第6話 探索者ライセンス
約一ヶ月間にわたる探索者訓練課程は、今日をもって全てのカリキュラムを終えようとしていた。
屋内訓練場には、初日と同じように第六班の受講生たちが整列している。しかし、その顔つきは一ヶ月前とは見違えるほど引き締まっていた。真新しいだけだった訓練ウェアには汗と泥が染み込み、何度洗っても落ちない汚れが彼らの努力を物語っている。
最終試験は、座学のペーパーテストと、模擬エリアでの複合実技だった。
実技の内容は、ランダムに出現する複数の動的標的を処理しながら、指定されたポイントの素材を回収し、制限時間内に安全地帯まで帰還するというものだ。実戦における討伐、回収、そして生還という一連のプロセスを総合的に評価される。
私の順番は、最後から三番目だった。
開始のブザーが鳴ると同時に、私は訓練用短槍を構えて模擬エリアへ足を踏み入れた。
薄暗い迷路状のセットの中を、慎重に、しかし淀みない足取りで進む。
曲がり角の先から、二体のダミー標的が飛び出してきた。小型一号種小牙蜥蜴を模した機械仕掛けの標的だ。表面には微弱な魔粒子の膜が張られている。
私は歩みを止めることなく、極めてコンパクトな動作で右手の槍を突き出した。
狙うのは一体目の前脚の関節部。膜が薄く、動きを止めるのに最適な部位だ。穂先が硬質な表面を捉え、確実に内部の機構を破壊する。
倒れ込む一体目を盾にするように位置取りを変え、即座に二体目の首筋へと槍を滑り込ませた。
息は乱れない。魔粒子の消費も最低限だ。
華麗なステップも、空を裂くような強力な一撃もない。ただ、作業のように淡々と、確実に障害を排除していく。
指定されたポイントに到達し、ダミーの素材オブジェクトを回収用ポーチに放り込む。
帰還ルートでも三体の標的と遭遇したが、私は無理に全てを討伐しようとはしなかった。壁を蹴って軌道を逸らし、牽制の突きで相手の体勢を崩した隙に死角へと潜り込み、戦闘を回避して駆け抜ける。
討伐数よりも、無傷で帰還することを最優先にした立ち回りだ。
セーフエリアのラインを越え、私は静かに息を吐いた。
タイムは規定時間を十分に下回っている。被弾判定はゼロ。回収物の欠損もなし。
百点満点ではないかもしれないが、確実に八十点を取り続ける、私なりの最適解だった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
午後の教官室。
訓練センターの一角にあるその部屋には、淹れ古したコーヒーの苦い匂いと、膨大な書類のインクの匂いが混ざり合って漂っていた。
「入れ」
ノックをして扉を開けると、デスクに向かっていた佐木教官が顔を上げた。
修了評価を伝えるための個別面談だ。私は指定されたパイプ椅子に腰を下ろし、背筋を伸ばした。
佐木教官は手元のタブレット端末を操作し、私の評価シートを画面に表示させた。
「藤崎。一ヶ月間の訓練、ご苦労だった」
「ありがとうございます」
「単刀直入に言う。お前の成績は、極端だ」
教官は渋い顔で画面をスクロールさせながら、低い声で言葉を紡いだ。
「座学、基礎体力、そして素材の解体技術。これらに関しては同期の中で群を抜いている。特に持久力と危機察知能力は、今すぐ現場に出してもベテランに引けを取らないレベルだ」
それは、私が下請けの現場で三年間這いずり回って身につけたものだった。評価されたことには素直な喜びを感じる。
「だが、課題は明確だ。魔粒子出力、つまり瞬間火力が圧倒的に足りていない」
教官の鋭い視線が私を射抜いた。
「お前の中には、第三世代にも劣らない質と量の魔粒子が定着している。検査の数値がそれを証明している。だが、それを武器の先端に集束させ、爆発的な破壊力に変換する回路が致命的に細い。実技試験でも、お前の刺突は常に浅かった。動きを止め、急所を的確に狙う技術でカバーしているが、それだけではいつか限界が来る」
