第5話 無月夜に刃光る
Scene-05(屋外)ビル工事現場 - 夜
駅前のロータリー周辺は、新旧の繁華街がモザイクに広がっている。
数度のパンデミック騒ぎのせいで旧繁華街側は再開発が加速しており、駅側のビルが幾つもネットで覆われている。
ネオンの類も少なく、街灯もまばらだ。たまたまなのか人気も少ない。
少し先にあるコンビニが場違いに感じる程だ。
人気が無いことを利用して、ここにあるビルの一つで双羽も囮役としての配信活動を行っている。
ペストマスクは旧繁華街側に逃げ込んだらしいが、警官たちは姿を見失っていた。
最初の二名、後の一名ともすっかり息が上がっている。
「あいつ、どこへ……」
「お巡りさん!」
そこへ彩華と双羽が飛び込んできた。
降りて自分の足で走ってきた双羽は少し息が上がっているが、彩華はまったく息を乱していない。
合流するなり二人は事態を悟った。
「ふふふ……探し人なら任せてください!」
彩華が少し上を向いて、鼻で軽く息を吸い込む。
スンスン、キョロキョロ……ピタリ!
「――いました、あそこ!」
「だあぁ、しつけえ!」
変な匂いを嗅がせるなー、そんな顔で彩華がくわっと吼える。
真っ暗な建築現場を囲うガードフェンス奥でこちらを伺っていたらしいペストマスクが叫ぶと、ドタバタと駆け出す気配が続く。
「逃がしません!」
ダッ、ひらり――
彩華はロクに助走も付けず、自分の身長よりずっと高い蛇腹ゲートを軽々と乗り越えてしまった。
とてつもない身体能力だ。
スカートの下はスパッツだったので、安心――そんな問題ではないが。
「ああ、ちょっ」
「彩華!」
叫ぶと双羽も後に続く。
こっちは少し下がって助走を付け、さらに片方の手をフェンスの上に添えて乗り越えて行った。
彩華から教えられたとおり厚いタイツに包まれた両足をぴっちり閉じ、ついでに片手でお尻も押さえたまま、もう片方の手をフェンスの上に添えただけで軽々と。
彩華に比べれば二段くらい劣りそうだが、こちらも凄い身体能力だった。
双羽の着地で警官たちも我に返る。
「お、オレたちも行くぞ!」
警官たちは横の電柱も使って不安定なフェンスをよじ登り、どうにか後を追う。
こちらはよじよじ、どっこいしょ、おりおり。
無論、警官たちが鈍くさいわけではない。これが普通なのだ。
入った現場はまっ暗だった。
夜で、灯りは全部落ちているのだから当然だが。壁で街灯の光も遮られてる。
そんな暗闇の中を、双羽と彩華は迷うことなく駆け抜けていく。
二人には《夜》を見通す力があった。
色彩の反転した目に代表されるマシスン病の代表的な後遺症であり、罹患者が《吸血鬼》と呼ばれる所以だ。
「――先輩、あそこ!」
「ちょっと待って」
双羽が脇にしまわれていた工事用の誘導灯に気付くと、スイッチを入れてかなり後ろにいた警官へ放り投げる。
ないよりはマシだろう。
スマホのチマっとしたライトを使っていた先頭の警官が棒を器用にキャッチすると、剣みたいにブンブンと振り返す。受け取ったの合図か。
前方では、彩華がペストマスクを資材置き場に追い詰めていた。ペストマスクも《夜》を見通せるらしく、どちらも惑う気配はない。
双羽と彩華の後ろに、誘導灯を武器みたいに持った警官たちが並ぶ。アイドルユニットとファンみたいだ。
現場のどん詰まりで立ち尽くすペストマスクが肩をすくめた。
「吸血鬼はともかく、オマワリ=サンたちに危害は加えたくねーんだが……正義も理解できねーボンクラどもなんざ、いいか!」
ペストマスクの目の奥に歪んだ光りが灯った。
ズズズ――
資材を覆っていたシートが風もないのにパタパタと波打ち、地面や大気でパシ、パシ、と小さな閃光が巻き起こる。
まるで実体を持っているかのような不可視の圧を感じ、警官たちがジリと押し戻された。
「けっ!」
ペストマスクの全身が紅潮し、肌のあちこちにグロテスクな血管が浮き上がる。
