら大物を倒そうが、レアな素材を剥ぎ取ろうが、それを地上に持ち帰らなければ一円にもならない。途中で怪我をして動けなくなれば、あっという間に他の怪物の餌食だ。倒すことより、生きて帰ること。それが探索者の絶対的なルールだ」
私は黙って頷いた。その哲学は、私が訓練課程で見出した生存優先の立ち回りと完全に一致していた。
「この浅層は、探索者にとって一番最初の狩り場だ。Tier1やTier2の、比較的弱いとされる怪物が中心だ。だが、だからといって安全な場所だとは決して思うなよ」
相馬は立ち止まり、分かれ道の手前で周囲を警戒しながら続けた。
「データを見れば分かるが、探索者の死亡事故が一番多いのは、中層でも深層でもなく、この浅層なんだ」
「……弱い場所だからこそ、油断する人が多いからですか」
「その通りだ。弱い怪物相手だからと索敵を怠り、足元の滑りやすい苔に気づかず転倒する。死角から飛び出してきたはぐれ個体に喉を噛みちぎられる。武器のメンテナンスを怠って、いざという時に膜を貫けない。そうした小さな事故の積み重ねが、致命傷に直結する。浅層は弱い場所じゃない。事故が最も多い場所だということを、骨の髄まで叩き込んでおけ」
厳しいが、理不尽ではない教えだった。
相馬は、補助枠で入った私を単なる荷物持ちとして扱っているわけではない。これから同じ現場で命を懸ける同業者として、最低限の心構えを叩き込もうとしてくれているのだ。
ドライな態度の裏にある、ベテランなりの面倒見の良さ。私はその気遣いをありがたく受け取った。
「肝に銘じておきます」
「……ああ、その落ち着きがあれば、長生きできるだろうよ」
相馬は短く鼻を鳴らし、再び前進を再開した。
大盾の男とクロスボウの青年も、無言のまま相馬に続く。彼らもまた、相馬の言葉を何百回と聞き、それを実践してきたからこそ、今こうして生き残っているのだ。
私は彼らの足運びに合わせ、一定の距離を保ちながら歩を進めた。
周囲の環境に意識を張り巡らせる。
壁面から垂れる水滴の音。遠くで響く岩の崩れる音。空気の微かな流れの変化。
処理施設での下請け時代、常に素材の鮮度と周囲の危険に気を配っていた経験が、今の私を支えている。ただの雑用作業員だった頃には気づかなかった、現場の立体的な情報が、肌を通して伝わってくるのを感じた。
(倒すことより、生きて帰ること)
頭の中で、相馬の言葉をもう一度反芻し、気を引き締めなおした。




