第4話 D装備
Scene-04(屋外)駅前デッキ - 夜
「大人しくしろ!」
「おい警察、そこにいるゾンビどもを回収しろよ。早くしろ、はやーくっ!」
「いい加減にするのはお前だ!」
警官の一人にピシャリと言い放たれ、その迫力にペストマスクが首をすくめた。白けたようにツバを履く。
マスクの中で。
出してから気付いたペストマスクが、癇癪を起こした。
「ちくしょ、このっ!」
そのまま野次馬していた群衆に向き直る。急な動きなので警官の反応が遅れた。
野次馬の先頭がザザっと散り、タイミング悪く割り込んできたばかりの女子高生たち三人が取り残される。
さっきの三人組だ。
そして運悪く、ペストマスクと目があった。
「どけよ!」
凄まれた女子高生たちの動きが止まる。
だが、何故か叫んだペストマスクの動きも止まった。
「ま……また手前ぇかよ、オレを馬鹿にすんじゃねえぞ!?」
ペストマスクが唐突に怒りだし、女子高生のグループに食ってかかった。紙袋をもぎ取られ、あたりにブチまけられる。
異様な雰囲気を感じた群集が凍り付いた。
「――きゃーっ!!」
ワンテンポ遅れて悲鳴が上がり、それがキッカケで群衆のフリーズが解けた。
皆がデタラメに逃げ出し始める。
「――確保!」
警官たちが時間を叫んでからペストマスをザザっと包囲する。
市民に怪我をさせるわけには行かないから、厳重にだ。
「無駄だ、もう逃げられないぞ!」
「くそくそくそ! いいぜ、教えてやる……俺が正義だ!!」
カシュ!
圧縮空気の抜ける音が響くのと、警官たちが男へ飛びかかるのが同時だった。ねじ上げられたペストマスクの手から何かが落ち、双羽の足下に転がってくる。
「これは……注射器銃?」
ピストルみたいな形をしたそれは、マイクロバブルを利用して皮下へ薬剤を打ち出すタイプの無針注射器だった。
かなり大型ので、薬剤を安定的に保存する機能なども付いた高機能タイプのようだ。
双羽がハンカチで銃を拾った瞬間、銃のラッチが勝手に開く。プシッと空気の抜ける音が続き、アチコチから熱風が吹き出した。
薬剤でも漏れたのか銃がベタベタになっていくので、双羽が慌てて手を離す。
「――っと、壊れたのかな?」
「なんですかね、これ」
双羽と彩華が注射器をどうしようか迷っているところで、後ろから悲鳴があがった。
警官と残っていた一部の群集のものだ。
そこにペストマスクの哄笑が響きわたった。
「はっはーっ!」
「え!?」
あの弱さなら事件は片付いたも同然と思っていた彩華が緊張する。
警官たちが一気に弾き飛ばされ、その中心にしたペストマスクがゆらりと立ち上がった。
レンズ越しの目の色が毒々しい赤黒に染まり始めている。
異様な気配を察した彩華が臨戦態勢に入り直した。小柄で可愛い体格に似合わない、堂に入った構えを取る。
「先輩、もしかしてあいつも《吸血鬼》かも……」
「オレは穢れてなんかいねえ!」
喰い気味に否定したペストマスクがデッキから飛び降りた。真下にあった街路樹の枝を派手に折りながら着地すると、そのまま走り去る。
警官たちも慌てて欄干に身を乗り出そうとしたが、下を見て蹈鞴を踏んだ。普通なら飛び降りたいと思うような高さではない。
「こ、ここから……?」
「逃がすな、追え!」
ダメージが小さかった警官たちが即座に階段をかけ降りていく。
残された双羽と彩華は、ダメージの大きそうな警官たちの元に駆け寄った。
双羽が腰を落とし、背中をぶつけて咳き込んでいる警官を助け起こす。
「お怪我はありませんか?」
「せ、先輩……腰を落とすなら膝を閉じた方が。――こんな感じです!」
率先して手本を示そうとするが、その前に警官が自力で起き上がった。
片方が彩華に申し訳なさそうに頭を下げる。どうやら彩華とは顔見知りらしい。
「けほっ……すいません、犬蓼師範のお孫さんに無様なところを見せてしまって。お二人とも、お怪我はありませんか?」
「大丈夫ですよ、伊達に心臓が二つ付いてるわけじゃありませんから!」
ドンと胸を張る。張れるだけの胸だ。
「あいつ、さっき変な薬を打ってましたよ。気をつけて下さい!」
「ええ、任せて下さい」
警官は仲間たちに合図すると、既に駆け出していた二人を追ってペストマスクを追いかけていく。
残された警官たちも、それぞれの仕事に戻り始めた。
囮役の仕事は終わったと安心したちっこい娘――犬蓼彩華が、黒髪の女装少年である双羽璃久に寄り添う。
「双羽先輩、お疲れさまでした!」
彩華は、双羽の女装に何の違和感も感じてない。
確かに双羽の女装に破綻した部分はなく、本来の性別を知った後でも、男でも問題はないと誰もが納得する複雑な説得力があった。
「彩華もお疲れ様」
「はい!」
整った大胸を堂々と張った彩華を見て、双羽が苦笑いした。
胸元を閉じてやりたいが、それが難しいことは知っている。収まるサイズの制服を羽織るとコートみたいになりかねないらしい。
双羽がペストマスクの逃げた方向をじっと見ると、空気がチリチリと軋み始めたように感じられる。
「――それでさっきのペストマスクだけど、彩華はどう思う?」
「最後の方だけ体重の軽い子供みたいな動きでした。不自然です」
「もう少しお巡りさんたちを手伝いたいんだけど、いいかな。社長さんからも、オトリになる以上は何も見逃すなって言われてるし」
「いいですよ、荒事はお任せ下さい!」
さっきの戦いっぷりを見ていても分かるとおり、彼女が主戦力である。
「なら彩華、これを」
双羽が綺麗な装飾の付いたフィンガーレス・グローブを片方だけ渡してきた。
甲の中央には重厚なシルバーのベゼルで装飾されたレンズが嵌まっており、その内部には回路図のようなプリントがされている。
スチームパンクというか、ものすごいお金をかけた中二病風アクセサリーというか。
手渡された彩華が寄り目になった。
「これって《D装備》じゃないですか!?」
こないだ、私たちが実験室ごと木っ端微塵に吹っ飛ばしませんでしたっけ……と、ごにょごにょと続ける。
双羽が慰めるように笑いかけた。
「大丈夫、これは予備のだよ」
「す、すごく高い機械……だったんですよね……?」
ごにょごにょ。
「これはまだプロトタイプだから、データさえ持ち帰ってくれるなら壊してもいいって社長さんから言われてるよ」
双羽が苦笑いする。
キョドキョドとグローブと双羽を交互に見ていた彩華だったが、最後には覚悟を決めてD装備を受けとる。
双羽はついでに落ちたままだった注射器銃も警官の一人に託すと、欄干に両手をかける。
彩華がすっとんできた。
「待って、先輩スカートですっ!」
重要なのはそこらしい。
「中身は男だしタイツも履いてるから、そんなに気にしなくても」
「駄目です、見えたらどうするんですかぁ!」
彩華が双羽を抱き抱えると、そのまま階段をもの凄い速さで駆け下りていく。
残された警官や通行人がぽかーんとしながら二人を見送った。さっきの三人組も戻ってきて、懲りずにスマホで去っていく彩華と双羽の背を映す――