第9話 夜中の来訪者
Scene-09(屋内)D機関ラウンジ - 夕方
「じゃあねー!」
冬の西日が差し始めた廊下で、十歳くらいの女の子が双羽に手を振った。
女の子は包帯だらけで、頬には大判の絆創膏が張られている。傷跡を隠しているものだ。
双羽がニコニコと笑いながら、手を振り返す。
「明後日からまた入院だけど、頑張ってね。傷のお医者さんの言うとこをちゃんと聞くんだよ?」
「うん!」
元気よく返事をし、少女は大勢の仲間たちの元へ帰っていった。仲間――D機関が支援している施設の少年や少女たちだ。
見送りした双羽がラウンジへ戻った。
顔はニコニコしたまだが、胸の内にはまだ正体も知らない男への怒りが渦巻いている。
ソファに座った頃、ちょうど彩華も戻ってきた。
「はー、やっと終わりましたー」
面倒な事務仕事から解放された彩華も、ラウンジのソファに倒れ込んだ。
双羽の横、一人分の隙間を開けて――
二人は面倒な事務仕事を片付けたところだった。
ここ数日、オトリ捜査の報告やD装備のチェック、データの再計測などの仕事をこなし、最後に借りた社用のタブレットでお金関係の清算をしていた。
彩華には最後のが一番面倒くさかったようだが、提出しないと使った費用がすべて自腹になる。
手続きを他人に代行してもらうワケにも行かない。
ブラック企業が長年そうやって悪行を重ねてきたため、法律が厳しくなってしまっている。
悪貨は良貨を駆逐する、だ。
横で双羽が紙コップの紅茶に口付ける。
その何げない仕草に色気を感じてしまった彩華の呼吸が、ほんの少し止まった。
「……」
「結局犯人は逃げたままみたいだけど、よく警察に捕まらないもんだよね。――彩華?」
「女装を見たせいかなぁ……あ! なっ、何でもありません」
怪訝な顔で覗き込まれた彩華が必死に取り繕う。
照れ隠しに、オフィス用の置き菓子から取ってきたチョコを口に運んだ。
バリバリ、モグモグ――
あまりに豪快な食べっぷりに双羽がそっと苦笑いしたが、彩華は気付かなかった。
「でも警察の手を逃れてるのは確かに不思議ですよね。迂闊そうに見えたんですけど、あのマスク男」
「そうだね、仲間でもいるのかな」
「――璃久、彩華、仕事は終わった?」
二人の会話に女性が割って入ってきた。
振り返ると、スマートな長身女性がラウンジに入って来るところだった。
背は双羽と同じくらいか。
ウルフカットの髪も、シャツとパンツ、ローファーもすべてがシンプルだが、それが彼女の魅力を損ねたりはしていない。
首から下げたカードに書かれた名前は、保安部の篠井マリアとあった。
彼女もマシスン病の後遺症で目の色彩が特異だったが、吸血鬼の例に漏れず病的な感じは一切ない。
最初、彩華の反応がちょっと薄かった。
しばらく何か考え込み――璃久が双羽の下の名前だと思い至ってアタフタする。
双羽がぺこりと頭を下げたので、彩華も慌てて頭を下げた。
「お疲れ様です、篠生さん」
「お、おつかれさまです……しのいさん」
「二人とも、AIがSNSでこーゆーのを見つけたけど、動く?」
篠生が、社用らしい最新のスマホを差し出した。
女装の双羽と彩華のコンビが写っている。
どうやらSNSに盗撮をアップしている人間がいるらしい。前後の投稿から吸血鬼に良い感情を持ってない人物なのは明らかだ。
「お任せします!」
「そちらにお任せします」
「了解、本人の同意が取れたから通常の対応で進めるね。――ふふん、BANだけで済むと思うなよ」
最後の言葉はSNSのアカウント主へかけたものだ。
篠生が頷くと、ちょいちょいと操作してからスマホをしまおうとし――その手を、彩華が止めた。
何がどうしたと篠生と双羽が彩華を覗き込むと、青い顔色の彩華が小さな悲鳴を上げた。
「どしたの?」
「――わたし、女装してる先輩と一緒に写真を撮ってません!」
女装した双羽単体の写真はあるが、一緒はない。
盗撮された写真にすらあるのに!