私は黙って頷いた。
自覚はしている。同期の神谷が見せたような、分厚い膜ごと怪物を粉砕するような一撃は、今の私には打てない。私の魔粒子は、身体の底力を底上げし、疲れを知らない持久力をもたらしてはくれるが、鋭い刃となって外へ放たれることには酷く不器用だった。
「中層以上に生息する怪物の中には、急所すら分厚い膜で覆われている厄介な種もいる。今の火力のままでは、お前の槍は弾かれ、致命傷を負うことになるだろう」
教官の言葉は厳しいが、そこには現場を生き抜いてきた者としての確かな気遣いがあった。
「はい。自覚しています。ですが、私は派手な一撃で英雄になりたいわけではありません」
私は教官の目を真っ直ぐに見返して、静かに口を開いた。
「倒せなくてもいい。急所が突けないなら、相手が失血して倒れるまで、浅い傷を百回刻み続けます。どれだけ時間がかかっても、絶対に自分のペースを崩さず、最後まで立っている。それが私の戦い方だと思っています」
私の言葉に、佐木教官は少しだけ目を細めた。
そして、小さく息を吐いて、タブレットをデスクに置いた。
「……可愛げのない奴だ。二十代そこそこで、もう自分の型を見切っているとはな」
教官の顔には、微かな笑みが浮かんでいた。
「お前の言う通りだ、藤崎。探索者に求められる最も重要な資質は、強いことでも速いことでもない。生き残ることだ。お前は決して派手なエースにはなれないだろう。だが、誰よりも長く現場に立ち続ける探索者になれる素質がある」
教官は引き出しから、一枚のプラスチックカードを取り出し、私の前に差し出した。
「おめでとう。本日をもって訓練課程の修了を認める。これが今日からお前の身分証だ」
私は両手でそれを受け取った。
黒を基調とした硬質なICカード。そこには私の顔写真と名前、そして小さくTier1の文字が印字されていた。
公認探索者ライセンス。
下請けの雑用作業員だった私が、ついに手にした現場への正規の入場券。カードの重みは、わずか数グラムしかないはずなのに、両手にずっしりとした確かな質感を伴って伝わってきた。
「ありがとうございます。絶対に、死にません」
「ああ。死ぬなよ。書類仕事が増えて面倒だからな」
教官の不器用な激励を背に受け、私は教官室を後にした。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
ロビーに戻ると、すでに面談を終えた同期たちが集まっていた。
皆の手には、私と同じ黒いライセンスカードが握られている。一ヶ月の厳しい訓練を共に乗り越えた連帯感と、明日からプロとして現場に出るという高揚感が、空間を満たしていた。
「藤崎さん」
声をかけてきたのは、神谷だった。
彼は同期の中でもトップクラスの成績で修了した、間違いなくこれからの世代を担うエリートだ。
「お疲れ様。神谷くんも、おめでとう」
「ああ、ありがとう。……藤崎さんも、明日から浅層の現場に出るんだろ?」
「ええ、そのつもり。まずは地道にね」
私が微笑んで返すと、神谷は少しだけ真面目な顔になって頭を掻いた。
「あのさ。俺、初日はあんたのこと、ちょっと見下してたんだ。年上で、出力も大したことないしって」
「まあ、事実だから気にしてないわよ」
「でも、違った。実技訓練で、あんたの動きを見て分かったよ。俺たちは魔粒子に頼りきりだけど、あんたは違う。自分の身体と、相手の動きを完璧に把握してる。……正直、参考になった」
真っ直ぐな言葉だった。
第三世代の彼らは才能に恵まれているが、決して傲慢なだけではない。自分に足りないものを素直に認め、吸収しようとする貪欲さを持っている。