双羽と彩華の手にあるグローブで、ベゼルのレンズが反応した。D装備が勝手に起動し、キン、キン――と、硬質な音を立てる。
「僕らのD装備が、アイツの『波動』反応を拾ってる?」
「な、なんで吸血鬼でもないアイツがD装備と同じ力を使えるんですか!?」
二人のレンズ内にあった回路図みたいな模様が淡く輝いて形を変えていく。
キィーンと小さな音を響かせ始めた。
双羽の額にも図形みたいな模様が輝き出す。まるで共鳴だ。
「――あ!? みんな伏せて!!」
「はっはー!」
双羽が警告を上げるのと、ペストマスクを中心に衝撃波が放射されるのとが同時だった。
光学的特性と電気的特性を併せ持つ《波動》の放射が建設現場を蹂躙する。
まるで空気の津波だ。
これは波動――マシスン病の後遺症として、一部の吸血鬼たちが授かった変異能力の一つだ。
魔法みたいだが、間違いなく物理現象になる。
オリジナルの波動発生装置『ヒエロニムス装置』は百年近く前にアメリカで発明され、一般に販売までされている。
もっとも、当時のは現代の物よりずっと原始的なモノだったが――
吹き飛ばされた小さな資材や工具が次々と浮き上がり、飛び散り、鉄骨のフレームと足場が不気味な軋み音を上げ始めた。
「間違いない《波動》だ。ヒエロニムス器官がない普通の人間が、こんなに強く発動できるなんて……」
衝撃から彩華を庇いながら双羽が叫ぶ。
庇われた彩華は、満更でもなさそうな顔をしていた。
「ひへへ……」
「彩華、こっちもD装備を使うよ。――彩華?」
「り、了解です、先輩!」
あたふた!
双羽が左手を突き出すと、レンズ内に浮かび上がる回路図が形を変えた。額の図形もそれに合わせてカタチを変える。
「こっちも波動を使う!」
光学的特性と電気的特性を併せ持つ《波動》が双羽のD装備から放射され、空間そのものを介してペストマスクの波動を押さえ込む。
彩華も胸の前でレンズを構えた――が、こっちはまったく光らない。
「あれれ……先輩、わたしのは上手く動かないんですけど」
「――けっ!」
装備の不調を目ざとく見つけたペストマスクが、彩華をめがけて飛んでくる。
勘に障る高笑いを上げながら、だ。
「けけけけっ、正義ぃ執行ぉ!」
ペストマスクは足がもつれているが、転ぶ様子はない。
距離の長いジャンプなのかも知れない。
狙いはD装備を前に首をかしげてる彩華――だったが、双羽が左手で空間を薙ぎ払うと、見えない何かにブチ当たった。
「へげしっ!」
ペストマスクがへしゃげ、無様に叩き落とされる。
即座、双羽が下がる。
「彩華!」
「はいっ!」
そこで前衛と後衛が後退。
D装備をさっさと諦めた彩華が間合いを詰め、吹っ飛ばされたペストマスクを持ち上げると、さらに投げ飛ばした。
くるっと回転したペストマスクが無慈悲に床へ叩きつけられた。怪力に高スキルがプラスされた投げ技だ。
「ぐほっ! こ、この――」
「まだまだ!」
立ち上がろうとしたペストマスクへ、追撃の蹴りが決まった。
三度無様に転がる。
彩華は無理に追わず、双羽を背に庇いながら偏りのない自然体を維持する。
「先輩、さっきの凄くて格好良かったです!」
「彩華も強くて格好いいよ」
「えへへ……ただ、D装備はサッパリ動きません。殴った方が早いですね」
彩華のフィジカルは吸血鬼の中でもかなり高い。
小さな頃から実家の道場でずっと鍛錬を積んできたうえ、最近では後遺症で爆上がりした身体能力を活かすように技術を進化させてきている。
ボロボロになったペストマスクがガバッと身を起こした。ダメージでフラフラだ。
「ゆ、ゆるさねえ……」
再び破壊の波動が湧き上がる。
青白い放電がスパークし、どんな役に立っているのか分からない謎ポーズを決めてから衝撃波が繰り出された。
「正義ぃ、執行ぉー!」
「彩華、もう一回いくよ」
双羽がD装備のレンズを撫でると再び波動が放射され、ペストマスクの波動がスッパリと断ち切られた!