「ふふーん」
篠生がニヤニヤ笑いながら、私物のスマホでタップとスワイプを繰り返す。
今度は篠井と双羽のツーショットが表示された。
場所はこのビルの会議室だろうか。
満面の笑みを浮かべた篠生に肩を抱かれ、双羽は苦笑いしている。服は着替えているが化粧はまだ。ただし胸の膨らみは既にあった。
「あーっ!?」
「服を提供した者としては当然の権利よねー、本人が全然気にしなかったから生着替えも見ちゃったよ」
「あははは……」
「う……!?」
彩華の動揺を他所に、スマホの写真が続く。
今度はやけにハードボイルドな実年の女性と、一分の隙も無くスーツを着こなした美青年が双羽を密着サンドイッチしてる画像。
戸坂と摩周だ。
戸坂は獲物を仕留めた直後みたいな顔をしている。反対側にいる摩周は難しい公式を解ききったような満足げな笑みを浮かべていた。
二人が今回のメイク担当らしい。
そういえば、確かさっきそんな感じのコトを言っていた。
写真の双羽は化粧済みになっている。篠生のツーショットと違って髪もキッチリと整えられていた。
ああ……と、彩華が合点した。双羽が妙に色っぽくなった理由はコレだ。髪だ。
本来は真っ先に気付くべきなんだろうけど、女装自体のインパクトがあまりにも大きすぎたようだ。
そしてもう一つ閃く――
「あ、先輩の下着ってまさか摩周さん?」
「ノーコメントで」
双羽が横でクスクス笑う。
篠生が今度こそスマホをしまい、彩華が名残惜しそうに目で追う。
「そういえば、オトリ役やってくれた二人にD機関がしばらく護衛付けるってさ。当面はウチのチームで担当するね。最初は私」
篠生はD機関の保安要員だった。
元々スポーツクライミングの選手だったこともあってか、吸血鬼化した現在ではパルクールみたいな三次元機動を得意としている。
三、四階くらいなら飛び降りても平気らしいとの噂もあった。
「あと、これはウチらから差し入れね」
篠井が鞄から少し厚めの封筒を渡してきた。
受け取った彩華が中を見て首をかしげる。
「これは……食事の無料券ですか?」
「今回はたくさん働いたんだし、二人でご飯でも食べていくといいよ。お疲れ様!」
言われて彩華の顔がパッと綻ぶ。
篠井は双羽への距離の近さから警戒対象となってはいるが、こういう気前のいいところは大好きだ。
双羽も感謝の礼をする。
「ありがとうございます、帰りに彩華と寄っていきますね」
「一緒に行きましょう、先輩!」
一緒! よし!
彩華の頭上にいる天使と悪魔もガッツポーズする。
これで話は終わりかと思われたが、篠生が双羽をじーっと覗き込んできた。その距離の近さに彩華が再び警戒モードに入る。
「ええと、まだ何か……?」
「璃久、私のスカートはどうだった?」
「彩華からも似合うと褒められましたけど、やっぱり慣れそうにはないです」
双羽が涼やかな笑顔で、篠生の洒落っ気を受け流した。
篠生がにひひと笑う。
途端に彩華がガバっと身を起こした。機嫌はあっさりと直ってる。
「はい、似合ってました! いいですよね!」
「マシスン病に罹るとやけに中性的になったり、その逆に性差が強調されたりするよねぇ」
篠生が自分を見下ろしてから双羽を見て、最後に彩華を見る。
胸を張られ返された。
双羽はさすがに視線をそらす。
篠生はストンとした体型だが、魅力を損ねない範囲での細さだ。
かつてはもっと無骨な体型だったらしいので、マシスン病は骨格すら変えしまったのかも知れない。
「感染すると、ウィルスの主観でステ振りされるのかも」
「嫌な想像だなあ……あれ?」
篠生のスラリとしたお尻でスマホが振動する。
また取り出すと、耳に当てた。
「はいはーい、しのい……え、犬蓼? 彩華なら、目の前」
篠生が二人を見ながら軽く会話が続く。
最後に大きく頷いてから、スマホから顔をあげる。
「彩華、蒼井ちゃんって子を知ってる?」
「ええ、この前の事件で知り合った吸血鬼さんですね。抑制剤で変異がまだみたいで」
「その子、いまロビーにいるよ。彩華に相談したいことがあるから連絡を取りたいって言ってるけど……どうする、会う?」
「そういうことでしたら、喜んで!」
「ちょうど無料券があるから、彼女もご飯に誘ってみようか。――いいかな、彩華?」
「はい、いいと思います!」
その提案に彩華も賛成する。
双羽はこういう人だが、彩華はそれが嫌いではない。
スマホをしまった篠生も二人の肩を抱く。
「そういうことならば、今回はお姉さんが奢ってあげよう! ナイトランチのタダ券まだあるしねー」
篠生のこう言うところもだ。