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クネカミ

作者: MistKraken
掲載日:2026/02/07

 これは俺が大学3年の夏、免許取り立ての頃に体験した話だ。特定されると嫌だから場所はぼかすけど、東北地方の、海沿いから山間部へと抜ける長い国道での出来事。


 その日はサークルの友人二人(AとBとする)とレンタカーを借りて、あてもなくドライブ旅行をしていた。俺たちは安宿を探しながら移動していたんだが、計画性のない旅が災いして、深夜2時を過ぎても泊まる場所が見つからず、仕方なく次の街まで車を走らせることになった。


 運転は俺。助手席にはA。後部座席ではBが爆睡していた。


 海沿いの道は街灯が少なくて、ヘッドライトだけが頼りだ。右側は真っ暗な海、左側は切り立った崖と防風林。波の音とエンジンの音だけが響く、単調な道だった。


「なぁ、なんか臭くね?」


 スマホをいじっていたAが不意に顔を上げた。

 言われてみれば、確かに変な匂いがする。潮の香りじゃない。もっとこう、プラスチックが焦げたような、あるいは古びた接着剤のような、化学的な刺激臭だ。


「野焼きでもしてんじゃねえか?」


 俺は適当に答えて窓を少し開けた。だが、外から入ってきた風はさらにその臭いを強めただけだった。


 その時、カーナビが『ポン』と音を立てた。


 画面を見ると、一本道のはずなのに「この先、一時停止です」と表示されている。


 こんな山道で一時停止?


 不審に思いつつも速度を落とすと、ヘッドライトの先に奇妙なものが見えてきた。


 道の真ん中に、白いポールが立っていた。


 工事現場にあるようなカラーコーンじゃない。真っ白で、細長くて、妙に高いポールだ。高さは3メートルくらいあるだろうか。それが、道路の中央線を踏むようにして、一本だけ突き刺さっている。


「なんだあれ……看板か?」


 俺はブレーキを踏んで、そのポールの手前で車を停めた。


 よく見ると、それはポールではなかった。人間、いや、人間のような形をした「何か」だ。


 全身に白いビニールシートのようなものをグルグル巻きにしていて、ミイラみたいに見える。だが、そのプロポーションが狂っている。足が極端に長く、胴体は細く、首がありえないほど長い。


 頭部にあたる部分もビニールで覆われているが、そこには顔が描かれていた。マジックで殴り書きしたような、黒い逆三角形の目が二つと、一本線の口。

 案山子かかし? 誰かの悪戯か?


「うわ、気味悪ッ。バックして避けようぜ」


 Aが引きつった声を出した。俺も同感だ。ギアをバックに入れようとした、その時だった。


『ギチ……ギチ……』


 硬いゴム同士を擦り合わせたような、湿った摩擦音が聞こえた。


 目の前の「それ」が、動いたのだ。

 長い長い首が、カクン、と90度折れ曲がった。

 ビニールに描かれた顔が、フロントガラス越しに俺たちを覗き込んだ。


「ひっ!」


 俺とAは同時に悲鳴を上げた。


 近くで見ると、そのビニールの質感は古く、泥と苔で薄汚れていた。そして、描かれた顔の「目」の部分。そこはインクではなく、ビニールが破れて穴が開いており、その奥から白く濁った本物の眼球がギョロリと動いているのが見えた。


