第12話 悪性熱狂
Scene-12(屋外)裏路地 - 夜
「こほ……けほ」
ビルの外階段から降りた莉子は、そのまま夜の裏路地に滑り込んだ。
喉が痛くなって頭がボーッとしてくる。汚れるのも気にせず、力なく壁にもたれかかった。
路地のずっと向こうで自分を探しているらしい彩華と双羽がチラりと見えた。自分の名前に混じって、マスクがどうとか……そんな言葉が切れ切れに聞こえる。
「ごめんなさい……こほっ」
二人の背に小さく声を掛けた莉子が、小さく咳き込んだ。
短い間だったが双羽たちと話せて良かったと思う。他の吸血鬼さんたちも良い人ばかりで……
胸の奥が少しだけ楽になった。それは確かだった。
でも、あと一歩が踏み出せない。
彼ら、彼女らのいる場所への、ほんの一歩が。
視界の端にある闇の中には、顔のない母がいた。顔がない――何故ならば、もう何年もまともに顔を見ていないから。
「……」
莉子がスマホを取り出した。
昔は病的なまでに鳴り続けた。取らないと泣かれ、嘆かれ、激昂されてきた。でも感染してからは沈黙したままで――
頭の中に母親の声だけが蘇ってきた。
医者が病気の説明したときに上げた悲鳴と罵倒には、内臓を抉るような強い否定と拒絶の感情が乗っていた。
それを上げさせたのは自分だ。
せめて、誰かに聞いて貰えれば楽になれると思っていた。でも聞いてもらった今でも記憶の声は消えてくれない。
その内なる声が双羽たちの前から立ち去らせた。
自分は暗闇の底にいる――
「頭いたい……こほっ、こほっ」
また咳き込んだ。間違いなく熱が出ているだろう。
おぼつかなく歩きながら、さっきのやり取りをボンヤリ思い出す。
「けほ……変異が始まると、熱が出る……げほん、ごほん!」
ヨロヨロと歩いていると、前から急にEV車の気配が響いた。白い光が裏路地を照らし、思わず目を背ける。
見知らぬ車が自分のすぐ横で急停車し、運転席のドアが開いて――
「どうしたよ、調子悪そうだな」
カシュ。
空気圧の抜ける音と共に車から降りてきた男が、くぐもった声をかける。
見上げるとペストマスクが目に入った。
「あ……」
「オレを憶えてるか? 憶えてるよなあ!」
「変態の……」
「へん……てめぇ、このオレを馬鹿にしてやがるのか!?」
莉子の髪に手を掛け、顔を無理やり引き上げたペストマスクが目を見開いた。
その身体がわなわなと震え始めた。
莉子の両目は色彩が反転しかかっていた。だが病的な感じはしない。夜の住人たちがそうであるように――
莉子はそのまま意識を失っていった。
残されたペストマスクが肩をワナワナと震えさせる。
「そうかよ……そうやって、お前もオレを馬鹿にすんのかよ。なら徹底的だ。思い知らせてやるぞ、吸血鬼ども!」
「い、いましたーっ!!」
裏路地の空気とペストマスクの言葉を、彩華の叫び声が切り裂く。その後ろから十名くらいの人波が広がった。
彩華、双羽、篠井を含む、さっきナイトランチにいた吸血鬼たちだ。
「その子から離れろ、ペストマスク!」
篠生が代表して一歩前へ進み出た。ホールスタッフの制服を着たままのマオも横へ並ぶ。
マオが目を細めた。
「気をつけて、ペストマスクから覗いてる目がどす黒く変色してる」
「うるせえ、オレは穢れてなんかいねえぞ!」
ペストマスクが怒鳴り返す。
だが確かにレンズから覗く目は色彩が完全に反転していた。しかし、吸血鬼と違って病的な濁りがある。
例えるならば夜空と泥水の違いか。
「へっ!」
ペストマスクが莉子を乱暴に抱き上げた。わざと刺激するように莉子のスカートの尻まで揉む。
彩華が目を剥き、指をピシッと突きつける。
「痴漢!」
「うるっせぇ! い、今のは偶然で、俺のせいじゃねぇ」
「お前のせいで、お前が悪い!」
「くっ……」
彩華の言葉に、意外にもペストマスクが動揺した。
どうやら自分が責任を取らされる立場に置かれることを病的に嫌っているらしい。
そのまま何故か車を放置し、背を向けて駆け出した。
「オレは悪くねぇ、てめえらが悪いんだろうが!」
「逃がすかー!」
「捕まって法の裁きを受けろ!」
激昂した彩華とマオがその背を追う。
その速度は、ペストマスクよりずっと速い。二人とも狼タイプの吸血鬼なのだろう。
だがペストマスクは焦らず、車の前でピタッと止まった。
「――逃げると見せかけてぇ!」
その瞬間、双羽の目が波動を捉えた。
まるで自身の肉体を破壊するような乱雑でデタラメな放射だが、その分とても強い!