「ありがとう。でも、私から見れば神谷くんのあの一撃は羨ましい限りよ。お互い、死なないように頑張りましょう」
「ああ。いつか、中層で会おうぜ」
神谷は短く笑い、仲間たちの元へと戻っていった。
他の同期たちとも短い挨拶を交わし、私は訓練センターの門を出た。
夕暮れ時の空は茜色に染まり、冷たい風が頬を撫でる。
帰路につく足取りは、ここ数年で一番軽いように感じられた。
私は、探索者になった。
怪物の血抜きをし、重いコンテナを運ぶだけの日々は終わった。自らの手で武器を握り、自らの足でダンジョンを歩き、自らの力で報酬を掴み取る権利を得たのだ。
もちろん、それに伴う危険が跳ね上がることは理解している。怪物の膜を自ら貫かなければならない重圧。命を落とせば、妹たちは路頭に迷う。
だが、そのリスクを背負ってでも、私はこの力を金に換える必要があった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
アパートの最寄り駅で降り、いつも利用しているスーパーに立ち寄る。
財布の中身は訓練費の支払いで寂しいことになっているが、今日くらいは少しだけ贅沢をしても罰は当たらないだろう。
私は特売品の豚肉ではなく、少しだけ値の張る牛肉のパックをカゴに入れた。
錆びた鉄階段を上り、自宅のドアを開ける。
「ただいまー」
「お姉ちゃん、おかえりなさい!」
「おかえり。今日はずいぶん早かったね」
エプロン姿の柚乃と、リビングで宿題を広げていた陽菜が出迎えてくれた。
ダイニングキッチンには、すでに味噌汁のいい匂いが漂っている。
「うん。今日で訓練が終わったからね。はい、これお土産。今日の夕飯は牛肉の炒め物にしよう」
私がスーパーの袋を渡すと、陽菜が「わあ、お肉だ!」と歓声を上げた。
柚乃は少し驚いた顔で袋の中身を確認し、それから私の顔を見た。
「お姉ちゃん……それって、つまり」
「うん」
私はジャケットの内ポケットから、もらったばかりの黒いカードを取り出した。
プラスチックの硬い質感が、部屋の照明を反射して鈍く光る。
「今日からお姉ちゃんは、正式な探索者だよ。……もう、運搬や解体の下請けじゃない」
妹たちの目が大きく見開かれた。
両親を探索で亡くしている彼女たちにとって、私が同じ道に進むことへの不安がないわけではないはずだ。訓練に通うと告げた日、柚乃は少しだけ泣きそうな顔をしていた。
だが、彼女たちは私の決意を止めることはしなかった。私が彼女たちのために、どれだけ身を粉にして働いてきたかを知っているからだ。
「……そっか。おめでとう、お姉ちゃん」
柚乃が、安堵と心配が入り交じったような、複雑な笑顔を浮かべた。
「すごいね! お姉ちゃん、かっこいい!」
陽菜は無邪気に喜び、私の腰に抱きついてきた。
「ありがとう。でも、心配しないでね。私はお父さんやお母さんみたいに無茶はしないから。絶対に、安全第一で稼いでくるから」
私は陽菜の頭を撫でながら、柚乃の目を見てしっかりと告げた。
派手な英雄にはならない。一攫千金も狙わない。ただ、怪物を的確に処理し、素材を確実に持ち帰り、毎日必ずこの家に帰ってくる。
そのための技術とスタミナは、この一ヶ月で証明した。
「うん、信じてるよ。……それじゃあ、今日は就職祝いだね。私が最高においしくお肉焼いてあげる」
柚乃が涙ぐみそうになるのを誤魔化すように、明るい声を出してキッチンへと向かった。
フライパンの上で肉が焼ける香ばしい匂いと、油の跳ねる小気味よい音が響く。
食卓には、いつもの質素なご飯に加えて、少しだけ豪華な一品が並んだ。
三人で手を合わせ、食事を始める。
口に運んだ肉の味は、これまでのどんな食事よりも美味しく感じられた。




