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第2話 魔粒子中毒


 消毒液のツンとした匂いが鼻腔をくすぐり、私はゆっくりと重い目蓋を開けた。

 白い天井、規則的な電子音。どうやら病院のベッドの上らしい。身体を起こそうとすると、全身の筋肉が軋むような鈍い疲労感に襲われた。


「おや、気がつきましたか」


 ベッドの脇でカルテを見ていた白衣の医師が、私に気づいて声をかけてきた。


「ここは……私、仕事中に倒れて」

「ええ。一次処理施設の現場から救急搬送されました。診断は急性魔粒子中毒、いわゆる魔粒子酔いです。許容量を超える魔粒子を急激に浴びたことで、身体が拒絶反応を起こした状態ですね」


 医師は淡々とした口調で告げた。あの解体中の事故。私が咄嗟に突き立てたナイフが中型種の眼球を貫き、直後に奔流のような熱が流れ込んできた記憶が鮮明に蘇る。


「ただ、驚きましたよ。検査の結果、あなたの中に取り込まれた魔粒子は完全に安定し、定着しています」

「定着……?」

「ええ。現在のあなたの体内魔粒子量は、第三世代の探索者が生まれつき持っている平均的な初期値とほぼ同等です。非探索者の一般市民としては、かなり高い数値と言っていいでしょう」


 医師は少しだけ感心したような表情を見せたが、すぐに事務的な顔に戻った。


「藤崎さんは非探索者で、定期的な魔粒子検査の過去記録がありませんから比較はできませんが……おそらく、ご両親からの遺伝などで元々これくらいの数値を保有していたのでしょうね。現場仕事で少しずつ魔粒子を浴びていたのが、今回の中型種の一件で閾値を超え、急性の酔いとして表に出たのだと思われます」


 医師の言葉を聞きながら、私は毛布の下で密かに拳を握りしめた。

 違う。私はこれまで、怪物を討伐したことなど一度もない。解体作業で死骸に触れることはあっても、魔粒子を直接吸収するような機会は皆無だった。

 つまり、私の体内に今あるという第三世代と同等の魔粒子は、すべてあの時、たった一体の中型種から一瞬にして奪い取ったものだということになる。


 普通、怪物を倒しても吸収できる魔粒子はごく微量だと聞いている。一体倒しただけでこれほど増えるなど異常だ。

 しかし、私に過去の測定記録がないことと、一般常識のフィルターが、医師の目を曇らせている。一回の討伐でそこまで増えるわけがないから元々持っていたのだろうと、ごく自然に誤認しているのだ。


「……そうですか。ご心配をおかけしました」

「念のため数日は安静にしてください。退院の手続きはそれからです」


 私は余計なことは言わず、静かに頭を下げた。

 自分の身体に起きた異常な吸収効率。この違和感を他人に知られるのは得策ではないという静かな確信が、私の中で芽生え始めていた。


 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 退院してアパートに戻ると、柚乃と陽菜が泣きそうな顔で出迎えてくれた。

 私は貧血で少し倒れただけだからと柔らかく笑って誤魔化し、妹たちの頭を撫でて安心させた。彼女たちに余計な心配はかけられない。


 数日の休養を経て、私はすぐに現場へと復帰した。

 一次処理施設ではなく、ダンジョン浅層の安全確保済みのエリアから、討伐されたモンスターの素材を地上へ運び出す運搬業務だ。

 そこで、私は自分の身体に起きた変化を明確に実感することになった。


「藤崎ちゃん、病み上がりなんだから無理すんなよ。そのコンテナ、中型種の骨が詰まってて重いぞ」


 同僚の男性が心配そうに声をかけてくる。

 私は「大丈夫ですよ」と微笑みながら、両手でコンテナの持ち手を掴み、腰を入れて持ち上げた。


 軽い。


 今までなら息を詰め、全身の筋肉を総動員しなければ持ち上がらなかった重量。それが今、少し中身を抜いたのではないかと錯覚するほど、あっさりと胸の高さまで持ち上がった。

 荷台まで運び、コンテナを下ろす。息は全く上がっていないし、筋肉の疲労感もない。

 体内魔粒子量の増加が身体能力を押し上げるというのは知識として知っていたが、これほど劇的に変わるものなのか。肉体の出力の底上げだけでなく、持久力そのものが根本から別物に作り変えられている。


 私は自分の掌を見つめ、静かに息を吐いた。


 午後、運搬ルートの点検と残骸の回収のため、少し開けた岩肌の通路を単独で歩いていたときだった。

 安全が確保されたルートとはいえ、ダンジョン内である以上、事故はつきものだ。迷宮の壁から湧き出し、討伐部隊の網の目を潜り抜けてきたはぐれ個体と遭遇することは、決して珍しいことではない。


 岩陰から、低い唸り声が聞こえた。

 這い出てきたのは、体長二十センチほどのトカゲ型のモンスター。

 小型一号種小牙蜥蜴(ミニリザード)

 弱い個体とはいえ、一般人が丸腰で遭遇すれば、その鋭い牙と爪で容易に肉を裂かれ、命を落とす。


 私は慌てることなく、腰に提げていた運搬要員用の携帯槍を引き抜いた。

 リーチが短く、最低限のダンジョン素材の刃が先端に取り付けられているだけの護身用の武器だ。


 以前の私なら、足がすくみ、防戦一方で応援を呼ぶのが精一杯だっただろう。

 だが今は、不思議なほど冷静だった。

 小型一号種小牙蜥蜴(ミニリザード)が、短い脚で床を蹴り、飛びかかってくる。


 遅い。

 まるでコマ送りの映像を見ているかのように、その軌道がはっきりと見えた。


 私は半歩だけ軸足をずらし、怪物の突進を躱す。同時に、短槍の柄を握る手にぐっと力を込め、無色透明の膜に覆われた怪物の側腹部へと、コンパクトかつ正確に刃を突き入れた。


 肉を断ち切り、骨を砕く確かな手応え。

 怪物は喉の奥でくぐもった音を立てて床に転がり、痙攣したのち、動かなくなった。


 その瞬間、槍の柄を伝って、再びあの感覚が訪れた。

 中型種の時のような暴力的な熱ではない。静かに、しかし確実に、怪物の命を散らしたことで発生した魔粒子が、私の体内へと流れ込み、力として馴染んでいく感覚。


 やはり、間違いない。

 怪物を倒せば、強くなる。

 この世界で五十年間、数多の探索者たちが命を懸けて実証してきた事実。だが、私のもつ異常な吸収効率は、その成長の速度を常識外れのレベルへと引き上げる。

 この力があれば、安全な後方業務で薄給に甘んじる必要はない。妹たちに、もっと良い生活をさせてやれる。


 私は短槍についた体液を払い、静かに鞘へと収めた。



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