「気をつけて、そいつ波動を使おうとしています!」
「大丈夫です、先輩! こっちにだって波動くらいはありますから」
彩華がD装備から波動を放射しつつ、全力ダッシュ。
その後ろからマオも同じ早さで突っ込む。
ペストマスクはニヤリと笑うと、足を後ろに跳ね上げ、自分の車を――蹴り上げる!
「吸血鬼滅殺無双滅殺弾!」
バカっぽい叫び声と共にペストマスクの全身から波動が放射され、光と電気の特性を併せ持つ一撃が車体を弾き飛ばした。
二トン近い車体が縦に跳ね上がり、竜巻みたいに回転しながら吸血鬼たちに向かってくる。
「うそーっ!?」
「い、いまのは波動なの――わわっ!?」
「彩華!」
彩華を巻き込みつつ、回転する車体が壁に激突した。
車体がへしゃげ、横倒しになり、ボンと火花が散って煙が吹き出す。
双羽が悲痛な叫び声を上げた。
「彩華ぁーっ!?」
「はぁぁぁーいっ!」
「え?」
双羽が音の出どころを探す。
声は――上空からだ。
「え!?」
双羽が見上げると、彩華が物凄い高い位置にいた。
両足からは波動らしき光の尾を曳いている。
それで大跳躍したらしいが、代償なのか無茶苦茶な勢いで回転している。
「め、目がまわりゅう……」
「あらら、不味い。――ちょっと行ってくるね、マオちゃん」
「はいよー」
トン、タッ――
篠井が壁や電柱を連続で蹴りつつ飛翔した。
走るかのように無造作に、そして高く!
落ちてきた彩華に重なると、カウンターをかけてランダムな回転をアッサリと止める。
「マオちゃん、よろしくー」
「こいっ!」
移動を終えたマオが、落ちてきた彩華をふんわり受け止めた。
衝撃は器用に逃がす。
篠井本人はその横にふわり――と、着地した。
ロングコートがマントみたいにはためくが、裾が地面に触れたりはしない。
双羽も駆け寄ってくる。
「篠井さん、マオさん、有難うございます! それで彩華は……?」
「ええと、ちょっと駄目そうかな」
「え!? ――彩華!」
双羽が大慌てで彩華の元に駆け寄る。
彩華は身体をくの字に折り曲げ、地面にうずくまっていた。
怪我は無さそうだが、息も絶え絶えの彼女は目を潤ませつつ何かを呟いている。
双羽が地面に両手を突くと、耳を近づけた。
「大丈夫、彩華!?」
「む……」
「む?」
「むねが、ちぎれりゅ……」
「あ、ああ。ええと……さする……のは、不味いよね。あはは」
「……」
彩華が激痛で目を白黒させつつ、顔を赤らめる。
マオが彩華を膝枕した。
篠生は周囲を見回し、小さく舌打ちする。
「莉子ちゃんがいない……ペストマスクもだ」
「彩華は見ておく。双羽くんは、篠生たちと一緒にペストマスクと莉子ちゃんを探して」
「は、はい!」
双羽が何人かの吸血鬼たちと一緒に駆け出した。
だが車が縦に突っ込んだせいで周囲には野次馬たちも集まり、車の通行も混乱している。
ペストマスクと莉子の姿は、何処にも見つからない――