衝撃波で小さなスパークが踊り、さらに双羽のスカートが危険なほど舞う。
細くて長い足がとても美しい。
「今日はよく動いてくれるね、いい子だ」
双羽がD装備を褒めると、自然とフォトジェニックな表情になった。
囮役のモデル経験が役に立っている。
戦いの最中だった彩華もつい目を奪われ、双羽を賞賛してしまう。
「先輩、D装備を使いこなせてて凄いです!」
「あはは……彩華、ちゃんと前を見ててね?」
「な……なんだよ!?」
キラキラ笑い合う二人に対し、ペストマスク側はそれどころでない。
絶対の自信を持っていた自分の『力』が尽く掻き消されてしまう。それが信じられないらしい。
興奮でガタガタと震え出した。
「チート使えるのは主人公だけだ、無双のルールを守れよ――ぶげっ!?」
彩華がブン投げたぶっといネジが、ペストマスクの肩口に命中した。
さっき飛び散っていた物らしい。
「人が喋ってる最中に――ぶげっ!」
もう一発!
しかも同一箇所に命中し、ペストマスクが悶え苦しむ。
双羽が絡むなら彩華に慈悲はない。
「ペストマスクさん、後ろにはお巡りさんたちもいます。諦めて捕まって下さい!」
誘導灯のライトセーバーが、そーだそーだみたいな感じでブンブンと振りまわされる。
ライトとしては足元を照らすのが精一杯だろうが、振りまわすことでペストマスクを牽制しているつもりなのかも知れない。
まるで双羽と彩華を応援してるファンみたいだった。
「うるっせえ! お前たちはウィルスに操られてるだけの哀れな存在だ、いま土に戻してやる……灰は塵で!」
「灰は灰に、塵は塵に」
「正式にはもっと長いけどね」
彩華と双羽が冷静に突っ込むと、ペストマスクの目が真っ赤に染まる。
怒髪天を衝く大激怒!
「うっ、るっせぇぇぇぇー、必殺……相手は死ぬ!」
真っ赤になったらしいペストマスクから、電撃と衝撃波が無秩序に放射された。
本当に狙いが滅茶苦茶だ。
触れていないのに資材や工具、果ては鉄骨までもがガタガタと跳ね回り、吹っ飛んで化粧パネルに突き刺さった。
安全ネットの中で、ビル外壁の足場も崩れていく。
どこかでバチバチッっと火花が散り、頭上から火の粉が降ってきた。同時に焦げ臭い煙が漂ってくる。
「まずい……皆さん、逃げて!」
「先輩、こっちです!」
双羽と彩華の二人は動揺していない。夜を見通せるのだから。
ちっこいがフィジカル最強の彩華が最速で入口に駆け戻り、蛇腹ゲートの南京錠をごつい工具の振り下ろし一撃でネジ落とす。
さらに全力蹴りで開けたゲートの扉がバシャーンと開き、闇が街灯の明かりに切り取られた。
「こっちです、早く!」
闇と波動の戦いにまるで手出しができなかった警官たちも、慌てて逃げ出そうとする。
その頭上から、壊れた足場の残骸が降り注いできた。
咄嗟のことで警官たちが固まるが、双羽が皆を守るように立ち上がった。
「――ふっ!」
双羽のD装備と額とが三度輝き、警官の頭上で盾みたいな力場が次々に形成される。
何もない空間でパイプやメッシュ床が弾き飛んだ。
流石に重いモノは駄目そうだが、それでも安全確保には十分だ。
闇の中に、美少年と美少女の二つの特性を併せ持った双羽のシルエットが閃いた。
見惚れた警官たちから、感嘆と歓声が上がる。
「すごいな、君!?」
「綺麗ですね!」
「あ、いえ……その、早く脱出を」
自分がどう見えるかは気にしてなかったらしい双羽が、真っ赤になって照れる。
それがまた可愛い。
「こっちでーす!」
彩華がちょっと自慢げに警官たちを誘導する。
ビル内に居残ったペストマスクは煙に巻かれつつ、一人で大笑いしていた。
「ははは、はーっはっは!」
「彼は……駄目か。彩華、逃げるよ!」
「はい!」
「何だ逃げるのかよ、吸血鬼野郎が――ぶぼっ!?」
ガーン!
煙って焦げた空気の奥で小君良い音が響き、ペストマスクの気配が途絶えた。
やがてバシ! バシ! と小さなスパークが散発し、大量の濃い煙で視界が覆われていく。
焼け焦げる嫌な臭いが周囲に広がっていった。
どこかで火災や漏電警報も鳴り始め、やがてビル全体が弾けるように爆発した。
油っぽい火炎が膨れあがる。
火事だ!