『ギチ、ギチ、ギチチチ……』


 そいつは、壊れた玩具のように痙攣しながら、ゆっくりと車に近づいてきた。


 足音がしない。アスファルトの上を滑るように、あるいは浮いているかのように接近してくる。


「出せ! 車出せよ!」


 Aが叫ぶ。俺は慌ててハンドルを切り、アクセルを全開にした。


 タイヤが空転し、白煙を上げて車が急発進する。俺たちはその白い巨体をギリギリでかわし、反対車線を逆走する形で追い越した。


 サイドミラーを見る。


 そいつは振り返りもせず、その場に立ち尽くしていた。


「なんだよ今の……案山子の化け物かよ」


 心臓がバクバク言っている。Bはまだ後ろで寝息を立てていた。こいつの神経を疑うと同時に、起きなくてよかったとも思った。あんなものを見たらパニックになる。


 そこから30分ほど無言で走った。


 ようやく街の明かりが見え始め、コンビニの看板が見えた時、俺たちは心底ホッとした。 


 コンビニの駐車場に車を停め、俺とAは震える手でタバコに火をつけた。


「今の、見間違いじゃないよな?」


「ああ……目があった。人間じゃねえよ」


 Aは顔面蒼白だった。


 ふと、俺は車のバンパーが気になった。さっき急発進した時、何かを擦ったような音がしたからだ。


 車のフロントを確認しに行くと、俺は凍りついた。

 バンパーの隙間に、白いビニールの切れ端が挟まっていたからだ。

 ボンネットの上に黒いマジックで何かが書かれていた。


『みつけた』


 震えが止まらなかった。いつ書かれた? すれ違った一瞬か? ありえない。 


「おい、A……これ……」


 俺がAを呼ぼうとした時、コンビニの自動ドアが開く音がした。だが、誰も出てこない。

 代わりに、あの音が聞こえた。


『ギチ……ギチ……』


 音は、コンビニの店内からではなく、駐車場の隅にある街灯の上から聞こえてきた。


 見上げると、そこに「いた」。


 5メートルはある街灯のてっぺんに、あの白いビニールの化け物が、蛇のように巻き付いている。

 長い首をダラリと垂らし、逆さまになった顔で、俺たちを見下ろしていた。


 逃げられない。


 直感でそう悟った。あれは場所に縛られる地縛霊のようなものではない。俺たちに「憑いた」のだ。


「乗れ! 逃げるぞ!」


 俺はタバコを投げ捨て、Aを車に押し込んだ。Bは揺すっても起きない。いや、起きないんじゃない。顔色が土気色で、脂汗をかいている。うなされているようだ。


「Bがやばい! 病院探そう!」


「いや、神社だ! この辺に有名なとこないか!?」


 パニックになりながらスマホで検索する。近くに「厄除け」で有名な古い神社があった。俺たちはそこへ向かった。


 車を走らせている間も、音はずっとついてきた。


『ギチ、ギチ、ギチ』


 屋根の上から聞こえる。トランクの中から聞こえる。耳元で聞こえる。

 カーブミラーに映る一瞬、ガードレールの影、対向車のヘッドライトの中。

 あらゆる場所に、あの白いビニールの残像が映り込む。


 神社に着いたのは空が白み始めた頃だった。

 早朝で神主はいなかったが、境内に入ると不思議と音が止んだ。


「とりあえず、ここなら入れないんじゃないか……?」


 俺たちはBを抱えて本殿の賽銭箱の前に座り込んだ。

 日が昇り、社務所が開くと、神主が出てきた。50代くらいの、厳格そうな男性だった。


 俺たちの顔を見るなり、神主は眉をひそめて言った。


「お前さんたち、『クネカミ』を連れてきたな」


 話を聞くと、この地方には古くからある言い伝えがあった。

 海から来るモノと、山から来るモノが交わる場所に、白い「依りよりしろ」を立てる風習。それは神様を迎えるためのものではなく、悪いモノをそこに封じ込め、ビニールや布でぐるぐる巻きにして放置するという「厄捨て」の儀式だった。


 俺たちが遭遇したのは、長い年月を経て怨念が溜まり、勝手に動き出した「捨てられた神」の成れの果てだという。


「あれに見られたら、決して『結び目』を見せてはいけない」


 神主は妙なことを言った。


「結び目?」


「紐、ベルト、ボタン、チャック……身体にある『繋ぐもの』だ。あれは自分が解けないように縛られているから、他人の結び目を見ると、羨ましがって解こうとする。身体の継ぎ目ごとね」


 俺はゾッとして自分の服装を見た。パーカーの紐。靴紐。ベルト。

 Aも同様だ。


「どうすればいいんですか」


「本来なら祓えない。だが、一時的に目を逸らさせることはできる。お前さんたちの『結び目』を一つずつ置いていきなさい」


 俺たちは言われた通り、靴紐を解き、ベルトを外し、パーカーの紐を抜いて、神社の裏にある古い井戸に投げ込んだ。

 Bの服からもベルトなどを外して投げ入れる。

 最後に神主がお経を上げ、塩を振ってくれた。


「これで奴は、井戸の中の結び目を解くのに夢中になるだろう。その隙に、この土地から離れなさい。二度と戻ってきてはいけない。そして今後、紐を結ぶ時は、決して『蝶結び』にしてはいけないよ。あれは解きやすいから、奴が好む」


 俺たちは礼を言い、逃げるように東京へ帰った。

 レンタカーを返却し、それぞれの家に帰った後も、しばらくは恐怖で眠れなかった。


 あれから数年が経つ。


 俺もAもBも無事だ。特に怪我も病気もしていない。


 ただ、一つだけ変わったことがある。


 俺は今でも、靴紐を結べない。 


 マジックテープの靴しか履かないし、ズボンはゴム紐のものを選んでいる。


 なぜなら、紐を結ぼうとして輪っかを作ると、その小さな輪の中に、視線を感じるからだ。


 一度だけ、うっかり紐靴を履こうとした時があった。

 蝶結びを作ろうとしたその瞬間、輪っかの中から、あの『ギチ……』という音が聞こえ、小さな小さな白い指が、輪の内側からニューッと伸びてきたのを見た。


 俺はすぐに紐をハサミで切った。


 風の噂で聞いたのだが、あの国道では今でも時々、事故が起きるらしい。


 事故車の特徴はいつも同じ。

 運転手が、シートベルトに締め殺されているそうだ。


 あの化け物はまだ、何かを解きたがっているのかもしれない。


 それとも、新しく縛るものを探しているのか。

 俺はもう、結び目を作るのが怖い。

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